月末に登壇する主催者のスタッフとの打ち合わせがあった。
個室でふたりで僕が書いてきた精神科に通院するようになってからの話をエピソード事に書いた10枚の文章の聞き取りをされた。
そもそも話は僕は飛びやすいが相手のスタッフが誘導してくれるので助かった。
しかし、ぼくの歩んできた道は常識では想像できないほどの厳しい道のりなので、
スタッフは理解に苦しんだ。
例えば『生きてる気がしなかったので病院に助けを求めた。一人でいたら電車に飛び込んでしまいそうだったから匿って欲しかったのです』と解釈を伝えると
『生きてる気がしない』とはどういうことか?の具体的な説明を求められた。
それを言葉で表現するのはとても難しい。
要するに極限状態なのだから。
なんとも言いようがない。
周りに助けは求めなかったのですか?
とも言われたが、両親はアルツハイマーとパーキソン病でそれぞれで入院してる。
兄と姉は連絡も取れない。
別れた妻にも相談できない。
家族がそもそも居ない。相談する、頼る人は自分と病院だけだった。
入院中も臨床心理士に相談はしたが何も解決できないと言われた。
要はうつ病と診断されるも、その元となる大きな存在を自分では処理できなく、弁護士も警察ですらどうすることも出来なかった。
自分で決断して、病院に行くしか無かった。味方は自分1人。
そして、病院に匿ってもらった。
思い出さないと書けないのでかなり辛い作業になったが、言葉では表現、形容する表現が見当たらなくスタッフにきちんと伝わらなかつた。
生きてるかがしない!!
そんな感覚みなさんは味わった事ありますか?どう表現すれば良いですか?
どなたか教えてください。
そこには、色んな感情があったはずですが!とスタッフに言われたが説明できない。どうしたらいいものか?
そこが伝えたいですね!皆さんに!
と言われたが、適当には片付けられない何かがあったのだ。
例えば、殺しに来た人がいたとする。
銃を向けてきた。発砲しだした。
僕も銃を持っているとする。
その時に人殺しはいけないからと考える余裕はあるだろうか?
まして子供が襲われているとする。
僕は迷わずに相手を殺すだろうと思う。
もしくは相手に殺されるならば自死してしまうか?
この二択しかない。
逃げ場のない状況で。味方もいない。
そこに何か感情はあるのか?と聞かれたら
戦争に行っている人間は無感情だと答えるだろう。
なので、PTSDでその後に戦争病として苦しんでる人が先の大戦でもあったし、今回のベネゼエラへの作戦でもそのような人は出てくるだろうと思う。
迷った瞬間に自分は死んでしまうという時は、生きることを選択するのが人間であり、動物の本能だと僕は思っている。
その極限状況下に置かれた、体験した人間にしか分からない感覚がある。
それは、説明できない。。。
幸い僕の場合は日本という国で、精神科という病院があり、海外のようにお金がなければ入院できない国ではなかった。
それは、僕が日本に生まれたという、ラッキー、超幸運だと思うんです。
なので、今生きている。
人と話しをするとよく、自分は自分はと自己主張ばかりしてると言われる。が、そこは半分あってて半分違うと思う。
全て自分で決断して自分で実行するしか無かったからそういう話し方になってしまうのだと俯瞰している。
確かに自分は○○だからというフレーズは僕は多い。『でも』という言葉もよく使う。
しかし、よーく話を聞いてくれる人に尋ねたところ、言い訳の意味での『でもね!』
とは使ってなくて口癖なのだろうと言ってくれた人がいた。
よーく内容を最後まで聞くと正当化する意味での『でも』という意味ではなく使ってるねと昨年初めて言った人がいた。
そう、そうなのだ。
反論してる訳でもなく、言い訳をしてるん家でもなく、『でも』を無意識に使っているとその人は言った。
やっと通じてくれた人がいたと思った。
有り難がった。それを説明してくれたのだ。僕を解析してくれる人に出会って救われた。
それを理解してくれる人は人生の中で何人いるだろうか?
2人?3人?そんなもんだ。
人の事など夫婦でも親子でも親友でも恋人でも半分も理解できていたら充分だろう。
自分のことは自分以外の人が理解は出来ない。全ては。長い年月をかけてもそればかりは分からないものだと思う。
人と人は何事もお互い様。
どちらかが一方的に悪いということは存在しない。
お互いに言い分もあり、非もある。
ようやく人生をわかり出した、丙午の歳男。あとの残りの人生は『楽しむ』事だけに集中をしたい。
今日は午前中に神社に初詣にも行ってきた。
三賀日は混んでるので行かなかったし
参拝は混んでない寺に行ってきた。
神社にはどうしても行きたかったので
願いが叶った
感謝を伝えてきました🙏

