それは私が小学生の頃の話なので、そのぐらい昔の出来事なわけだけれど。
当時「ムツゴロウ動物王国」というのが北海道にあって、たくさんの動物たちと動物博士のムツゴロウさん、そしてスタッフの皆さんが楽しく暮らしているという、それはそれは素晴らしい王国での話。
ただ、そのぐらい昔の話だからちょっと記憶が曖昧なのね。ごめんなさいね。
動物王国にはたくさんの犬が暮らしていました。犬っていう動物は、人にはとても従順なんだけれども、犬同士となると完全な縦社会。強いか弱いか、うまいことやっていけるタイプかやっていけないタイプか。それが犬社会のすべてを決めていくのだ。厳しい世界なのだ。
さて、その中に負け犬ムクはいました。
私の曖昧な記憶をたどるに、ムクは動物王国初代の犬で、なんだったらムツゴロウさんが北海道にやってくる前から一緒に暮らしてたぐらい初期の犬で。大家族の長男、みたいなポジションの犬なわけで。それなのに、ああ、それなのに負け犬なわけで。
スタッフの方は、何とかムクを犬社会でうまくやれないかと何度も何度もチャンスを与えるのだけれど、臆病なムクは周りで見張っている犬たちへの恐怖に耐えられずに「ワフッ!」と一声吠えてしまう。すると、その声を待っていたように周りを取り囲んでいた犬たちが一斉に襲ってきてウワーッとやられてしまう。ほんで慌ててスタッフの皆さんが救出に向かい、また負け犬のグループに戻ってくる。
そんなムクに死期が近づいてきます。
負け犬サークルの中で暮らしていたムクも、お家の中に入れてもらい過ごしていました。ムクも自分がもうすぐ死んでしまうことをわかっている様子でした。ムクはあまり上手に動かなくなった前足を挙げて「お手」をします。誰も「お手」なんて言ってないのに、何度も何度も前足を挙げて、見えているのかいないのか、誰の手を求めているのかも分からないけど、ただ何度も「お手」をします。何度も何度も、負け犬ムクは「お手」をします。そして、間もなくお星さまになりました。
私がそれを見たのは、小学生の頃だけれど、それから時間は恐ろしく早く流れつつもしっかりたっぷり過ぎていったけれど、「お手」をしている負け犬ムクのことはずっと心に残っていて、思い出すたび胸がぐうぅっと締め付けられるのです。
それはどんな気持ちなのか?
なぜぐうぅっと締め付けられるのか?
例えば、普通の飼い犬だったムクが犬社会に突然入れられて負け犬となり、仲間に馴染めず死んでいったことへの悲しみとか?
いや、違うんだな。そうじゃないんだな。
たぶん悲しみではないんだな。
可哀想かと問われれば可哀想だと感じているのだけれど、可哀想な犬の話なんて、犬好きの私ならもっと知っているはずなんだな。それでもムクが、長い月日において、ぐうぅっとさせる。
それはきっと最もピュアな何かを感じるからなんだと思うんです。
ムクに残っているのは、負け犬だったこととか、犬だらけになって飼い主との密な関わりがなくなったこととか、そういう過去を生きてきた人生ではなく。あえて人生としますよ。
ただ、愛する人への心を「お手」に託したのではないでしょうか。
愛というものを「お手」に表現したのではないでしょうか。
心というものを「お手」に表現したのではないでしょうか。
なんて、ぐうぅっとくる表現なのでしょうか。
ああ、もう可哀想!
あれ、やっぱり可哀想なんかな・・・?
いや、違う。
とにかく胸がぐうぅっとくるんだ。
言葉になんて表現できるか!
このハートに感じる、この感動を、何年たっても消えることのないこの胸のぐうぅっを!
つまり、負け犬ムクの話で私が考えたことは
「このぐうぅっとくる感じが、すべてだ!」
ということ。
考えるな、感じろ!ってことだ。
・・・どこかで聞いたことあるフレーズですな。
それと、負け犬だろうが勝ち犬だろうが、犬は愛すべき友達だということ。
