Ordinary

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Today is the first day of the rest of my life.

Amebaでブログを始めよう!

社会人になって3年間の働き方で、その後の仕事人生が決まるとよく耳にします。
というわけで自分なりに今後の働き方、というか仕事に対しての姿勢をまとめる意味で
自分用のメモとして残しておきます。
丸3年たった4月頭に書こうとしたのにもう桜も散ってしまいました。
7つなのは特に意味はないです。たまたまです。
日本人は奇数が好きみたいです。337拍子的な。



プログラマとしての誇り



変なプライドはたしかに捨てなきゃいけないとは思います。
特に新卒の時期はがむしゃらさが必要なので尚更です。
でも忘れちゃいけないのは自分がなぜ働いているか、
なぜその仕事をしているのか、という振り返りをすることです。
技術が好きで、良いシステムのために力を尽くしたいのならば、
置かれた環境に甘んじることや言われたことをただただ身を削ってやることが正しいでしょうか?
ある面では間違ってはいないかもしれないけれど、
自分自身にとって本当に何が大事なのか、技術と向き合って時間を費やすことがどれだけ必要なことか
ちゃんと考えて動かなければただ作るだけの底辺プログラマでしかいられない。
お前のものづくりはそんなものかと、定期的に自問自答していくべきかなと思います。



自身の成長



何かをやらされたりやらなければいけなかったり
やりたいと思ったりやりたくないけれどやりたいと思うようにしたり
人間なのでいろいろあるけれども、まどろっこしいことは置いておいて
自分の成長をいちばん大事にすること。
尊敬している方も口をそろえて
「自分が一番成長できると思う環境に身を置きなさい」
「聞こえは悪いけれど会社を利用しなさい」
と言っていて自分もまったく同感なわけで。
要するに、結局自分の成長がのちに会社の成果や成長につながっていればいいわけです。
逆に自分の成長に繋がると思えることは、顔色うかがってペコペコするのも苦ではないです。
良い部分を吸収するために尊敬する人にかわいがられるようにして
したたかに自分の力としていくのは良いやり方だと思います。そういうところで無駄なプライドは全くもって不要ですね。
ちょっと話は変わりますが、そもそも人のために働くのって俺はなんか違うと思うんですよね。
好きで一生懸命向き合いたくて、一回きりの人生で成し遂げたくて苦しくて、
そうやって自分事で向き合っている方が結果的に会社のためにもなる
人のためにもなっているかもしれない。それぐらいでいいと思います。若輩者だし。
そういえば入社の時に教えていただいたことで一番印象に残っているのは
アメーバのように柔軟で、ビジョンの達成方法は一通りではなく、
いろんな人が全力でいろんな方向を向いていて、でもそれがしっちゃかめっちゃかな方向ではなく、
それらをかかえられる器がめちゃくちゃ大きくて、力強い会社なんだっていうことです。
これは3年間で身を持って感じられました。
一方向しか受けつけない、賞賛も批判も無い組織は健全ではないと思いますし。
ちょっと脱線しましたが、どの環境にいても自分の成長については見失わないように気をつけたいです。
成長できていないと思ったら危険信号だと思うようにしよう。



やらないことを決める



3年間突っ走ってきて、新卒は仕事を選ばず何でもやった方が良いし、実際そうであったと思っています。
今後も同じように突っ走ることは必要なのだけれど
やれること、できることが増えただけにやらないことも明確化しなければいけないのかもなと思いました。
やらないことを決めることで、自分の本当にやりたいことを見出すという感じ。やらないって決めることって難しいしリスクだけれど。
どの分野が得意なのか、どの部分を極めたいのか、これって入社した時もそうだったし今でも答えにくいと思います。
だからこそ、オリジナルな技術力がこれからとても必要になってくる気がします。
幅広いだけではなくて、この3年間で触れてきた技術で自分にしっくりくる分野はいくつかあったと思うので
極める時間をつくってより深く学び自分のものにしていきたいです。



