こんにちは!
「低学歴・低身長・低収入のWebライターがタイトルを奪い取る」がキャッチコピーのWebライター@ありさんと申します。
さあて、学生の皆さん、ご卒業おめでとうございます!
そして、受験や就職活動、お疲れ様です!
これからは楽しいことや辛いことが待っていますが、人生を謳歌してください!
さてさて、今日は『母が感じた運命と奇跡』についてお話します。
これには2つの出来事があります。
【競馬新聞にて・・・】
私が産まれるずーっと前、父と母が競馬場へ出かけている時のことだった。
父は途中のコンビニで競馬新聞を買おうと、母と2人でどれにしようか悩んでいました。
「どの競馬新聞がいいかな?」
母にそう尋ねると、眉間にシワを寄せて嫌悪感を抱きながら、ある新聞に載っている馬を指差した。
そして、こう言うのです。
「何か、この馬だけ・・・この馬の名前だけ変・・・浮かんで見える・・・。」
なんと、母が不思議な現象に遭っていました。
浮かんで見えたと言っていた馬はその日、レース中に落馬しました。
怪奇現象!!!
【日本航空123便墜落事故】
これも、私が産まれるずーっと前、父が仕事で出張することになった時のこと。
母に何月何日は出張で飛行機に乗って行くと伝えたそうです。
すると母は何か嫌な予感がしたのか、半泣き状態で父に必死に説得します。
「飛行機乗らんといて!何か嫌な予感しかせぇへん・・・。」
「でも、しゃあないやん。飛行機ってなってるし。」
ところが後日、出張は新幹線に変更となったため、飛行機に乗ることはありませんでした。
父の出張当日になり、母は何となく胸騒ぎをしながらも父を見送りました。
それから数時間後、飛行機墜落事故が発生。
日本航空123便墜落事故
歌手の坂本九さんが搭乗していた便です。
この日、父が予定していた便ではなかったそうですが、もしかしたら父が事故に遭っていたかもしれません。
父の事だけでなく、母は坂本九さん自体好きだったし、だから色々とざわざわしていたんだと思います。
以上、母の2つの運命と奇跡でした。
昔から不思議な出来事に遭遇していたそうです。
それも、怖いことばかり。
まさにアンビリーバボーでした。
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こんにちは!
「低学歴・低身長・低収入のWebライターがタイトルを奪い取る」がキャッチコピーのWebライター@ありさんと申します。
先日、櫻井翔さん好きになって20年を迎えました。
元々、嵐がデビューしてからシングルは何かとテレビやCMで流れているのを耳に入っていました。
A・RA・SHI(ワールドカップバレーボール)
SUNRISE日本(ニュースすぽると)
台風ジェネレーション(ブルボンプチ)
感謝カンゲキ雨嵐(ドラマ:涙をふいて)
君のために僕がいる(エスキモーピノ)
最初は松本潤くん(通称:松潤)が主演されていた「金田一少年の事件簿」を放送していたのを見て、好きになりました。
いや、嵐がって言うより、松潤単体を好きでした。
なぜなら、金田一少年の事件簿を好きだったから見ていたって感じでした。
(堂本剛さんがはじめちゃんをやっているのをきっかけで金田一を好きになり、その流れで潤さんを好きになったってだけです。)
それから5ヶ月ほど経って木更津キャッツアイが始まりました。
最初は「岡田くん!かっこいい~」って言いながら見ていました。
ところが、バンビが登場・・・。
一目惚れしました。
私が人生で一目惚れして夢中になったのは、櫻井翔さんと現在お付き合いしている恋人だけです、てへ。
両親が毎月買っていたテレビ雑誌を見て、嵐のメンバーと知り、その他のメンバーの名前と顔を一致しました。
さらに、「あ、松本君は、嵐だったのか・・・・。」なんてことも。
そして、初めて手に入ったシングルが木更津キャッツアイの主題歌です。
a Day in Our Life
し!か!も!
初回限定盤!
