この世が物質だけでできていると考えると意識がどのような物質からできているのかという難題にぶつかる。


そこでこの世は物質と精神からできているという二元論が取られる。


そしてその精神が神の一部だと考えると一応言葉で説明できた気になる。


しかし、それは心的現象に名を与えたに過ぎない。


何も解明できていない。


宗教家は心的現象に名を与えて説明できたと思う人々だ。


創価学会員は人間の全てを知っている気になっている。


彼等が知っているのは人間に恐怖を与えて操縦する術だけだ。


人を幸せにするのは創価学会で上位の地位に付く事でしか実現しない。


池田大作だけが幸せなのであり部下はそれのおこぼれに預かろうとしているだけだ。


宗教は道徳を利用して人を支配する道具だ。


「信じる者は救われる」という事は「信じない者は救われない」という事だ。


信仰への脅迫観念こそがすべての宗教の人間支配の手段である。


不幸があったら「信心が足りないからだ。」と済まされてさらなる教団への寄付が強要される。


これは無限に搾取できる論理だ。


我々に必要なのは道徳であり宗教ではない。


「人を殺してはいけない。」という事が必要なのであり「異教徒を殺せ」という事をやめさせる事が必要なのだ。


道徳を確立しよう。


このことこそが宗教被害から逃れる最大の手段だ。


道徳と言えば修身のイメージがつきまといあまりいい印象はないだろう。


しかし、修身は道徳を国家主義的に歪められたものであり、国家主義を排除した「自分が自分を管理する」道徳が必要なのだ。


我々の生は他者によってもたらされ他者によって生かされているものだ。


他の生物をいただく事によって我々は生かされている。


この事を常に心の中に持ち自分を生かしてくれているこの世に恩返しをするという発想が必要だ。


このブログで私は恩返しをしたいと考えている。