コミュ障でなければエンジニアでない



こういう書き方すると脊髄反射な人もいるし自分でもあまり印象は良くないなとは思うのだけれど
まあずっと思っていることなので。前の記事とかに書いた内容と似た感じです。
どうしても技術に尖るためには内向的であることが大きく関係していると思います。
なのでコミュニケーション能力がどうだとかでエンジニアを判断するべきではないです。
エンジニアだってGitHub上やはてブ上でエキサイティングなコミュニケーションをとっていますよね。
まあたしかに人を雇うという面で最低限の仕事の会話ができないとかはまたちょっと別の話になるけれど。
就職活動していた時に、技術力重視とか言ってるわりに自社開発してなくて
コミュニケーション能力がどうだとか言ってた会社とは到底分かり合えないと思うので
そんな会社にいかなくてよかったなーと思っています。
そう考えるとこの3年間、本当にありがたい環境にいたのだなと思います。あ、退職エントリじゃないですww
エンジニアやクリエイターと接するのは難しいかもしれません。
そういう意味だとお互い歩み寄らなければいけないとは思います。
コミュ障なりに、ブログを書いたり、プロダクトを生み出して表現したりというところに力をいれていくべきだと思いました。
コミュ障でなければエンジニアでない。



属人性の排除



フル稼働で働いていると、例えばプロダクトのリリース時期であると、
一人にかかる負担はとても大きいです。メインの開発者であれば尚更です。
正直このフェーズでは、属人性の高さについては仕方のないものだと思います。そう思うことにしました。
しかし声を大きくして言いたいのは、運用に入る時に、更に成長させるサービスにするには
必ず改善、技術的負債の解消、ドキュメント化を死に物狂いでやらなければいけないということです。
そして自分がいつ抜けても物事がうまくまわるようにしなければいけません。
ドキュメント化して共有しておかないことはとてもリスクが大きいですし
そもそも社内用の1サービスに関する知識とか、自分の脳みそのメモリにいれておくのが無駄です。
引き継ぎされる側になって考えてみればドキュメント化の重要さに簡単に気づけると思います。
属人性の排除はこれからも強く意識していきたいです。



生業



しぬまでITの世界でものづくりしていたいなと前から思っています。
人生一回しかないので、何かしら成し遂げなくては、という思いがあります。
幼少期はサッカー選手になりたかったし、ロックバンドに憧れもするし、
なんか一口に人生と言ってもほんとにいろいろできることはあるけれど
それでもやっぱり他の人が見えないとびっきりの景色を見るには
他の何かを捨ててでも1つ心に決めた夢を必死で追わなければいけないのだと思います。
ヒロシも「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ」って言ってましたよね。
創ることを生業として食っていけることは幸せなことですから。
諦めるまで諦めません。



同期のつながり



これは今になって本当に感謝すべきことなのだなっていうのを身にしみています。
たぶん別な方法、例えば独学であったりフリーランスであったりBtoBの大企業であったり
というところで経験を積んで今と同じくらいの技術力を身につけることは
全く不可能である、という風には感じないのだけれど
"同期のつながり"に関してはかけがえのないものになっています。
まあ同期に限らずだけれど、同じチーム以外の様々な部署にいる技術者と
普段気兼ねなく技術の会話ができることがとてもプラスになっていると思います。
友達は友達であるのだけれど、ちょっと違った存在。
もちろん酒酌み交わしてアホな話もするのだけれど
ちょっとした会話で「そのライブラリってどういう時便利なの?」とか
「あのミドルウェア前に使ったって言ってたよね、今度使ってみようかな」とか
「エディタは絶対あれ以外認めない」「いや小指痛いし」とか
自然と情報交換ができていて、業務にも良い影響になっているし休日に一緒に開発することもあります。
特別学生時代と友達のなり方(?)が変わったわけではないが
仲良いしだけど慣れ合いじゃなくてライバルでもあり仲間でもあるっていう
言葉ではわかりにくい感じの。多分、そういう関係性になれって言われてもなれないやつ。
今はそうなっている気がしたので、それはそれは良いことだなあと思いました。
ライバルといえば、入社したころは皆スキル高いなあと感じていて
今でもやっぱりこいつはすごいっていう人とも普段飯行くし、
自分自身入社したころと比べて成長できているなって自分で思うけれど
入社したころ同じぐらいのレベルであった人もめちゃくちゃ成長していて
たまに尊敬するような部分も見え隠れしていて嬉しさを感じつつも悔しさも感じていて
そんなやつとも普段飯行くし、なんかおもしろいよなって思います。
そして素直にありがとうと思います。
何気に飯は大事です。飯ドリブン開発、通称MDDです。



