akatsukinouta -2ページ目

この間から、できるだけ一日一つ、ブログを書いています。
全然サボリギミなのですけど

ただちょっと、すごい文をみて
スピードと数だけが、それがなんだろうって

自分の足りないところを補ったつもりでも、足りていると思っていたことが足りていないと気づかされたり、何なんでしょう。

これはもうちょっと、本気にならないとダメだと

本気になるってどういうことかって言ったら、きっと恥も、恐怖も、分かってるけど気にせずに、またはよくわからないまま滑り出すように動き出してしまうものなんじゃないかなと

それは、やっぱり滑り出すように、いつの日か、自然にっていうのが理想かもしれないけど、自分を滑り出させるコツというか、技術、自分にきっかけを与えられる人っていて、そういう人は強いんだろうなあと思います

感情か、決意か
感情が足りない人は決意で推進力を補っていると言い換えることも、できるかも知れない


iPhoneからの投稿
何かこうしたいと思い、それをしたいのに、感情が邪魔をして、出来ないことがあって

それは、とても嫌気が差す

感情は自分で動かせると思っているから

理想と、感情は別物で、感情は水物で、五換に感じるもの、時間やそのたもろもろによって移り変わっていってしまう

そうなるとある程度、自分で感情を把握できるような気がしてくるけど

くるくる移り変わっていく感情はそれ自体が別の生き物みたいで、理性と感情が完璧にわかりあうことなんてないと、ぼくは思うの

だから殺す、乱暴だけどそれもいいね

だから生かす、これもいいけど疲れそうだね
もつとこわい
もたないのはさみしい

生きていくのはたいへんだけど

こわさに向き合えれば、とりあえずさみしさからはにげられるみたい
暗くいようと決めちゃってる人

明るくいようと決めちゃってる人

がいて、強いなあ、と思うけど

せまいなあ

とも思ってしまう

よくよく突き刺せば、同じ灰色のどろどろが流れてくるのに

フェイスをかえるだけで、よくこんなにも着いてくるものが違って

その結果ちょっとしか中身までそう見えちゃうから不思議だ

呼び込みたいほうの、フェイスを身に着ければいいのか

どちらもほしいぼくはどっちつかずの顔をしているのかもしんない
たまに、表現がとてつもなく怖くなることがある。
頭の痛い朝とか、ご飯を食べられないひるとかに

表現というものは、見られることを前提としている
誰に??

誰に見せたくて、表現をしているのか

こういうブログとかさ、フリーなものに関して言えば

常に、自己満足と、いう、邪推から、逃れられない
そして、自己満足というものは、やっぱり、恥ずかしさから、逃れられない、というか、自己満足は、単純に恥ずかしい。

この恥ずかしいっていう感情によって、どれだけの文章や絵や芸術が、誰の目にも留められずに消えていったんだろ

でもこの恥ずかしいって言うまず自分のフィルターを通過するほどの欲望を掻き立てられる表現を表現するならちゃんと感情が社会を取り締まるふたになってるなあと思うと面白いな!