アメとムチ、あなたはどっちでのびる? ブログネタ:アメとムチ、あなたはどっちでのびる? 参加中


私が、これまでのビジネスで伸びたり理由を振り返ると、やはり”ムチ”でしょうか。


かといって、私が褒められたくないという訳ではないのです。それでも、他愛のないコトで褒められれば、何だか怪しいとか、穿った見方をしてしまうこともあるんです。意外なところで褒められたら、嬉しい反面、恥ずかしい気持ちもあります。


やはり、褒められて本当に嬉しいと言う時は、自分が頑張っている最中で、かつ結果が出た時ではないでしょうか。部下には、”頑張ったな。”と思えるときに、心から褒める、褒め尽くす方が伸びるような気がします。反面、頑張っても結果が出ないときもあるもの、そんな時には、”労い”が必要なのでしょう。


小さなコトを見つけて褒めるコトも大切です。それでも、先のような褒める=嬉しいに直結しない場合には、”伸びる”というコトには繋がらないのではないかと思います。また、褒めることで油断をしてしまうコトもあります。あと一歩のところで気を抜いてしまうと、またそれは成長には繋がらないこと。バランスは難しいですね・・・。(汗


疲労困憊して、ゴムが伸びきってしまうのもいけないのですが、ゴムが伸びない、というのも、成長には繋がらないのです。そこには、ゴムを伸ばそうという自己の意識であったり、ゴムを伸ばしたいと思えたり、ゴムを伸ばせる環境というモノが、大切でこれは本当に難しいモノだなとマネジメントをしていて感じます。


私は、これでもかというばかりに、怒られたり、罵声を浴びたコトもあるのですが、正直言いまして、内心では・・・腹が立つんです。怒られた相手に感じることもあるのですが、出来ない自分に腹立たしく思ったり、”悔しい”と思う気持ちです。この悔しい、次こそリベンジだ!という気持ちは、伸びる上で大切なコトではないでしょうか。


自分なりに頑張ったとか、何で相手の求めるモノと違うのであろうか?と、相手の話を聞きながら考える・・・。相手を変えようとするより、自分の対応を変えた方が早いですから、相手が本当は何を言っているのだろうか?何故、ダメだったのか?と考える・・・。


キツイし、逃げたくもなりますが、また同じ思いをするのは嫌ですから、そんなコトを考えます。

そして、それを飛び越えたときに、クライアントからの”ありがとう。”があったり、クライアントの売上向上になったりして、また頑張ろうと思えるから、伸びるのではないかと感じます。


あとは、クライアントであったり、協力会社の方、同僚や後輩なども、自分が伸びる上で必要な人たちです。愚痴を言い合うようなことがあまりなかったのは、良い環境だったのかなぁとも思います。ま、中には、職場で言うような人はいましたが、仕事帰りにそういう人たちとは飲みに行ったりしませんでしたから。


広告業界に入った時には、創業期入社のため後輩(でも、励まし合う環境は多少はあったかな。)しかいませんでしたが、それまでの数々のバイトでも、”これでいいよね。”という足の引っ張り合いではなく、”こうしたらもっとお店が良くなるよね。お客様が喜んで頂けるよね。”と話せる仲間がいたことも大きいと思います。感謝!('-^*)/


【追記】


ふとしたことがきっかけで、大人の絵本を読みました。

不幸な子供/エドワード ゴーリー
¥1,050
Amazon.co.jp

アマゾンの商品説明を見て頂ければ分かりますが、とてつもなく”不幸な”話です。


アメとムチで感じたのですが、確かに私は”ムチ”で伸びたのかもしれません。でも、誰かに与えられた”ムチ”でもないのですよね。”運命”や”宿命”ってあるモノなのかもしれません。それを受け入れるコトも大切なのかもしれません。それでもねぇ・・・、”主体的に”というコトは何なのかなと・・・。


そんな運命にあったことが”不幸な”のか。

主体性を持つコトが出来ずにいたことが、”不幸な”のか。そんなことも考えた絵本でございました。


親の幸せ七掛け論であるとか、昨今ではネグレクトの問題も取りざたされてはいますが、ADにせよ、色々な家庭に様々な問題もあり、一見幸せそうに見える人でも、全く悩みがないという訳ではありません。それでも、どうにもならないことを受け入れながらも、懸命に生きている人もいる訳です。


目には目をと言わんばかりに、直接の相手ではないところに刃を向いても淋しさは埋められないのですよ。家族がいようとも、孤独死をする人もいますし、中には、どうしようもなく子供に痛い目を負わせた人だっているでしょう。しかし、親が行方不明になっても、その両親の墓石を建て、墓守をする人だっています。まぁ、いろいろ・・・。


片や親の庇護でトラブルを表沙汰にならないように図られていながら、自ら致命的な事故を起してしまった人のニュース。まぁ、これもさして大きな問題にならないのかもしれませんね。


確かに、家族や地域コミュニティは、機能を失いつつあるのかもしれません。それでも、どうしていくのか?それは、誰が何を決めて、自分の人生の責任を負っていくのか?真理は我が内にあり。


※ちなみに、作者のエドワード・ゴーリーですが、サクッと検索してみると、1925年生まれのアメリカの絵本作家です。日本では、2001年に発売されたようですが、この作品自体、何年に書かれたのでしょうね。絵本作家としてのデビューは、1953年だそうです。グリム童話的な昔のお話かと思いきや、そうでもないのですね。