ウェルスダイナミクス眼鏡 -189ページ目

日本人と裁判員制度

今日は、裁判員制度の話を、ちょっと違った視点から見ていきます。



私が最初に裁判員制度のことを聞いたときに危惧したのは、自分自身の意見を持つこと、あるいは、それを公表することに慣れていない日本人にとっては、負担ではないか。

負担どころか、自分の意思と異なる決定を他に流されて行ってしまうのではないかということでした。


これは、国民性として、日本人がウェルスダイナミクス・スクエアの下側に位置することに関連しています。


上側に位置する、メカニッククリエイタースター に比べて、下側のアキュムレータートレーダーディールメーカー は、環境・状況にうまく対応します。


「うまく対応する=影響されやすい」 ということでもあります。独自の意見に固執するというタイプではなく、「和」や「損得」などを考慮します。

ここが、日本人はポリシーがないと言われる所以です。




しかしながら、私の心配は取り越し苦労だったようです。



私は、アメリカと同じように、裁判員達が集まって、話し合い、裁判員としての意見を一つにまとめるんだと思っていたのです。


アメリカでは、陪審員12人が一つの部屋に集まって、「無罪」か「有罪」か、一つの結論を出さなくてはなりません。

日本でこれをやった場合、もし一人の影響力の強い人物がいたら、簡単に他は巻き込まれてしまう危険があります。「和」を重視し過ぎるあまり、また、慣れていないため、個人の意見を曲げてしまう恐れがあります。




でも、日本の制度は異なっていました。


日本の裁判員制度では、裁判員として全員の結論をまとめる義務はなく、一人一人の意見を単に多数決で反映させるというシステムなんです。それも、裁判官達のアドバイスや、判例を考慮しながらです。



いくらなんでも、これ位ならできるでしょ。 と、いう感じです。



国に対して、文句ばっかりの日本人。


勉強がてら、新しい世界を垣間見ながら、お役に立てるのだったら、是非裁判員を体験してみたいものです。