2月6日に発売だったのに、買ったのは3月6日。
というか、買ってもらいました、父親に。
そこから私の櫻井翔さん熱、嵐熱は目覚めました。
家庭の事情で、ファンクラブに入る事できなかったので、社会人になって自分で稼ぐことができるようになってから入会しました。
初めて嵐に会えたのは、入会する前、ローチケで「嵐のワクワク学校」でした。
それから数年後に入会し、コンサート参戦できたのは、「5×20」という記念すべきタイトルツアー。
また出席できた「嵐のワクワク学校」、そして、「5×20」のライブビューイング。
たった1年で嵐と二回も会えることができたので、神様からのご褒美だと思いました。
しかも、初参戦では、アリーナ席ブロック前から2列目!
翔くんの顔を間近で見ることができた感動、相葉ちゃんと目があった感動、、、。
本当に嬉しかった。
私、自分名義でしか応募していないのに・・。
というか、自分名義しか持ってないし、他の人に入会してもらって協力をお願いする、なんてことはしたことありません!
本当に大好きやから。
20年という月日の中で、翔くんには色んな感動を頂きました。
本当に感謝しかない。
これからも、あなたが一番。
いや、一番とかじゃなくて、神です。
好きとはまた別、とても尊敬。
今後も、よろしくお願いいたします。
こんにちは!
「低学歴・低身長・低収入のWebライターがタイトルを奪い取る」がキャッチコピーのWebライター@ありさんと申します。
さて、クイズです!この数字は何の数字でしょうか![]()
92
96.2
101
105.2
110.7
119.2
127
132.5
133.7
135.5
135.3
正解は![]()
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
私の幼稚園年中から中学3年までの身長でしたー(∩´∀`)∩ワーイ![]()
・
・
・
・
いや、(∩´∀`)∩ワーイやあるか!![]()
どんなけ身長低いねん!![]()
平均より10~20cm以上も小さかったわ!![]()
幼稚園なんか100cmもないやん!![]()
小学3、4年生の時点で、4歳下の甥っ子にあと2cmで抜かされる~って言うてました。
ま、そうこうしているうちにあっさりと抜かされ、今では40cm以上の身長差です。
幼稚園の平均身長って、なんぼなんですかね?
やっぱり、100cmは越えてるんやろか?
90cm台だろうが、なぜか私は強く生きてきました。
何か、幼稚園児だった頃、幼馴染に「みんなのお母さん」って呼ばれるくらい、「あかんものはあかん!」なんて言ってたみたいです。
私の母がよくそのことを口にしていました。
やっぱり、背が低く体も小さいと、少しでも大きく見せようって必死なんですよね。
分かってくれる人、どれだけいてるんやろ?
こんにちは!
「低学歴・低身長・低収入のWebライターがタイトルを奪い取る」がキャッチコピーのWebライター@ありさんと申します。
さてさて、暖かくなってきたし、私も短期だけですが働きに行っています。
前職での業務とは違った内容です。
いわゆる、データ入力です。コツコツと作業しています。
転職活動しながら頑張ります。
さあ、今回はタイトルにも書きました「父は小学生の頃、捨てられたらしい」です。
私が産まれるずーっと前のことなので、これが事実か真実かは分かりません。
先日書いた「祖母が6ヶ月ほどで父を産んだ」ことよりも、少し嫌な話になります。
父が産まれてから少しして、台北から長崎県島原市へと引っ越した。
引越し先の家の近所には、これから父の面倒を見てくれるお姉さんが住んでいました。
祖父はこの時どうなっていたのかは、全く知りません。
引っ越してから数年、小学6年生までは平和だったそうです。
祖母は朝から晩まで美容室で働き、父は学校で勉学に励んでいました。
父は歌が上手だったため、1人体育館の舞台に立ってコーラスを披露する、なんてこともあったそうです。
それなりに充実した日々を送っていました。
ところが、そんなある日のこと。
学校から帰ってきた父は、お膳テーブルに置かれた一枚の紙を見つけました。
「お母さんは出ていきます」
祖母は、まだまだ育ち盛りの父を置いて失踪したのです。
近所のお姉さんも同時にそのことを知り、父の事をさらに面倒見るようになった。
お姉さんがいなかったら、父はどうなっていたんだろう?
