マンハッタンのミッドタウンからブルックリンまでは遠い。

俺たち2人はいつもの事だけどなかなか来ない電車にイライラし始めていた。これもいつもの事だけど、黒人がごそごそとセッティングしてあんまり上手くないキーボードを弾き出した。これで案外生計が立っているのかなあ、なんて俺とケースケはお手並み拝見、って調子で彼が歌い出すのを待ったんだ。

Oh, she may be weary…

聴いた事のあるメロディだった。

彼はどこか悲しげな表情で淡々と歌いだした、ゴスペルのようにおごそかに。込んだホームのニューヨーカー達は誰1人として彼に興味を示さない。

♪若い女性は同じ古い毛羽立ったドレスを着ていることに疲れてしまうもの
そんな気分の時には少しだけやさしくしよう
彼女は絶対絶対所有できない物を期待して待っている

思い出した、「トライ・ア・リトル・テンダネス」だ!若いうちに航空事故で死んだオーティス・レディングの曲だ。

絶望的な歌詞に挟まれて繰り返されるトライ・ア・リトル・テンダネス、というセリフが心に沁みていく。

誰1人やさしくしてくれないニューヨーカーに囲まれて、志半ばで世を去ったオーティスの40年も前のこの曲を、こうして歌いついでいる黒人がいるって事に俺たちはちょっと、ではなく大分感動した。ケースケは少し涙ぐんでいた。実は俺も。

誰かが少しだけやさしくしてくれたら、誰かに少しだけやさしくしてあげられたら...

穏やかだったメロディが段々高揚してほとばしるような激しさに変わって行く。

この曲を、俺たちは結局数本の電車をやり過ごして最後まで聞き入ってしまった。

「5ドル、だな」
「だよな」

俺たちは目と目を見交し、ポケットから1ドル紙幣を出し、5枚まとめてチップ入れになっている彼のキーボードのフタにそっと置いた。

「へーイ、サンキュー、ガイズ!」

彼が笑顔で礼を言った。

こっちこそ、「サンキュー」。

このR&B最高の名曲が、俺の一番好きな曲になった瞬間だった。

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「ビッグアップル、ビーーッグ・ディール!」

素っ頓狂な声でケイスケが叫ぶ。夜のブルックリン・ブリッジの上で。

いいセッティングだよな。 男が酔っ払って叫ぶには。橋に雪に満月。

いつもは電車の中から見るだけなのに、何を血迷ったか、今夜は歩いて橋を渡ろうって気になったんだ。イーストヴィレッジの居酒屋で酒を飲んだ勢いだな。

厳寒の2月、 寒いの何の。橋の上には昨日降った雪がまだ融け切らないまま凍り始めている。うっかり滑ったらコトだ。

俺とケイスケの吐く息が次から次と煙のように空中に押し出されては消えていく。

「それにしても俺達は一体何をしてるんだろう?なあ、ジュニチ」

俺の名前は潤一。いくらアメリカ人に「ジュン・イ・チ」と説明しても、オーケー、ジュニチ、と言うので最近は面倒なので最初からジュニチ、と自己紹介する。そのうちケイスケまでジュニチを呼ぶようになってしまった。

「吼えてるのさ、月に向って狼みたいに」

ヤツが、川から目をそらし、笑ったような泣いたような顔で振り向いた。鼻水が垂れている。カッコワリー。鼻が赤くなってアイリッシュの酔っ払いみたいだ、と俺は心の中でク、ク、と笑う。

「帰ろっか」

大声で叫んで気が済んだのか、ヤツがぼそりと言う。

「何だよ、さっきの元気はどこに行ったんだ」

ちょっとからかうといつもはムキになるくせにヤツは今日はやけに大人しい。

まばゆく光り輝くマンハッタンに背を向け、俺たちは並んで、凍った雪ですってんころりんと滑らないようそろそろとブルックリン目指し手歩き出した。

ニューヨーク。またの名をビッグアップル。その大きなりんごにかぶりつく為に俺たち2人はこの街にやって来たはずだった。でもりんごにはかすりもしない。

大体、俺たちが住んでるのはニューヨーク市内ではあるけれど、ブルックリンなのよ。

「ブルックリンなんてニューヨークじゃないわ」なんて白人のウェイトレスに言われてしょげたっけ。

今夜アパートに帰ったら何を聴こうかと俺は考え始めてる。

ま、センチに"Now's the Time"の"スキヤキ"でも聴いて日本の事でも思い出そうかな、なんてね。



CD情報
Now's The Time by 4PM for positive music (R&B)
Label:Next Plateau 1994年12月発売
USED品 送料込み800円で売ります。