競泳:ミヒャエル・グロス選手
冬季オリンピックを観てたら、夏季オリンピック(競泳)が無性に懐かしくなりました。
ミヒャエル・グロス選手。覚えてますか?
旧西ドイツの男子競泳選手です。
1980年代を代表する選手の一人で、202センチの長身と237センチの長いリーチでバタフライを泳ぐ姿から『アルバトロス(あほうどり)』とも称されました。
1981年に200メートルバタフライで世界新記録を樹立。競泳では旧東ドイツの攻勢に後れを取っていた西ドイツで国民的英雄になる。
1982年の世界選手権は200メートルバタフライと200メートル自由形で金メダルを獲得した。
グロスがその名を世界に轟かせたのは、1984年ロサンゼルスオリンピックである。200メートル自由形、100メートルバタフライを共に世界新記録で金メダルを獲得し、アメリカの金メダルラッシュに待ったをかけた(100メートルバタフライはマーク・スピッツのオリンピック記録を12年ぶりに更新するものであった)。
世界記録を持つ200メートルバタフライでの3冠が確実視されたが、オーストラリアのジョン・シーベンに遅れを取り銀メダルとなる(かなり興奮したレース①)。
また、4×200mメートルリレーではアンカーとなり、最後のターンまでリードしながらアメリカのヘイズとのデッドヒートの末、わずか4/100秒差で敗れた(かなり興奮したレース②)。
このオリンピックでの成績について、ジョン・ネーバーは「もしグロスがアメリカの選手だったら、6個か7個の金メダルを獲得してマーク・スピッツを上回っただろう」と当時雑誌のインタビューで答えている
1988年のソウルオリンピックではアメリカのマット・ビオンディとの対決が注目を集めた。しかし、200メートル自由形、100メートルバタフライの何れでもメダルを獲得できず、前回は金メダルを逃した200メートルバタフライでようやく金メダルを獲得した。
1991年に現役を引退し、2012年の夏季五輪に立候補したライプチヒの招致活動に広報担当として参加した。
1985年のユニバーシアード神戸大会にも出場している。この時、頭にカタカナで「ドイツ」という刈り込みを入れるという茶目っ気のある一面もあった。
とにかくカッコいい選手でした。
次回はマット・ビオンディ選手を紹介します。
1984年ロサンゼルスオリンピックが懐かしい・・・
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「プラダを着た悪魔(映画)」を観ました。
名門ノースウエスタン大学を卒業し、ジャーナリストを目指すために田舎からニューヨークへとやってきたアンドレア・サックスは、幸運にも何百万の女性の憧れとする仕事・ファッション雑誌「ランウェイ」の編集部へと就職した。
しかもその編集長でファッション業界に対し絶大な影響力を誇る、ミランダ・プリーストリーのアシスタント職である。
だが、ミランダは自分の身の回りの世話をアシスタントに押し付けるなどの横暴を発揮する最悪の上司であり、今までに何人もがこの仕事を辞めていたのであった。
ファッションには何の興味もなかった彼女であるが、本来の目的である文芸誌での仕事への足がかりとして、彼女の悪魔のような要求に耐えていく。
なかなか見応えがありました。
編集長役のメリル・ストリープは良い味出してました。
しかし、アン・ハサウェイは可愛かったなぁ・・・
パッチリタレ目・・・
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