サザエさんには御用聞きのサブちゃんが登場する。御用聞きと言うと家政婦、お金持ちを想像するが実はそうでもない。私の家は貧乏だったが御用聞きは来た。業種は味噌醤油カツオブシの乾物屋、米屋、魚屋、八百屋、と言ったところだろうか。米屋を除けば毎日必要なものだ。乾物屋の御用聞きはサブちゃんのような若い衆でどこかの田舎から集団就職で来た。同郷の何人かがこの町の商店に就職した、と彼は用聞きのついでに私の母親に話した。私とはまったくお近づきではなく話もしたことがない、彼は得意先のガキには興味がない口だった。そこはちょっとサブちゃんとは違う。母親曰く、彼はものすごく真面目で働き者、貰った僅かな給料を郷に仕送りして残りは貯金している、お前も見習いなさい、がおまけについた。彼はその真面目さのせいか運のせいか、僅か数年で独立したかもしくはもっと大きな店にスカウトされたかでいなくなった。魚屋は天秤棒を担いでやってきたが、これは前にも書いたように商店街の外れに店を持った。刻苦勉励して成功者となる、一見するとそのようだが、彼らがその後も成功者のままでいられたかどうかは分からない。
何が言いたいのかというと、私が小学校へ行っていた頃は高度成長以前、社会は戦後ではあるが戦前のシステムが機能していた。刻苦勉励すれば、成功とはいわないが何がしかの成果を手に出来た。御用聞きであれば小さな店、魚屋であっても小さな店、零細鉄工所の工員であればささやかな幸せ、運さえもっとよければ、たとえ中卒でも、もう少し大きな成果を手に出来る、その可能性があった。それは子供の私でも、そうであると認識できるほどだった。それが高度成長になって変わった、バブルが崩壊してさらに変わった。昔天秤棒を担いで行商の魚屋をやり、爪に火を灯すようにして貯めた金でささやかな店を開いた男は、あっさりと店を潰してどこかへいなくなった。街にスーパーマーケットが出来たからだ。品質のよい美味い魚は安い魚の敵ではなかった。彼は従来の方法で一生懸命商売に励んだが、経済のシステムや客の購買行動の変化にはついていけなかった。店を閉める少し前、彼は以前のように魚を持ってウチに来たが、母親はあっさりと、いらない、と言った。もうダメか、がっくりとうな垂れた彼からそんな声が聞こえたような気がした。もちろん私はその時の彼が崖っぷちに追い込まれていたとは知らない。そのあと夜逃げしたと聞いたので、ああ、あの時、と思ったわけだ。母親は、高い、の一言。ウチは貧乏なので味や鮮度より安さなのだ。
経済のシステムは生き物なので読みを誤れば食われる。それは仕方がない。彼だって刻苦勉励でのし上がったのだから、その影で潰れて行った人たちはいたはずだ。集団就職で零細企業に勤め、刻苦勉励の果てに大会社の社長になった人は、刻苦勉励だけでなれたわけではない。しかし、と言いながら私は御用聞きがいた頃のことを思い出している。あの当時彼らの前には明るい野原が開けていたのだ。刻苦勉励すれば、無駄遣いせず貯金すれば、人生何とかなった。あの頃の日本社会はもっと貧乏で犯罪が多くやくざが多く汚職も多く寄生虫も多く、けっこうどうしようもない社会だった。政治家は貧乏人は麦を食えと言った。にもかかわらず、何と言ったらいいのか、明るいとか閉塞感がないとか公平だとか言うことはまったくなかったが、未来を信じることだけは出来た。
しかし今はどうだ、総理がいくら経済経済と言おうとも、刻苦勉励すれば何とかなる経済システムではない。いや間違えた、経済のシステムなどどうでもいいのだ。未来は経済システムの関数ではない。金融政策では未来は変わらない。未来は社会の有様の関数だからだ。例えば、アメリカとイギリスを比べて見ればいい。両方とも日本以上に酷い政治だが、アメリカは何となく刻苦勉励すれば何とかなりそうな気がするし、一方のイギリスときたら刻苦勉励しようが学歴をつけようが天井が頭のすぐ上で閉じている気がする。要するに社会の有様、別の言い方をすれば、多様性を抱え込んだ社会か否か、なのだ。
例えば、何時でも何処ででも金がなくとも許可がなくとも焼き蕎麦屋を始められる社会だったらどうだ。年がら年中街のどこかで祭や夜市をやっていて、そこに焼き蕎麦屋を出店できるのだとしたらどうだ。刻苦勉励すれば小さな青空が、そこに見えるのではないだろうか。
「蹲る闇」
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「月と星」
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母が着た紅色結城は六道の迷い道
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真晴猴彦のブログ
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