本日のまろん







初めまして。

律です。

今日はゲストということで、場をお借りします。

何を語ろうか、と悩んでいます。

私は精神科クリニックで精神保健福祉士として働いています。

元々、心理学が好きで大学は心理学を専攻しました。
その時に『精神保健福祉士』という仕事と出会い、目指したのがきっかけです。

★『精神保健福祉士』とは?
「精神保健福祉士」は、精神保健福祉の領域で専門的な知識や技術を持ち、精神に障がいがある人たちの社会復帰を手助けしたり、必要な訓練をおこなったりする精神科ソーシャルワーカー(PSW:Psychiatric Social Worker)です。社会福祉士、介護福祉士とともに福祉系の国家資格として知られています。
引用https://job-medley.com/tips/detail/881/

私自身も精神疾患を持っていて、高校一年生になる頃には精神科へ通院していました。
「生きづらい」
「死んでしまいたい」
「自分が居るだけで、迷惑を掛ける」
等、思っていました。

正直、とても苦しかったです。
逃げようのない苦しさから逃れるため、自傷行為や過量服薬を繰り返していました。
その一瞬は、楽になれるんです。

「いつでも死ねる」
そう思い、マンションの12階の一歩踏み出せば飛び降りれる所まで行ったこともありました。

そんな中、私は一心同体とも呼べる存在に出会いました。
互いの価値観
気分の落ち込む時
気分が浮上していく時
どれもこれも一緒で、その子とは
「前世は双子やったんかな」とよく笑っていました。

分かり合える存在が居たから、なんとか生きれました。
二人で海を見ながら涙を流して
「いつか、頑張りきったその先は一緒に沈もう」
そう言ってくれる存在が自分の生きる理由になりました。

その子も精神疾患を持っていました。
私が大学へ進学して少し人生の楽しさを知った時、彼女は笑うことすら難しくなっていました。
月1回は会っていたのですが、どんどんと笑う顔がぎこちなくなっていったのです。
今思えば、薬の副作用だったんでしょうね。
とても嬉しそうなのに、笑っていない口元。
「美味しい」と言いながら震える手。
歌が得意な彼女がテンポすら合わなくなっていく姿。
それらを見るのが段々と苦しくなっていきました。
私には何も出来なくて。

「一緒に死んで」
と言われたこともありました。
その時の私には死ぬ勇気がなく、
「もう少し生きてみよう」と言いました。

彼女はいつも嬉しそうに私の名を呼んでいました。
会った時は必ず抱き締めて。
少し痩せただけ、それでも気付いてとても心配してくれました。

そんな彼女に何も返せない自分がどうしようもなく嫌だったのです。
だから、見て見ぬフリをし始めました。
メールの頻度を減らし、
会う回数を減らして。

そんなある日。
彼女から「助けて」とメールが来ました。
彼女も過量服薬や自殺企図をよくしていたので、「いつものこと」とすぐ返信しませんでした。
そう思って一週間とちょっと。
共通の友人から、彼女と連絡が取れないというメールが来ました。
近所に住んでいた友人が様子を見に行くと
近所の人が「そこの娘さん自殺したよ」と教えてくれたそうです。
親には門前払いされ、手も合わすことができなかったそうです。
そんな連絡が来て、私は信じられませんでした。
きっと嘘だろう
すぐ笑って、笑顔見せてくれるんだろう
そう、ずっと信じていました。

流れていく月日の中、
彼女からのメールは一切来なくて
だんだんと真実味が湧き始めました。

その時、私には彼女しか居ませんでした。
親は健在ですが、頼れる存在ではありませんでした。
どちらかと言うと、恐怖の対象でした。

「信じられない」
「なんで私は手を離したんだろう」
後悔しかなく、毎日毎日泣いていました。

今でこそ、10年以上経つので文章にできますが本当に苦しかったです。
今でもお墓の前では泣いてしまいます。

助けてくれた存在を私は救えなかったのです。

とても大きな出来事でした。

それまでは強い希死念慮がありましたが、
彼女を独りにしてしまった私にはもう自死することもできないと思いました。
月並みですが、
「彼女の分も生きないと」
そう思いました。

でも、死にたい。
だからこそ、精神保健福祉士を目指しました。

私は今も薬を飲みながら生活しています。
自傷行為も止めれてはいません。

ですが必死に生きて
精神疾患を持つ人の生きづらさが分かるからこそ、そういった人たちの助けになれれば嬉しいと思い、仕事をしています。

人の人生を変えるなんて、大それたことは考えていません。
目的とは違い、私の放った一言がその人の人生を変えてしまうこともあるでしょうが。

話を聞いて
「少しでも楽になった」
「ありがとう」
そう言ってもらえると私自身救われた気がするのです。

まだまだ精神保健福祉士としては未熟です。
ですが、少しでも生きづらい人たちが減ることを願っています。

そんな私ですが、現在31歳。
理緒と出会い、人生が少し楽しく、少し楽になりました。
そんな理緒との日々のことはまたいつか。