そういえば、家の近所には海があったらしく、泳いでご飯のおかずの調達をしていたから、泳ぐことは得意だってよく言っていました。
失踪した祖母が大阪にいると分かり、父は小学校卒業後に大阪へやってきます。
中学生のうちに新聞配達のバイトをしながら勉強をし、毎日を慌ただしく過ごしていました。
あれやこれやで祖母と再会できたそうです。
どうして置いていったのか、なんて問い詰めることなかったらしいです。
私たちにこのエピソードを話したということは、おそらく憎悪があったかもしれません。
いや、憎悪があって当たり前ですよね。
だって、一人にされて、生きていけるか分からないんだから。
一人でに考えて子どもを置いて失踪するのではなく、誰かに相談することができればいいなぁって思います。
こんにちは!
「低学歴・低身長・低収入のWebライターがタイトルを奪い取る」がキャッチコピーのWebライター@ありさんと申します。
「君は、きのこの山派?それともたけのこの里派?」
なんてイベントが毎年行われていますね。
私は断然!たけのこの里派!!!
クッキーとチョコレートのハーモニーが堪らないんですよね~。
もちろんきのこの山も美味しいし、大好きですよ?
でも、強いて言うなら、たけのこの里なんです、昔から。
今回は明治さんの商品ではなく、東ハトさんの商品についてです。
先日、久しぶりに東ハトさんが販売しているスナック菓子、「ポテコ」を買って食べました。
昔からこのお菓子が大好きで、仕事中にも独り占めして食べるほど。
あの食感と丁度いい塩加減がとっても美味しくて、やめられない止まらないです。
そして、なげわ。
なげわの細い輪っかなのにしっかりした食感と味!
思わず食べ続けてしまうくらい美味しいですよね?
なげわも好きなのですが、コンソメ味なので、あまり好んで食べることはありません。
(すみません、シンプルに塩味が好きなんです)
食感や味の総合点で、私はポテコ派。
でもな~今、ポテコとなげわから新商品が出てるんよな~・・・。
なげわにも「うましお味」と「のりしお味」があるんだよな~・・・。
食べたい!!!
ポテコ、なげわ、50周年おめでとうございます!
これからも食べ続けます!
こんにちは!
「低学歴・低身長・低収入のWebライターがタイトルを奪い取る」がキャッチコピーのWebライター@ありさんと申します。
私は、鶏のからあげが大好きです!!!
ふぅー、、、やっと言えた、、、。
幼い頃から、鶏のからあげが大好きです。
ダイエットを頑張った
一つの仕事をやり終えた
お腹空き過ぎた、、、
なんて時には必ずと言っていいほど、鶏のからあげを食べています。
恋人と定食屋さんに行っても「鶏のからあげ定食!」と頼むので、「ほんまに好きやなー」って言われます。
はい、認知されています。
なぜ、こんなにも私は鶏のからあげを好きなのかというと、離乳食だった頃に遡ります。
先日も書いた、離乳食以外のご飯を食べちゃう私。
父は鶏のからあげを小さく切って、柔らかくして食べさせていたそうです。
きょうだいみんなが心配していました(笑)
そこからですよねー、私の鶏のからあげ大好き魂が目覚めたのは。
ちなみに、父は鶏肉が全然好きではなかったので、私に処理させていたのかもしれませんね。
小学生の頃、義兄(姉の旦那)が鶏のからあげにマヨネーズかけていたことがあって、私としては全く信じられませんでした。
「え、マヨネーズ、美味しいん?」
義兄はマヨラーであり、からあげが大好きなので、大好物丼をよく姉は作っていました。
私も興味本位でからあげにマヨネーズをかけてみると・・・。
「うんまー!!!」
からあげ大好きマヨラーに目覚めました。
それから数年後、からあげが大好きな私は一度、からあげから身を引く事件が起こりました。
ある祭りへ遊びに行った日、いつものように屋台で売られている黄金のからあげを買って食べていました。
「ん?冷めてる・・・中がパサパサ・・・味も美味しくない・・・」
むやみに鶏のからあげを買って食べていた私は、当分の間買わないように決意しました。
一ヶ月後、やっぱり食べたくなって、ローソンのからあげクンを買って食べました!w
からあげクンも、ある祭りで毎年買って食べています。
からあげクンは、何十個あってもいいですからね。
さらに2、3年の月日が流れ、ある牛丼・定食チェーン店で、牛丼×からあげ3個の定食を食べた時。
普段そのお店には行かないのですが、その日は知り合いの人から「あそこの唐揚げは美味しいよ!好きなら行ってみたらいいよ!」と言われたので、
休日のお昼に食べに行きました。
「うっぷ・・・」
そうなんです、たった3個食べただけで吐き気がしたのです。
味は美味しいのに・・・油が体に合わないのかも・・・。
それからさらに数年。
あるフードコートの鶏肉屋さんへ食べに行きました。
5個入りからあげ定食か、10個入りからあげ定食か・・・。
これは究極の選択・・・。
一つ30~40gなので、10個だと300~400g・・・。
「10個で!」
だって、からあげマウンテンなんて書かれたら、食べないわけにはいかないでしょ!
