あるサッカーのコミュニティの人がFacebookを止めると言ってる。深刻な病気で、その人は"もう、長くない。"なんて言ってる。その人がサッカーが大好きでサッカーを愛してることは、痛いほどわかるし理解してる。

サッカーの道は続くけれど、命や生命は無限ではない。有限である。100歳まで生きる人もいれば、もしかしたら今日、不慮の事故で生命を終えるかもしれないのは別に他人だけの話ではなく、自分自身とて避けられない運命なのです。

ボクの嫌いなタイプの人間とは、"全力で生きない人 全力で生きようとしない人"だったりする。例えばそれは、働ける、生命を輝かせる健康な精神や身体を持つのに、働こうともしない働く努力をしない人なんてものです。そんな人は競馬場や競馬業界でたくさん見てきました。

人生は確かに、時には疲れてゆっくり歩きたい時もあるし、路上の石に腰かけてお茶を飲んで落ち着きたい時もあります。一人になりたい時もあります。でも、それは、"人生を一生懸命に生きた人の証"でもあるのです。

ボクは、フリューゲルスが今でも好きです。それはJリーグが始まったときも、フリューゲルスがアジアの頂点に立ったときも、あの天皇杯決勝でも、そして、今も変わりません。ボクは全力でこれからも、フリューゲルスが大好きで愛してるんだろな、なんて思います。

全力でフリューゲルスを好きでいるのも愛してるのも、後悔をしたくはありません。それは例えば、フロンターレのサポーターがフロンターレを愛するように、サンフレッチェのサポーターがサンフレッチェを愛するようなものと同じなのです。

同じようにボクは、日本のサッカーが大好きで、日本のサッカーが強くなることも愛されることも、日本にサッカー文化が根付くことも一生懸命でありたい、なんて思ってます。

【後悔】はしちゃダメです。

"今日はこれくらいにしといてやる"っていう言葉は、人生を一生懸命にやった人の言葉です。確かに、Jリーグの試合も日本代表の試合も、来週も再来週も、来月も1年後もあります。でも、その時に自分が生きてる保証なんかありません。もしかしたら、そのサッカーが"現役としての最期のサッカー"とか、"生涯最期のサッカー"になるかもしれないのです。

【愛を後悔しちゃダメ。愛することを後悔しちゃダメ。愛を、愛することを手を抜いてはダメ。】