私はシンガポールで企業の社員として働いた経験があり、
また経営者として現在社員を雇用していますので、
日々向き合っている問題です。
シンガポールはとかく金銭に価値の比重が置かれている
という印象があります。
これは、「拝金」だとかそういった単純な問題ではなく、
日本と違い子供のころからお金に関する教育をかなり
受けていますので、考え方のベースが違うのです。
雇用についても、給与が高い職場を求めて次々と転職する
のは日常茶飯事。こちらで仕事を進める上でこの習慣は
不自由この上なく、取引先の社員が数か月もすると
いなくなる、またせっかく採用してもさっさと辞めて
しまうというのは頭の痛い問題です。
そのような環境であると、会社側も社員をじっくり教育する
よりも、どんどん試して即戦力を入れようと考えます。
誰でも知っている大企業でも、社員の雇用を安定させて
育てようという発想になかなかなりません。
どんどん辞めて、どんどん入れる。
社員は有給も含め権利をしっかり主張する。
非常に刹那的な労使関係です。
(もちろんすべての企業がそうという訳ではありませんが)
翻って、日本企業は社員を「持ち物」だと考えているふしが
あります。上の言うことは絶対。会社のためにはサービス
残業も当たり前という発想は、会社全体が家族であり
自分がかつて体験したことを後輩にも強要しようという
縦社会の表れです。
私がかつて所属した日本の会社でも「社長は会社の誰より
も働いているんだ」という美談を日々聞かされていましたが
若かりし私は「それは当たり前では?」と冷ややかに
聞いていた記憶があります。
またひとたび会社を辞めると表明すると、社内で嫌がらせを
受けたりします。長く一緒にやっていく前提であるからこそ、
会社の価値観に染まらない人間を排除しようという村社会
的な風土ができやすくなるのです。
(これももちろん会社にもよりますし、今後は変わらざるを
得ないと思います)
このような両国の価値観の違いは、しばしばトラブルを
生みます。
日本人がシンガポールで人を雇い、そこに日本的価値観を
持ち込んで失敗するケースは枚挙にいとまがありません。
その主たる理由は、シンガポール人は会社で働くことを
「会社側がやってほしい仕事を報酬をもらっておこなう
契約」だと思っているのに対し、日本人経営者は
社員を「会社の命令に従って言ったことを何でもやって
もらえる存在」だと思っていることに多く起因します。
「契約」というものは基本的に双方の立場は平等です。
しかし日本人は前回の①のコラムでも書いた通り、お金を
出す方が偉いという潜在意識もあるためか、会社>社員で
入社した以上はいろいろな要求に応えてもらいたいと思う
傾向があるようです。
それが行き違いを生む原因となりがちです。

さて問題点を先に挙げましたが、シンガポールの雇用
文化、日本の雇用文化、それぞれ良い点もたくさん
あります。
まずシンガポール人は「挑戦」することに寛容です。
国が成長してきたという背景もあり、未来に楽観的です。
女性の社会進出が進んでおり、民族も入り乱れている
ので、人種・性別における差別が少なく、
また日本の様な年功序列がないため、高スキルな人は
若くても活躍できます。
しかし低スキルの人は年をとっても所得が上がりません。
それはある意味「恐怖」だと思いますが、高い評価を掴む
ために努力を続ける必要があるという活力は生まれます。
次に日本企業の良い点。これは経営者として採用するとき
に感じます。若い頃日本の企業で働いていた人は、仕事の
基礎をきちんと学んでいる人が多いのです。
外国で仕事をしていると、余裕がないため仕事を進める
上で大事な基礎が身につかないことがあります。
家族的な日本の企業で何年かしっかり基礎を身に付けて
いれば、それはその後の社会人生活で大きく役に立ちます。
余談ですが、弊社はこの点をカバーするために、零細企業
であっても社員教育に時間とお金をかけています。
それは自分が昔、日本の会社で教わってきた経験を社員
にも経験させてあげたいからです。
ちょっとした投資ですが、自分のそういった価値観は日本
企業で働いた経験があるから培われたものです。
日本は景気悪化から企業はかつてのような家族主義が
取れず、ドライな風土も広がりつつあるかと思います。
逆にシンガポール企業は今後、もっと従業員に優しい
会社を目指すようになるかもしれません。
これからは互いに少しずつ変わるでしょう。
思い起こせば、私は大学生の頃、社会経験もないまま、
当時流行りだした「企業の成果報酬」に関する論文を
書いたこともありました。しかしなかなかどうして、
この「雇用」の問題は単純ではありませんね。
日々勉強中です。

※写真は先週、26年ぶりにストライキをおこなった
シンガポールの中国人バス運転手達
