誕生日でした。
 
50歳になりました(^^)
節目ですね。
 
とはいえ、今日も有り難いことに
仕事のスケジュールでいっぱいの1日だったんですが
 
Facebookでは300人近くの方々から
お祝いの言葉をいただき
幸せに包まれた1日を過ごす事ができました。
 
こうしてハッピーな50歳を迎えられるのも
本当にみなさんのおかげだと感謝しています。
 
心からお礼を言います
 
ありがとうございます!
 
 
いやあ、ほんと幸せ!!
嬉しかったです。
 
 
で、50代初めての記事に何を書こうかと考えたんですが、
 
40歳になった時にさ、
「40代は世の中の理を学び、惑わないようになろう」と
思ったことを思い出したのね。
 
 
『四十にして惑わず。』
 
そう、孔子の論語です。
 
で、実際の40代はどうだったかというと
 
やっぱり惑った!
 
だって惑うよ。惑わずって無理だから!
 
孔先生は惑わなかったかもしれませんが
私はしっかり惑いました!
 
これはあれだね、
「四十にして惑わず」の本当の意味は
「40代は惑うから、しっかりしろよ」ってことだよ、きっと。
 
あれ?みんなは惑ってないのかな?
ちょっと聞いてみたいけど、恐い気もする・・・(^_^;)
 
 
で、あらためて論語を引用すると
 
『子曰く、吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。六十にして耳順う。
七十にして心の欲する所に従えど、矩を踰えず。』
 
現代文に訳すと
 
『孔先生は言った。私は十五歳ころから学問を志した。
三十にして、その学問についての見識を確立した。
四十歳の頃では理が明らかになり、物事に惑うことがなくなった。
五十歳になって、天から与えられた使命を自覚した。
六十歳の頃は、何を聞いても分かるようになったし、差しさわりがなくなった。
七十歳になっては、心の欲するままに行うことが、
いつでも道徳の規準に合って、道理に違うことがなくなった。』
 
さて、今日からはじまった50代、
天から与えられた使命、「天命」を知ることができるか?
  
若い頃って「天命」って
なんか凄い事しなくちゃいけない気がしていたんだよね。
 
有名な映画監督になって
世界的な賞とか受賞しちゃって
一躍、時の人になって注目されて・・・
 
でも、
 
きっと「天」はそんなことを望んではいないなぁって
この歳になると考えるんだ。
 
なんだろう、「もっと身近な人から幸せにする」
そういうことが天命なんじゃないかなって思うんです。
  
 
おそらくね、有名な映画監督になるっていうのは
例えば1000万円だとする。
 
で、隣の人をハッピーにするのが1万円。
 
たとえ話だよ。
 
するとさ、1000万円ってなんですか?っていうと
1000万円札っていうのは世の中に存在しないんだ。
 
見たことないでしょう?
 
1000万円って、1万円が1000枚集まってできた結果なのね。
 
それを、いきなり1000万円欲しい!っていうのは
エゴだよね。
 
俺はすごいんだから1000万円札よこせ!って言っても
手に入るものではない。
 
これって、自分本意の考え方で「天命」じゃないよな。
  
天はさ、きっと1万円をちゃんと作りなさいって、
「隣の人を、目の前の人を幸せにしなさい」って、
 
そういう自分になりなさいって
言ってる気がするんだよ。
 
で、「右の人を幸せにしたら、左の人も幸せにしなさい」って、
そうして、5人が10人、10人が100人って増やしていって
 
1000人幸せに出来たら
きっと有名な映画監督にだってなっているんだ。
 
逆に言うと、隣の人 一人を幸せに出来ないで
1000人幸せにするってことはできないじゃん。
 
いくら、そうしたいんだって言っても
それは傲慢だし、無理だよ。
 
1万円も稼げないで、いきなり1000万円手に入ったとしたら
それは偽札だぜ、きっと。
  
 
まずは自分のまわりの人、目の前の人からだよな。
 
夢の叶え方って、きっとこういうことなんだと思う。
 
これが「天」からいただいた「才」の使い方。
 
若い頃は、それが分からなかったから
いきなり1000万円札を探して途方に暮れてた。
 
そもそも、そんなもの世の中に存在していなかったんだよ。
 
小さな成功を、ひとつひとつ積み重ねて
気がついたら大成功になっているんだ。
 
だから、小さな事をバカにしちゃ駄目。
 
いきなり大木が現れるなんてことは
世の中にないんだよね。
 
どんな大木も、小さな種から小さな芽を出して
少しずつ少しずつ大きくなっていくものなんだ。
 
根を張って、枝を伸ばして
雨風に耐えながら大きく育っていくんだ。
 
富士山だって、地球だって、
すごく大きいけど、小さな砂や石が集まってできているんだよ。
 
大きな塊がドーンとあるわけじゃないの。
 
遠目にはドーンって見えるけど
実は小さな集まりなんだよ。
 
この世の仕組みがそうなっているんだから
夢だって、成功だって、幸せだって、絶対に同じだよ。
 
それが道理ってものだよ。
 
目の前の小さな仕事で
目の前の人の役に立って
ありがとうって言ってもらえる自分でいる。
 
常にそんな自分でいられることが
「天」が望む「使命」なんじゃないか?
  
「使命」ってさ、命を使うって書くんだ。
 
限られた命という時間を、
出来もしない自分勝手な夢をただ見ているだけに使うなら
限られた時間に何人を幸せに出来るかって考えた方が
命の使い方としては正しいような気がするんだけど
どう思う?
 
 
「今日から始まる50代、今よりもっともっと
誰かの役に立てるよう自分を活かしていきたいと思います。」
 
Facebookのタイムラインに書かせて頂いた言葉なんだけど
こんなこと考えてたんです。
 
というわけで、7月16日、
「なないろ」で虹の日生まれの田渕、
一人でもたくさんの方の虹の架け橋になるべく
今まで以上に頑張って生きたいと思います。
 
50代、天命を知れるかどうかは分かりませんが
せめて惑わずいきたいな(^^)
 
 
今後とも、ぜひ応援してください。
 
どうぞ宜しくお願いします!
 
 
    誕生日の夜に
 
      田渕研路