パパが1月24日に亡くなりました。
「もしかしたら3ヶ月から6ヶ月の余命かもしれません」と言われてから2週間でした。
お正月には一緒に小田原で初日の出を見たし
2日と4日には元気にゴルフにも行ってたし
いつもバカみたいに健康的な生活をしてて、
61歳にしては、顔も体つきも若くて、すごくかっこよかった。
亡くなる前の日には
「明日のゴルフ、ちょっと行けなそうです。元気になってからにします 」
って電話してた。
最後には、苦しそうで
でも、何度も「ありがとう」って泣きそうな声で言ってた。
ユキのパパは、神様の生まれ変わりかと思うほど
ホントに無条件に人を愛せて、ユキをずっと信じてくれてた。
犠牲だとも思わずに、自分を犠牲にできる人だった。
タイミングが悪くって
亡くなった日の夜に、次の日にお通夜をやることが決まったけど
びっくりするほどたくさん人が来てくれて、
ちゃんと、想いがある人がたくさん来てくれて、誇らしかったし嬉しかった。
ユキの友達もたくさん来てくれて
ユキが、いい友達に囲まれてることを、いっつも誇りに思ってくれてたから、すごく嬉しかった。
パパがもしかしたら深刻な病気かもしれないって分かってから
とりあえず、元気なうちに家族そろっておかなきゃって
お兄ちゃんを日本に呼んだ。
お兄ちゃんが帰ってきてから1週間でパパは亡くなって
帰国を延ばして、お兄ちゃんは今日帰った。
ユキは今日までちっとも悲しくなかった。
お兄ちゃんが家にいて、いつもと違う家で、なんだか妙に楽しくて
何が起こったか分からないけど、ずっとヘラヘラしてた。
今日、お兄ちゃんが帰っちゃって
ママと二人になって
何が起こったか、前とどう違うか、分かった気がした。
中学、高校で寄宿にいた間も、NYにいた時も、もっとちゃんとパパに連絡してればよかった。
パパが、絵を描くの辞めたころに、それに気づいて、もっと描いてって言ってればよかった。
NYから買ってきたパパのお土産を、ちゃんと渡しておくんだった。
ユキもお兄ちゃんも遠くにいないで、もっと家族で一緒にいればよかった。
「こんなに早く亡くなっちゃったのは、パパがもういいやって思っちゃったからだ。パパが悪い」って思ってたけど
死なないでねってもっとちゃんとパパに伝えておくんだった。
ママは、もっともっと思うことがあるんだろうなって思う。
パパに、ママを守って欲しいと思う。