「人間五十年、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」
幸若舞「敦盛」の一節で、人の世の50年間は天界の時間と比べて夢幻のように儚いという意味です。
これは「人の寿命は五十年」という 意味ではないです。織田信長が四十九歳で他界したのがジャストタイミングだっただけで・・・
「人間五十年、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」
幸若舞「敦盛」の一節で、人の世の50年間は天界の時間と比べて夢幻のように儚いという意味です。
これは「人の寿命は五十年」という 意味ではないです。織田信長が四十九歳で他界したのがジャストタイミングだっただけで・・・
ヒトがチンパンジー属と別れて進化を始めてから、何種類もの人類が生まれ、消えてきました。
この道筋はとても長く、なぞを解くには化石や遺跡、遺伝子などから推測することしかできません。ですから、また新しい化石や遺跡が見つかったり、遺伝子から新たな情報を得られたりすれば、歴史は大きく変わることになります。
現在の私たちであるホモ・サピエンス(アフリカで30万年前に出現しました)は、ラテン語で「賢い人」「知恵のある人」という意味です。これからも賢い人たちは、科学で進化のなぞを解き明かしていくことでしょう。
「1本の矢はたやすく折れるが、3本束ねれば折りがたい」。一代で中国地方の大半を統べる戦国大名に成り上がった毛利元就が臨終の際、枕元に長男・隆元、次男・吉川元春、三男・小早川隆景の3子を呼び寄せて結束を言い聞かせた・・・。
世に知られる「三矢の 訓 」ですが、実は史実と違いがあるといわれています。というのも、元就が亡くなった当時、隆元はすでに死去し、元春は出陣中。立ち会えたのは隆景だけだったということです。
実際に、元就が3人の息子に強い絆を求めた史料が存在します。元就自身が生前にしたためた「三子教訓状」と呼ばれる書状です。巻紙に3人に宛てた14か条にわたる教訓が示されています。教訓状には「3人の仲が疎遠になったら、もう3人は滅亡するしかない」などと記され、兄弟が一致団結して毛利家をもり立てていくよう諭しています。
どこから三本の矢がでてきたのか。元就が死出の旅を前に多くの子らを集め、「たくさんの矢を束ねると折れない」と説いたという話があります。隆元、元春の名はなく、隆景だけが登場します。矢は3本ではないけど、三矢の訓の原型とも見て取れます。
それが明治期になると、修身の教科書にこの言い伝えが載るようになります。子どもたちや矢の数が集約されていき、昭和初期に「3人の子と3本の矢が登場する話」として三矢の訓が定着していったとみられます。