私はからあげの横に付いているキャベツと、お味噌汁と、白米を綺麗にペロッと平らげ、ご馳走様しました。
2日後、体調不良になるという・・・。
生理前はお腹だけでなく胃も張って荒れだすため、とてつもなく体がしんどくなります。
「くそ・・・生理が近い時はなるべく、からあげは控えないと・・・。」
それでも、鶏のからあげは食べてしまうんですけどね。
何が一番かな~?
鶏もも肉?
鶏むね肉?
手羽元?
手羽先?
手羽中?
ささみ?
悩んじゃうな~?(´∀`*)
あ!食べすぎは禁物ですよ!
こんにちは!
「低学歴・低身長・低収入のWebライターがタイトルを奪い取る」がキャッチコピーのWebライター@ありさんと申します。
もうすぐ春ですね。
今週は日中暖かい気候で何だかとっても穏やかに過ごしやすいと思いませんか?
今年の桜のお花見はどこに行こうかな?
(宴会をするのではなく、桜を見るだけです。)
今日は、赤ん坊続きになりますが、父が産まれた時の話をしようかと思います。
父が他界してもう10年以上になります。
私が二十歳の頃、学生で制作展の準備に大忙しでした。
それでも、早く帰って、父と他愛のない話をして過ごしていました。
父は生前、父が幼い頃の話をよくされていました。
産まれた場所はどこだ、育った場所はどこだ、どんな仕事をしてきたか、など。
私が30歳になっても父は生きていると思っていたから、
もっと父と話をしておけば良かったなぁって後悔しています。
さて、本題に入りますね。
父は1944年、戦時中に台湾の台北市で産まれました。
台湾人というわけではなく、日本統治時代の台湾に家族が住んでいたそうです。
祖母は父を妊娠中で、戦争の最中だった世界にも腹が立っていた。
おそらく、望んだ妊娠だったにしても、このタイミングではなかったのかな?
「子供をおろす」
という選択をしたそうです。
しかし、すでに5ヶ月目を経過し、6ヶ月目に突入していたことが分かると、
「すぐに出産する」
なんて言い出したみたいです。
6ヶ月目だと、重さは約600g。
私が産まれた時よりも未熟な体なのです。
父からも、母からもこの話を聞いたときは「おばあちゃんはなんて無責任な人なんや!」って言いました。
今アラサーになって、自分なりに妊娠・出産を経験していなくても、何となく祖母を責めるのは難しいなと考えました。
本当に6ヶ月目で誕生したそうです。
この時、父のお父さん、つまり私の祖父はその場にいたのかどうかは聞いていません。
もしかしたら戦争に向かっていたのかもしれない。
たしか、父が幼い頃に祖父と会話はしていたと思います。
それにしても、たった600gしかなかった新生児が、すくすくと育って、163cmの50kg台まで成長したんだから。
ご飯をしっかり食べて、運動もしっかりして(運動神経は良くなかったらしいです笑)、何十年と仕事を続けました。
父を殺そうとした祖母は腹立たしいけど、産んでくれたことには感謝しています。
祖母が父を産んで育てていなかったら、私たちが産まれることはなかったですから。
少し長くなりました。
妊娠をしたお母さんが子どもをおろす・おろさないの選択は、究極すぎて自分を思いつめてしまうことになります。
当人がどんな苦渋の決断をしても、周囲がとやかく言うことはありません。
祖母に腹を立った自分が言うのもあれですが・・・。
あの時、安定期に入ってて、6ヶ月目に入ってて良かったなー。
運命の巡り合わせかもしれませんね。
こんにちは!
