1970年5年生の夏休み、
万博会場で迷子になっていた。
前述の白人ファミリー4人を見送るよう見て
振り返ると、さっきまで前にいた父母が居なくなっていた。
とたんに慌てて、人混みをキョロキョロ探しても、あまりに大勢の人々の往来が、
私と家族をどんどん引き離していたんだろう。
田舎から連れてこられた、5年生は
すっかり気落ちしてとぼとぼと歩いていた。
何分?何十分?時間の感覚はないけれど、
段々、自分が"迷子"になっていると自覚したとたん、じわじわと涙が出て、そのこと事態にまた落胆していた。
そんな時だった、会場の警備員さんに声をかけられた。
「1人でどうしたの?」
「お父さんとお母さんは?」
警備員さんからすれば、
私のような彷徨える子供たちとの遭遇は
日常茶飯事であり、保護するのも仕事の一つだったろうから、
いかにもポツンと1人で半べその子供を見れば
"迷子"発見→確保という流れだったのかもしれないが、
「家族とはぐれました。」
「○○県から来ました」
警備員さんの質問に答える私に
「大丈夫、ココは日本だから。」
数々の問いかけ問答の中で、
この言葉が何故か1番私を安心させていた。
その後私は迷子センターという詰め所のような場所に行き、
名前や住所を聞かれて、場内アナウンスをして待機することになるんだけど、
そこに数人いた迷子の中で、
断トツに年上なのがかなり恥ずかしかったのを覚えている。
ギャン泣きしている幼稚園児の前では、
もはや泣くことは出来なかった。
人混みの荒野から、
砂漠のオアシスのような迷子センターに来たことでかなりの安心感もあり、
しばらくオリの中のお猿さんのように
センター内から行き交う人たちを見ていた。
迷子センターは、中からも外からも
互いが見つけやすいように、
交差点のような場所のど真ん中に、
ガラス張りで建っていたので、
アナウンスで駆けつける親が見つけやすい場所になっていた。
少し落ち着いて外を見ていると、
お母さん?!!と思われる人が通り過ぎたような気がした。
急いで駆け寄ると抱きついて泣いていた。
当時、弟が6才の年長さん、
幼児には迷子バッチが配布されていて、
両親も弟に神経が向いていただろうに、
まさかの小5、11才の姉の方が迷子になるとは思ってなかっただろう。
私にしても、
この万博での迷子の件は、
大人になってから、思い出に残る笑い話にして話せるようになるまでは、
小中高時代に絶対に口にすることはなかった。
あれから55年もの月日が過ぎ去り、
再びの大阪万博で久々に思い出して
息子たちにまたこのオチのない思い出話をすることになった。
。。とここまで書いていたのに
中々アップすることなく、
タイミングを外してしまいました。
やっとお話を終われます。