「つもり」がなくても、結果を容認していれば「未必の故意」
http://www.asyura2.com/07/senkyo34/msg/865.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2007 年 5 月 18 日 13:14:41: SjhUwzSd1dsNg

(回答先: Re: どんなDVDか?というと ⇒ 青年会議所による「洗脳セミナー」(土佐高知の雑記帳) 投稿者 gataro 日時 2007 年 5 月 18 日 11:33:42)

>私たちは戦争を肯定するつもりはありません。
>ましてや歴史を改竄するつもりもありません。
>・・
>まあ、それはさておき、小瀬川学氏は「私たちは戦争を肯定するつもりはありません」「ましてや歴史を改竄するつもりもありません」といいながら、プログラムの中身を見るとある特定の勢力の歴史観にもとづいて、思いっきり戦争を肯定し、歴史を改竄しているのには唖然とさせられる(これは公約違反だろう (^○^) )。

「つもり」がなくても、結果を認識・容認していれば「未必の故意」という。

「戦争を肯定するつもりがない」(意欲の不存在)ということと「思いっきり戦争を肯定する」(行為)ということとは、厳密に言えば、両立可能である。しかし、「思いっきり戦争を肯定する」という行為を認識・認容して行えば、未必の故意があるというのだ。

----

http://www.court-law-office.gr.jp/mini-jiten/jiten-html/ma-line/mi/mihitu-no-koui.htm  

「未必の故意」とは、ある行為が必ずしも犯罪としての結果を生じさせると確信しているわけではないが、もしかしたら結果が生じるかもしれないと思いながら、その結果が生じてもかまわないと思いつつ行為を行った場合をいい、その場合も「故意」があるとして罰せられるんじゃ。