西洋文化のかおる横浜で生まれ育ち、
日本の文化に育まれた鎌倉で多感な時期を過した
大場多美子こと、O(zero)場多美子です。
O(zero)場に、多くの美しい子を送り出して行く
幼少の頃から、私は名前の中に使命を見いだし、
いつもどうすれば目的が果たせるか考え、
行動し続けてきました。
その流れの中で、
1991年、
ふたりのベンガル人との出会いがありました。
彼らから、インドの詩人・思想家で、
アジア初のノーベル文学賞受賞者のタゴールと、
横浜とのつながりについて紹介されます。
その中で、遡ること明治開港時代にタゴールは
生糸で一財を成した原三渓、
東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に大きく貢献し、
日本美術院を創設した岡倉天心らと、
親交があったことを知りました。
横浜で巡り会った彼らが目指したのは「Asia is one」です。
その考えに共感し、
人と人と人の繋がりによってアジアをひとつにしていくという
「Asia is one」思想への探求が始まります。
2001年に、もうひとつの出会いにより、
私の使命を果たすための大きなキッカケがもたらされます。
それは、山下公園のインド水塔前で毎年行われている
関東大震災で亡くなられた
インド人貿易商とその家族達を弔うお祈りの場でのこと。

横浜印度商協会理事ルパニさんとの出会いです。
ルパニさんは、開港以来つながってきた
日本とインドの関係を
後世に伝えて行く方法がないものか?と、
常に考えてらっしゃいました。
そのお話をうかがう中で、
インドには光の祭り、
ディワリがあるということを知りました。
ディワリとはインドのお正月です。
皆、美しい衣服をまとい、夜には灯りをともし
唄ったり、踊ったりしてお祝いをします。
インドの文化とディワリ祭を通じ、
日本とインドのつながりをお伝えしていこう。
それもAsia is oneの思想がうまれた横浜から
これがディワリ イン ヨコハマのタネが
蒔かれた瞬間でした。
そして、横浜市経済局(元 文化観光局)の
多大なる支援のもと、
横浜インド商協会(元在日印度商工会議所)、
インド関連企業からの協力により、
市民インド文化交流団体で実行委員会を組織し、
ルパニさんが実行委員長、私は事務局長兼副理事として
ヨコハマディワリ実行委員会が発足したのです。
翌2002年には山下公園にて
第一回「ディワリ .イン .ヨコハマ」を、日本で初めて開催。
本当に手作りでスタートしましたが、1万人を動員することが
できました。
おかげさまで、
第十回目となる
2012年のディワリ イン ヨコハマは、
予想来場者数20万人、
横浜の秋の風物詩といわれる
大きなイベントになりました。
ところで、ディワリ祭を運営する中でも、
相変わらず私の探求は続きます。
それは、生糸貿易で大成功をした
原三渓とインドとのつながりを知ったからです。

2008年、開港150年のちょうど一年前、
原三渓を知ることを目的とした勉強会をたちあげます。
事務局長として関わりながら、
翌2009年には「原三渓市民研究会」の設立に参加。
そして、市民研究会のメンバーの
熱意に後押しされながら、
研究会メンバーの学びの集大成として
原三渓翁伝を無事出版することが叶いました。
タゴール、原三渓の探求にはじまり、
ディワリを通じた日印の文化交流に携わってきた私は、
インドとのつながりを活かした
さらなる活動をしていきたい
そう考えたとき、
0(zero)の概念を生み出したインドにむけ、
無限の可能性を秘めた0(zero)ビジネスを
展開して行こうと思い立ちました。
それも、
開港以降西洋文化とコラボし新しい文化を
つくりだしてきた横浜から発信して行きます。
いま、時代は転換期にあります。
人々の意識も物質社会に見切りを付け始めています。
これからの時代は
まさにアジアの文化が
世界を席巻していくことでしょう。
だからこそ、
西洋文化とコラボレーションしてきた
横浜という場にこだわり、
ここ横浜からアジアと日本のコラボレーションで
新しい文化を生み出して行こうと思います。
そのためのO(zero)ビジネスです。
0ビジネスは、
私がもうひとつ大切に考える、
日本の食と農に未来を託した事業にしたいと思います。
それは、
日本の最先端の農業技術を軸に展開するプロジェクトです。
今後、ブログを通じてプロジェクトの概要を
徐々にお伝えして行きたいとおもいます。
皆様、どうぞよろしくお願い致します。
ハッピーディワリ!O(zero)場 多美子