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米軍普天間飛行場の嘉手納基地統合案に抗議する町民の心の奥底に憤まんが渦巻いていた。そんな情景が町民大会にあった。

 13年前、普天間返還が決まったときにも移設先として嘉手納が浮上した。

政権が変わっても同じ問題で町民は抗議集会を開かざるを得ない。

日米両政府は沖縄の「負担軽減」を言い続けてきたが、その約束は履行されないまま年月が過ぎた。

 町内の学校では突如として襲うジェット機の爆音が授業や校内集会を中断させ、児童・生徒はじっとやり過ごすしかない。

家族の団らん、友達との談笑が遮られる。

深夜でもお構いなしに離陸する戦闘機に安眠を妨げられる。

 1996年、日米両政府は騒音防止協定を結んだ。

まったくのザル協定だった。

「米軍の運用上、必要とされる離着陸を除く」とあるが、日本側には必要な運航かどうかを峻別(しゅんべつ)する権能がない。

 住民生活よりも米軍の運用が優先される構図が変わらないまま、新たな負担軽減策とセットで嘉手納統合を持ち込み、町民を説得しようとしても無理な話だ。

 町民集会が始まる直前、宮城篤実町長は記者に囲まれていた。

「全国で応分に負担するなら話は別だが、いまのやり方はあまりにも理不尽だ。

私は与えられた使命をまっとうする」。

そうコメントして壇上に上がった。

 町長は「政府には再三期待を裏切られた。

いかなる説明があっても絶対に乗らない」と明快だ。

「(統合案を)粉砕しようではありませんか」と呼びかけ、会場から大きな拍手をあびた。

 政府の裏切り―。

一例を挙げると、91年に閉鎖されたフィリピンのクラーク米空軍飛行場から空軍第353特殊飛行隊が、次の配属先が見つかるまでとの約束で「一時移駐」した。

ところが、米空軍は93年9月、嘉手納に「常駐する」と一方的に通告した。

 寝耳に水だった。

当時の大田昌秀知事、宮城町長も猛反発したが、結局いまも嘉手納に居ついている。

 米軍再編で厚木基地(神奈川)の空母艦載機と普天間の輸送機を岩国飛行場(山口)へ移転するために日米両政府は調整に数年かけた。

嘉手納のF15戦闘機が本土で訓練移転するようになったが、米本国からの外来機は増えた。

 米軍の一方的な決定で新部隊が常駐化し、日本政府もそれを黙認する沖縄への対応と、本土での基地再編ではやり方がこうも違う。

県民は何度も砂をかむような思いをさせられている。

 町民大会には「うるさい。授業どころではない」と書いたプラカードを持つ親子がいた。

老人会の代表は壇上で「子や孫に申し訳ない」と次世代への責任を語った。

 嘉手納町民大会に次いで8日も普天間の県外・国外移設を訴える県民大会が宜野湾市で開かれる。

 県内移設は明らかに民意から遊離している。

この状況をつくり上げたてきた原因を新政権は真剣に検証すべきだ。

 住民の理解なしにあらゆる政策も成り立たない。  


【ワヤクチャ】米軍出ていけ!代替地など必要ない。米軍が日本を守るとは思っとらん。