ゴールのない話。
閲覧数を稼ごうとすればここまでそそらないタイトルはない。
でもアメブロから通知が来る度思うのだが、一般人があくまで趣味でやってるのであって、どうしたら読みやすいか、どうしたら見てもらえるかなんていうのは、いちいち考えたくない。

むしろ僕は「ブログ」という「日記」でも「エッセイ」でも「小説」でも「漫画」でも「アニメ」でも「報告書」でも「X」でも「ツイッター」でも「宿題」でもない謎さに惹かれて始めてみたのだ。

それを「ブログはこう書くものだから〜」などと誰かに邪魔されてはたまったものではない。

もっといえば、他のSNSは全てその心に「誰かに見てほしい!」があるような気がして、もちろん僕もそういう気持ちでやっていたし、その枠の外で文字を綴るということがしてみたかったというのもある。

…何の話をしていたか。

とお思いの方には申し訳ないが、これはすでにバチバチに本編だ。特に話すことは決めていないので、そのとき思ったことをそのまま言葉にする。それがこの投稿「ゴールのない話」だ。

この手の話が嫌いな方はここで退場してもらって構わない。
と言う割にはすでにかなりお付き合いいただいている気がするので、全く他意はなく、感謝の念しかないこと、申し添えておきたい。

しかしここで自分の名誉のために一言言わせていただくなら、一見、僕の自己満のように思えるここまでの文章にも実は忘己利他の精神が宿っているということを主張しておきたい。

では一体誰が得して、何がお前にとって己を削る行為というのか。そうお思いだろう。

そう。得しているのは私だ。
私が私を喜ばせるためにやっている。

こういうと、結局自己満じゃないか、と思われるかもしれないがそうではない。

私は常々、「なんの得にもならんようなつまらないことに熱意を込めているもの(漫画でも小説でもテレビでもラジオでも。)」にずっと触れ続けたいと思っている。

単純に面白いからだ。
しかし悲しいかな、私の乏しい見識では今のところこの謎の欲を満たしてくれるメディアは片手で数えられるほどだ。

だったらおれがやるから。

っていう。そういう流れだ。

…いややっぱり自己満じゃねーか、という声も聞こえてきそうなので、取ってつけたようではあるが他人のことにも思いを馳せるとするなら。

片手で数える程度だったとしても、そのメディアが存在するなら、私と同じような欲を抱えて生きている人間だってゼロじゃないだろってことだ。

早い話、人間なんてそんなに大差ないんだから、おれが好きなもんはみんな好きだろってことだ。

…だから、私と同じようなことが好きな人に届け、と思ってやっているので、そこが自己満とは全く性質を異なるものとしているのだ。

では己を忘れるほど身を削っているというのはどう説明するか?

簡単だ、このブログを書いている今、私は余暇100%で絶賛旅行中だ。

…目的地が近付いてきたので、このぐらいにしておく。