年末、年始と 
どれだけ世間と触れずに暮らしていたんだか・・・
 
恥ずかしながら、
大滝詠一さんが亡くなったことを先日まで知らなかったんですね。
 
今年にはいって、鉄骨飲料の監督である村上明彦さんと、
撮影に向かうクルマの中で、
 
村上さんが話の中で
「昨年は暮れにさ、大滝詠一も亡くなって・・・」って言ったんですよ。
 
あまりにサラッて言うもんだから
一度聞き流しちゃったんだけど、
 
その後、頭の中で今の言葉を反復して、
 
大滝詠一が亡くなった・・・・
 
えええっ!大滝詠一死んじゃったんですか?!!って。
 
そしたら「なんだお前知らなかったのかよ!
年末すごい騒ぎだったんだぞ!」って言われて
 
「ああ、ホントなんだ」って。
 
 
 
私が初めて大滝詠一さんのナイアガラサウンドに触れたのは高校の頃。
 
当時読んでいた雑誌にホットドックプレスってのがあって、
これは講談社が発行していた、若い男の子を読者とする情報誌で
バブル期の頃は、いわゆる「デート・マニュアル」として
人気を得ていた雑誌だったんです。
 
マガジンハウスのポパイという雑誌と共に
ナウでヤングなカルチャーを発信していた
この雑誌に「これを聴かなくちゃダメ」みたいに書いてあって
白地の中央にプールのイラストが描かれた
レコードジャケットが載っていた。
 
なんか、オシャレだな。
こういうの聴けば女の子にモテるのかな。
 
やや不純な動機でお小遣いはたいて買ったアルバムが
かの名盤「A LONG VACATION」だったのね。
 
レコードに針を落としてスピーカーから聴こえてきたのは
あまりに美しすぎる音の洪水!
 
大瀧詠一さんの真骨頂である
楽器の音やコーラスを重ねて録音し、流麗なストリングスを重ね、
エコーを効かせた分厚いサウンドに
自分がすごくイケてる存在になれたような錯覚を覚え、
 
1曲目の「君は天然色」を聴き終わる頃には
当時の汚い四畳半の私の部屋がまさに天然色に彩られたんですね。
 
 
大滝詠一さんの声も、歌い方もいい。
続く曲もどれもいい曲ばかり。
 
アルバム1枚を聴き終わった後のあの幸せ感は今でも忘れられません。
 
当時のお気に入りは「カナリア諸島にて」。
 
当時、トロピカルなんて言葉がオシャレで
カモメの置物とか飾っちゃって
サントリーのトロピカルカクテルなんかを隠れて飲んで
南国のリゾートなんかに憧れていた・・・
 
そんな気分を120%満たし
幸せな気分にしてくれたのがこの曲でしたね。
 
あの時、「カナリア諸島にて」に出会っていなかったら
いま沖縄にも来ていないかもしれない・・・
 
そのくらい影響を受けまくったんです。
 
このレコードは本当に宝物で、
何度も何度も繰り返し聴いていました。
 
 
翌年、「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」も入荷日にレコード屋さんに自転車走らせて
飛んで帰って聴きましたよ。
 
1曲目の「A面で恋をして」。もうA面1曲目で恋しちゃいました。
 
佐野元春という偉大なアーティストに出会ったのもこのアルバムでしたね。
とにかくカッコ良かった!
どの曲も最高!
 