「低学歴・低身長・低収入のWebライターがタイトルを奪い取る」がキャッチコピーのWebライター@ありさんと申します。
突然ですが、皆さん。
ご自身が離乳食だった頃の話って、ご家族から聞いたことありますか?
私はいくつか話を聞いたことがあります。
「いやいや、そんなわけないやん!」というエピソード。
たしかに乳児の頃って、ありえないエピソードは多いです(笑)
私は離乳食、ミルクどちらも頂いていたと思います。
ミルクはたしか2歳くらいまで飲んでたんじゃないかな?
夕飯、父と母から離乳食を食べさせてもらっていました。
その頃はつかまり立ちもしていて、歩くこともできていたそうです。
「う~~~~」って言いながら、食事中なのに家族の服やお膳テーブルに掴まりながら歩き出す私。
すると、みんなから「あーん」とご飯を食べさせてもらう。
「え、いいん?ご飯いいの?」
「ちゃんと柔らかくしたら食べてもいいよ。」
父も母も、子育て慣れしすぎて、離乳食中の私におかずを食べさせる。
というか、平気で食べる私。
そら、お姉ちゃんたちも心配しますよね?(笑)
ある日の夕飯中。
同じように私はお膳テーブルと、家族の服を掴みながら立ち歩きながらおかずを貰う私です。
さっき十分に離乳食を食べたのに、、、ね?
「え、お父さん、、、、いいの?」
二番目のお姉ちゃんが父に問いかけたのには理由がありました。
なぜなら、小さく切って柔らかくなった鶏の唐揚げを、私に食べさせていたからです。
「大丈夫。何もないよ。何かあったら、お腹痛くなるだけ。」
うおおおい!無責任!
しかしこの後、私の体は丈夫なのか、何も起こることはありませんでした。
皆さんは決して真似してはいけませんよ。
赤ちゃんの体にあった食事をお願いしますね。
こんにちは!
「低学歴・低身長・低収入のWebライターがタイトルを奪い取る」がキャッチコピーのWebライター@ありさんと申します。
初回のブログだけでなく、前回のブログもたくさんの方にご覧頂いて、ありがとうございます!
さらに、いいねまでして下さって感謝でいっぱいです。
今回のブログの内容は、赤ちゃんの時に寝かされた座布団は身長を測るのに使えるよねって話です。
私が産まれて一週間、母と共に産婦人科医を退院し、そのままお家へ帰宅しました。
我が家では、タオルや毛布などを敷いた座布団に、赤ちゃんを寝かせるのが習慣です。
家に保管している座布団の数は多く、結構ふかふかでしっかりした素材でした。
早速寝かすぞ~的な感じで、家族たちは私を座布団に寝かせた。
「あ!この子座布団余ってるで!」
出生時の身長は45cm。
家の座布団は基本サイズの55cm×59cmのもの。
他のきょうだい達も体は小さかったらしいけど、座布団とは丁度くらいのサイズだったそうで。
それから4年もの月日が流れ、一番上のお姉ちゃんが大きくて元気な男の子を産みました。
身長も体重も全部が大きかった。お姉ちゃんよく頑張ったなと思いました。
お姉ちゃんと甥は退院して我が家へやってきました。
1ヶ月半ほどは実家へ預け、母体を休ませるのが当たり前の家です。
我が家恒例、赤ちゃんを座布団に寝かせるイベント(?)が開催。
「え、、、お母さん、、、、この子、、、デカイで、、、。」
甥は、座布団を斜めにして寝かせても、はみ出てしまうくらい大きかったのです(笑)。
たしか、50cm以上だったんじゃないかな?
だから身長を測るのに最適なんです!(笑)
これからご出産だったり、すでにご出産のお母さんは、座布団に寝かせてみてください!
何だか子どもの成長を感じるアイテムにもなるのでおすすめです。

