今日5月22日が吉田秀和の没後10年。

私がgoogleでざっと調べた限りでは大手メディアで吉田秀和の没後10年に触れていたのは朝日新聞だけだった。朝日新聞に掲載されていたのは以下の2本の記事。

 

5/20「いま読む吉田秀和 音楽、美術、文芸を自在にわたる批評・評論の極意」(編集委員・吉田純子)

 

 

5/22「吉田秀和さん、「いま」をも展望 没後10年に寄せて」(作家・堀江敏幸)

 

 

どちらもあまり読ませる内容ではなかった。特に前者の記事は、吉田秀和の没後10年を前に慌てて書いたような記事でほとんど何の中身もないように思えた。ホロヴィッツ初来日の際に書かれた音楽展望をとってつけたように掲載しているのも違和感があった。こういうことを書いた(書けた)音楽評論家がかつて日本にいたのだということを吉田秀和を知らない人たちに向けて発信するという意図があるのかもしれないが、であれば単にこのホロヴィッツを「ひびの入った骨董」と評した音楽展望の文章だけを吉田秀和という音楽評論家を代表する文章として載せた方がよほどよかった。この吉田純子さんという方はたしか吉田秀和を担当していた方だと思うが、それにしては誰にでも書けそうな、薄っぺらな内容ではないだろうか。

堀江敏幸は私は好きな作家だ。特に「雪沼とその周辺」という作品は繰り返し読んだ記憶がある。しかし、こと吉田秀和との関係については吉田秀和との対談(NHK「言葉で奏でる音楽~吉田秀和の軌跡」(2007年放送)などを見ても、憧れの教授に質問をする学生のような感じで、何のためにこの人がいるのか理由がよくわからずなぜこの人が?という疑問を当時も抱いたが今回の文章もやはりぴんとこなかった。これを読んで吉田秀和に関心を持つ人が果たしているだろうか。

 

文句ばかり書いてしまった。でも、これら2本の記事がなかったら本当にさみしい吉田秀和の没後10年であったと思う。だから、朝日新聞が吉田秀和の没後10年を伝えてくれたことに私は一人のファンとして素直に感謝したい。