そして84年3月には「EACH TIME」が発表されます。
もちろん発売日に購入。

1曲目、「魔法の瞳」から「レイクサイドストーリー」まで全9曲
一気に聴き通して
”ナイアガラ・サウンド”という、とけない魔法に完全にかかっていました。
 
大滝さんの音楽は私の生活の一部で
大学に入ってからも、就職して仕事に行くときも
ウォークマンから大滝詠一さんのサウンドが流れていましたんですね。
 
 
大滝詠一さんが私を素晴らしい音楽の世界に導いてくれたこと。
大滝詠一さんの音楽を聴いてずっと幸せな気持ちでいさせてくれたこと。
 
いまの40代以上の人にとっては私同様、
それぞれの青春の大切な場面に大滝詠一さんのナイアガラサウンドが
流れていたと想像するのだけど、
 
 
私にとってはさらに人生において一番苦しい時期を助けてくれたのが
大滝詠一さんの曲だったんですね。
 
当時、CMのプランニングの仕事をはじめて
7、8年って時だったと思うんですけど
 
仕事で大きな壁にぶつかっていて
どうもがいても抜けられなくて、本当に苦しかったんです。
 
出す企画、出す企画、まったく通らなくなって、
ついには何が面白くて、何が正しいのか
まったく分からなくなっちゃったのね。
 
自分でも面白い発想ができていないって分かっているから
もうCMの仕事やめたいって思ったし、
プライドもズタズタで、精神的にもたぶん鬱っぽくなっていて
死にたいって本気で思ったりした。
 
そんな時、ふと引っ張り出して聴いたのが
「レッツ音頭アゲイン」
 
「レッツ音頭アゲイン」は78年のアルバムで、
コミック・ソングや替え歌に加え、
ヒット曲や洋楽ナンバーを音頭にした楽曲で構成されている
半ばやけ気味に感じるほどに吹っ切れた感が漂う作品です。
 
なぜこのアルバムを聴こうと思ったのか忘れてしまいましたが、
聴いて、肩の力がすっと消えて、
今まで笑えなかったのが笑えたんです。
 
笑えたというのも、曲の作りが面白いっていうことではなくて
 
「ああ、モノを作るってこれでいいんだ!」
 
「余計なこと考えるより、人を楽しませ、自分も楽しむ事が大切なんだよね」
 
って、それまで企画を通したいと思うが故に
人の顔色をうかがうような企画しか考えられなかった自分から
もっと自由に自分の面白いと心から思えるものを考えて良いんだって
開き直れて、本当に心の底から笑えた。
 
あの時、あの辛い状態から立ち直れたのは、
大滝詠一さんの音楽のおかげといっても過言ではないです。
 
本当に感謝しています。
 
後で知った話なのだけど
大ヒットした名盤「A LONG VACATION」の発売は1981年3月21日。

大滝詠一さんは、その10年以上前からデビューし、
何枚かのソロアルバムを発表したのだけど売り上げは惨敗。
 
音作りもメロディーを重視した「A LONG VACATION」とかなり違い、
ロックンロールやら音頭やコミックソングまでごった煮状態で、
音楽の実験的な試みを繰り返しいるんですね。
 
彼の才能を知る周囲の人は、メロディーを重視した作品で
全面的に勝負することを勧めていたらしいのだけど、しかし
そう言われれば言われるほどそれをしたくなかったそうです。
 
でも、そんなことなのでレコードが売り上げが低迷し
そしてついに、この「レッツ音頭アゲイン」を最後に
コロムビアから契約が打ち切られているんですね。

「レッツ音頭アゲイン」はそのせいか、
本当にとことんまでやり尽くしている。
  
そんな大滝詠一さんの最後の実験作だったからこそ
その時の私に勇気とか指針をくれたのかもしれません。
  
いまでこそ、最高にハッピーな毎日を過ごしていますが
いまの私があるのは大滝詠一さんの「レッツ音頭アゲイン」があったから。
この曲は本当に大切な宝物で、大滝さんは私にとっては
いまでも恩人であると思っています。
 
 
大滝さんは、この「レッツ音頭アゲイン」の3年後に
「A LONG VACATION」を大ヒットさせるんですけど、
 
それまでの実験的な部分は微塵もなく、
完成されたメロディーを重視した作品づくりに専念しています。
 
本当に完成された素晴らしい大滝詠一サウンド。
きっとそれまでにやってきた様々な実験が
あの重厚な音を生み出したといえるのではないかと
私には思えるんですね。
 
仮に世間的に評価はされなくても
自分が信じてやったことを知識やわざとして
積み重ねていけば、いつかそれらが大きな花を咲かす。
本当に無駄なことなど
ひとつもないんだと思います。
 