大学時代から、社会人になってエンジニアとして3年間働いたらニートになってネトゲ廃人になると決めていたのに
いつのまにやら3年間たってしまいました。
どうしたものでしょうか。
そうは言ってもいまはミッションがあるのでニートはお預けですね。


感動した。
映画ソーシャル・ネットワークを観た時の衝撃・興奮・感動を再び味わった。
っていうとあの映画はエンターテイメント性が高く脚色が強いようなので
興奮の種類がちょっと違う気もするけれど。
とにかく、数年ぶりにインターネットの世界で興奮した。
ソフトバンクや楽天やザッポス等の誕生の書籍を読んだ時も興奮はあったけれど
マインクラフトのそれはワクワク感と共感する部分がとても大きかった。
寝る前に読むようにしていたらテンション上がって寝つけなくなり
ここ数日寝不足気味になっていたぐらい。

マインクラフトは名前だけ知っていてこれまで自分でプレイしたことはなかったのだけれど
この本を読んでまさに革命だなと思った。


マインクラフト 革命的ゲームの真実 (単行本)/ダニエル・ゴールドベリ

¥1,785
Amazon.co.jp


マーケティングなんて関係ない、自分の好きな本当に良いと思ったものを創って
熱狂的なファンが生まれて世界でプレイされたゲームが、今の時代に存在する。
これはたくさんのインディ系ゲーム開発者にとって喜ぶべき出来事で
まさに憧れる成功パターンそのものである!
書籍でここまでワクワクできるのなら、開発の当事者であったらどんな感覚なのだろう。
夢がひろがりんぐ!


というわけで、ゲーム開発に携わっている、開発者でない方にも読んでもらいたいものだが
個人的に刺さった部分をピックアップしてみる。



たったひとりの手で



”よく売れるゲームには続編や続々編がつくられる。ゲーム業界は、ある作品が大当たりを取ると、...そこからできるだけ金を搾り取ろうとするからだ。”
”この対極にマインクラフトは位置している。ストックホルムに住むたったひとりの手で開発されたゲーム。…資産家が聞いたらすぐにゴミ箱に投げ捨ててしまうような…それにもかかわらず、このゲームはテトリス以後のゲーム界を代表する作品となった。”


革命的なゲームを生み出すのに何千人の従業員がいるだとか
年間の売上高が何十億ドルあるだとか
世界規模のキャンペーン広告だとかは関係ない。
むしろそういった企業の方が革命的なゲームは生み出しにくいのだろう、と。
まあ当然個人のゲーム開発者でも爆発的なヒット作を生み出せるかと言えば
かなーり狭き門なのだろうけれど、それでも成功パターンが1つあるという影響力はとても大きい。
マルクスの元勤め先のミダスプレイヤー側も、業界にありがちなうちみたいな大手企業では
マインクラフトのような革命的ゲームは生み出せなかったと認めているなんて。
ちなみにマインクラフトは初期のころから有料のPCゲームだったのだけれど
開発者のマルクスは一気に億万長者になり、世界中に熱狂的なファンも多いので
「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれた。
めちゃくちゃカッコイイな、、

『マインクラフト』のMojang、13年売上高は約330億円...従業員数36名で達成!!
http://gamebiz.jp/?p=128313



あいつら何もわかっちゃいない



”…数百万人が少額を支払うようなゲームをつくることがそのビジネスモデルだったので…いくつもの"クローン"が誕生していた。…これが夢にまで見たゲーム制作の世界なんだろうか?”
”映画業界や音楽業界と同じように、ゲーム業界にも、商業的成功と創作の自由のあいだにはよく対立が生じる。…この10年間のゲーム業界でもっともセンセーショナルな挑戦といわれたマインクラフトは、大手企業とは正反対の環境で生まれた。”


もうこれに関しては、なんというかタイムリーというか、クローンって言葉に反応してしまったw
過去にクローンな話についてエントリを書いたのであえて更に深堀りはしない。
プログラマはアーティストだと思っているので、
この部分に限らず本全体を通して「やっぱそう思うよねえ」みたいな共感ポイントが多かったなあと感じた。



クリーパー誕生のきっかけ



”このゲームのグラフィックがシンプルなのは...洗練されたグラフィックの描き方を知らないからだそうだ。斬新な描写のクリーパーも、実は失敗から生まれたのだという。”


