チョコ兄、旅立つ
さて、ブログに戻ってきたものの、ブログから離れていた時間があまりに長すぎて、
どこから書いてよいものか、少々途方にくれていました。
相変わらず文章のスキルも低いままなので余計にです。
ブログに戻ってきた一番の理由はチョコのことです。
まだ心に整理もついていないし、見苦しいところもあるかもしれませんが、飾らないで素直に書いてみようと思います。
タイトルどおり、私のチョコ兄が先日、6月20日に旅立ちました。
今年の3月に8歳を迎えたところでした。
若いころから不正咬合がありましたが、5歳を超えたころからひどくなり、ほおっておくと、舌やほっぺたの壁を傷つけてしまうので、奥歯と前歯を30日弱ペースでカットしなければならなくなりました。
6歳を超えたころから歯が抜けはじめ、右はほとんど残っていない状態になりました。
牧草や硬いものをかむのが難しくなりました。
おそらく、その不正咬合によるものであろう、涙管のつまりもその頃から始まり、涙が出るところから細い管をさして涙管を通す処置も二週間に一回のペースで始まりました。チョコ兄さん、怖かったろうに本当に良くがんばりました。
7歳になったころからは、歯の影響もあってか、お腹の働きも低下して、食欲が少しずつ落ちていきました。
ペレットはふやかし、野菜は細かくきざんであげる様になりました。
それでも、がんばって牧草も少しずつもぐもぐしていました。
数日食欲不振が続き、元気がない状態が続いていました。不安な気持ちが続いていましたが6/20の朝はうちで育てたシソを、おいしそうにたいらげました。
大好きなドライパパイヤも食べたいだけ食べさせてあげました。
この日はフリーだったのでずっとチョコの傍にいました。
するとチョコがこちらに寄ってきて、二回、私の手に鼻でツンツンしてきました。
元気いっぱいだったころの様な、本当に力強いツンツンでした。少し小躍りしている様にも見えました。
そのまま頭をなでてやると、気持ちよさそうに顔を上げてチョコはそっと目を閉じました。
体調が悪いはずなのに、力強いツンツンに少し違和感を感じましたが、元気がでてきたのかな・・・と楽観的に流してしまいました。そのまましばらくなでてあげました。チョコは静かに撫でられていました。
夜、自分の部屋にいると、少し離れているチョコを放しがいにしているスペースからカタンと音がしました。
私は胸騒ぎがしてチョコの方へ無意識に走っていきました。
チョコは半分目を開けて倒れていました。チョコの名前を何度も呼びました。チョコとお別れのときが来たと直感で分かりましたが、往生際の悪い私はやりかたも良く分からないまま心臓マッサージをしました。人工呼吸もしました。すこし口がもぐもぐしました。でも、チョコは息を吹き返すことはなく、唇の色はどんどん血の気が失われていきました。
次の日の朝、やはり往生際の悪い私はまだチョコとお別れする覚悟ができず、眠っているチョコと一日いっしょに仕事場で過ごしました。(私は現在、自営業です)
眠っているチョコは本当に美しい表情でした。今まで一緒にいて、一番きれいな顔をしていました。少し笑顔にも見えました。仕事が終わってから、チョコの好きだった食べ物やお気に入りの敷物などといっしょに庭に埋めてあげました。
チョコは私にとって兄弟であり、戦友であり、恋人です。
私の波の荒い人生の過渡期にずっと傍にいて、私をなぐさめ、励まし、癒し、いろんなことを教えてくれ、そして愛情をくれました。
悲しいという感情以上のものがあるということを初めて知りました。
チョコがいない生活は、何だか別世界の様に感じられていつも見慣れているものが珍しく見え、目がおかしくなったのか、色彩も失われてモノクロに見えました。食事も取る気になれず、食べても味がしませんでした。
それから数日、なにげなく鏡を見ると、まるでこの世の不幸を全部背負った様な、目がうつろで魂が抜けかけている様なひどい顔の私がいました。
でも、その顔を見たとき、私はそれはおかしいと思いました。
チョコと私は出会った時から一心同体。彼と会った時から、いつもいつも笑いとハッピーをくれました。
彼が私に不幸をもたらすはずは絶対にないと思いました。それが彼とのお別れでさえも。
彼との別れを通して、いい思い出も後悔も全部含め、彼は私にいろんなことを教え、考える機会をくれるはずです。
長文になってしまいました。
私はチョコと出会い、私達の関係は0から1になりました。
でも、チョコがこの世からいなくなったからと1から0に戻るわけではありません。
何も悲しむことはないのだと気づきました。
私とチョコの密やかな、本当に密やかな物語はこれからも続きます。