 
テレビCMの「出前一丁」「CIDER’83」
 
松田聖子の「風立ちぬ」
小泉今日子の「怪盗ルビィ」
薬師丸ひろ子の「探偵物語」
森進一の「冬のリビエラ」
小林旭の「熱き心に」
ラッツ&スターの「Tシャツに口紅」「夢で逢えたら」
ちびまる子ちゃんのオープニングテーマ「うれしい予感」・・・・
 
 
CMソングや、他のアーティストに提供した楽曲も素晴らしかったんですが
ずっと待ち続けたソロアルバムは
84年の「EACH TIME」以降、発表されなかった。
 
1997年11月12日に突然、奇跡の様な「幸せな結末」という曲が
キムタク、松たか子さんが出演した「ラブジェネレーション」の主題歌として
発表され、12年ぶりの新作に興奮しました。
 
この曲は大滝詠一名義ではじめてシングルチャートでトップ10入りしたので
覚えている方も多いのではないでしょうか。
 
それから6年後に”恋するふたり”という曲がひっそり発表されたけど
私にとっては「幸せな結末」が最後の曲って印象です。
 
それから16年後の昨年12月30日に
突然、この世を去った大滝詠一さん。
 
私の青春だった大滝詠一さんの音楽。
大切な人を失って残念でたまらないというのが
今の感情です。
 
30年待ち続けた最新アルバムは
もう永遠に聴くことができなくなったんだと思うと
寂しさを感じずにはいられません。
 
 
さきほど話したように、現代楽器のオーケストラのような音、
楽器の音やコーラスを重ねて録音し、流麗なストリングスを重ね、
エコーを効かせた分厚いサウンドというのが
ナイアガラサウンドの真骨頂なのですが、
それを支えているのはアメリカンポップスはもちろん、
日本の民謡や歌謡曲までの莫大な音楽的知識だというのは
誰もが認めるところです。
 
ですが、2013年、昨年の9月20日のFM-NACK5の
坂崎幸之助さんの「K’s Transmission」という番組で
ゲスト出演した大滝さんの語った内容が実に面白い。
 
ここで大滝さんは
 
「アメリカン・ポップスのすべてを自分は知っていると思っていたが、
10%しか知らなかったことに気づいた。慢心していた。
それに気づいたのが2010年だった」と話しているんです。
 
そして、「2012年3月からすべてをなげうって
レコードやCDを毎日聴いて勉強している」と。
 
これ、すごいですよね!
とても勉強になりますよね!
 
偉大な功績を残してきて、なお
自分は何も知らないから勉強しているという、
この職人的精神、学者肌というような、つねに走り続けている姿勢が
きっと数々のヒット作を生んだ源だったのではないでしょうか。
 
私達は10年も仕事をしていると
その仕事のおおよそ全てが分かった気がして
勉強をやめてしまう。
 
ダメですよね。
 
反省。
 
 
こうなるとやはり、さらに勉強をされて作られたであろう新作を
もう聴けなくなったという事実が残念でなりません。
 
 
いまさらながら長々と語ってしまいましたが
大滝詠一という人の死は、私にとっても
それくらいインパクトがあったんです。
 
私は両親を亡くして、人の死って
わりとニュートラルに受け取れるようになったのですが、
それでも、大滝詠一さんの死はやはりショックで、
どんな偉業を成し遂げた人でも死ぬときは死ぬ、
人の人生って本当に儚いなって考えちゃいました。
 
「儚」という漢字が人の夢って書くように、
この世のすべて、人生は夢のようなものであるならさ、
自分が思うように、好きなように生きなきゃダメだなって。
 
大滝さんのような素晴らしい生き方、仕事はできなくても
自分にできる精一杯で儚く短い夢の時間を楽しんでいきたいと思います。
 
大滝さんのように聴く人の心を癒し、幸せにする作品を
作れるかどうかわからないけど
心の師匠の歌声をこれからも聴きながら、
その背中を追いかけていきたいと思います。
 
ハッピーエンド、「幸せな結末」を迎えるその日まで。
 
 
遅ればせながらご冥福をお祈りします。
 
合掌。
 
 


  
 
 
  
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