よくゲームを開発する時に、結局キャラクターのイラスト等のグラフィック次第だよね、
と言われて何か違うなと感じつつも否定することができなかったのだけれど
マインクラフトはゲーム自体の面白さで成功したので
ある意味証明されたと言えるかなと思う。



コードへの愛情



”マルクスはまわりの人から、慎重でシャイで内向的だとさえ思われている。しかし、そういった性格は優れたプログラマーには珍しいものではない。”
”熱心なゲーム開発者たちがコード作成について語るときには、大きな愛情が見え隠れする。彼らにとって、コード作成をしている時間は、楽しく刺激的で、それでいて心が落ち着くひとときなのだ。…少なくとも人生の一時期を、かつてのマルクスのように内向的に過ごさなければ、何かを本当に学ぶことも技術を身につけることもできないのだろう。”


もう筆者がすべてのプログラマを代弁してくれているようで、グッとくる。
ちょうど一つ前のエントリに内向的なことについて書いたけれど
芸術的な「何か」を生み出すには内側から爆発させるものが必要だと思う。
そして自分、シャイで思慮深くてコミュ障で良かったな、と。プログラマという職を選べたから。



いつかマインクラフトのように、、と憧れるプログラマの1人でした。

時間がある時にこれも観てみよう。



2012年6月ごろに観たのでだいぶ時間が経っていますが、
ひきこもりコミュ障プログラマでもすごい力を持っているんだよ、
ではなくて外向的な人が周囲から目立つ一方で
内向的な人はどのような力があるのだろうという話が
みんな大好きTEDトークで講演されていました。
まだ観ていない人はこちらから字幕付きで観ることができます。

スーザン・ケイン 「内向的な人が秘めている力」
http://www.ted.com/talks/susan_cain_the_power_of_introverts?language=ja

全体的にすごく好感の持てるトークだったのですがそれは置いておいて
僕が言いたいことをこのトークから一部を抜粋してお借りすると

”外交的な人は多くの刺激を強く求めますが
内向的な人はもっと静かで
目立たない環境にいる方がやる気になり
生き生きとして能力を発揮できるのです。
いつもそうとは限りませんが
多くの場合そうだということです。”

”だからみんなが持てる才能を
最大限に発揮できるようにする鍵は
その人に合った刺激の中に
身を置くということなのです。”

これはものすごく的を得ていると思っていて
なんでもかんでも周りにアピールして見せつけることを強制するもしくは
そういう行動をしていない人が埋もれるどころか否定される
ような状況は良くないと思います。

よく目標を宣言することが賞賛されたり、
宣言することで自分を追い込んで思いを強くしたり、
ということが広く求められている気がするのですが
個人的には、公に宣言せずに自分の中でとどめて
その想いを強く確固たるものにさせる
方法もあるのだよ、ということを言いたいです。

あふれんばかりに自分の中でとどめると
行き場のなくなった思想とかセンスとかアイデンティティとなる部分が爆発します。
リア充じゃないけれど爆発します。芸術は爆発だ。
この時の力はめちゃくちゃ強いんじゃないかなと思っています。
宣言することの強さではなく、宣言しないことの強さってわけです。
(宣言しないことの方が正しいとか言ってるわけじゃないです)

宣言することに対してとどめておくことは
内向きの力、まさに内向的という感覚でしょうか。
おそらくエンジニアであったりクリエイティブな人間は
こういった想いの方向を理解しているので
表にも出ないしアピールもしないような人間であっても
こいつは何もできないのだな、という評価は下さないだろうなと思います。
まどろっこしい言い方をしましたが
そういう内向きの力をわかってない人がリーダーシップをとっている下では
内向きの人はころされてしまうよ、ということです。
逆に言えば、こういった思考を理解する姿勢を持ち
内向的なクリエイティブ人間を良い意味でうまく扱える人が
リーダーシップをとっていたらプロダクトはもっと良くなるのではないかなと思います。
だって実際に作っているのは手を動かしている1人1人のクリエイターなのですから。

何言ってんだ、って思われた方は冒頭のTEDトーク動画だけでも観てみてください。


メモ程度の下書きで眠らせておいたせいで最近考えていることとは
少し違った記事になってしまいました。
蛇足ですが結構な期間ブログを書いていなかったので
他にもエントリ書こうかなと思います。