一度投稿した記事がきえてしまいましたので思い出しながら・・・

 

銀行員から看護師へ

医療業界20年

 

シニア層のコミュニティを作りたい、という思い

この原点は私の生い立ちにあります。

 

私の両親は二人とも鹿児島生まれ、鹿児島育ち

 

父は高卒で大手企業に就職し大阪に移り住みました。

母は結婚で大阪に来て、大企業の恩恵、社宅に住んでいました。

 

社宅は家賃も安く、結構団地にしては広いおうち

 

しっかりした仕事に就き、住むところにも恵まれ、一見幸せそうですが

 

母にとっては窮屈な環境だったんだろうな、と今になればそんな思いに寄りそえる私になりました。

 

近所の方々は旦那の上司の妻ばかり

私が近所のお友達の家に遊びに行く、というととめられる、または叱られました。

 

周りに頼るあてもなく、家庭に閉じこもり家事、育児。

たまに父は会社のお付き合いでうちに人を招くこともあり母は一生懸命たくさんの料理を作り

接待していました。

 

私が6年生の時、社宅が取り壊しになるため引っ越しすることになりました。

いままで住んでいたところより少し交通の便利もいいし買い物するところもたくさんあるところへの引っ越し。

母は早朝からパン屋のパートに出はじめました。

 

そこで知った私の世界、きっと楽しかったんでしょう。

旦那の会社のコミュニティしかしらなかった母、やっと手に入れた自分の時間、自分のコミュニティ

 

母はしだいに家に帰ってこなくなってしましました。

そしていつの間にかパチンコをするようになり、深夜に帰ってきてはパチンコ店独特のにおいをまとっていました。

 

 

私と母②へ続く