6月9日実家に帰る。
ホスピスに転院できた父。
ただ、看取り医療するための個室は
もう1週間ほど待たないと行けなくて
普通病棟の個室。
肌がカサカサで
ご飯もたべれていないせいで点滴の針がささらない。
めちゃくちゃ嫌そうな顔をする父。
看護師さんも大変だと思う。
弟にちょっとドラッグストア連れて行ってもらって
気休めだけど、父の身体に
保湿クリームを塗ってあげた。
「そうゆう事に気がついてしてくれるんは
あんただけ」
看護師さんや弟の前で
父の嫌味がとぶ。
ホスピスの看護師さんだけあって
そんな事には一切動じず
「ほんとやね〜。
娘さん来てくれてよかったね〜。」
って
笑顔で気さくに対応。
後で謝りに行ったら
「お父さんはね、今凄く痛くて辛くて怖い気持ちと
戦ってるからね。いんですよ。気にしないで。」
って。
天使👼
マジ天使👼
父が治る病気なら叱りつけてるわ。
6月17日
旦那さんⓗⓐⓟⓟⓨ ╰(*´︶`*)╯ ⓑⓘⓡⓣⓗⓓⓐⓨ
無事に誕生日を迎えれてよかった。
焼肉食べに行きました
6月19日 15:00
携帯に弟から着信。
(本当は勤務中携帯持つの禁止ですが父の事があり特別許可をいただいて、常に携帯してました。)
「先生がね、
もういつ亡くなってもおかしくないって。
連絡したい人いるなら今してくださいって。」
「え?それって今すぐ帰った方がいいかんじ?
明日の朝一でもいいの?」
「いや、そんなん俺も分からんよ!」
「どうしよ、とりあえず明日でいいかな。。。
どうしたらいんやろ。。。
わかった!とりあえず今から家帰る。
新幹線のチケットとか取ったとして、
今日中に帰れるのか、途中で足止めになるのかも
よくわからん。。。
とりあえず出来る限り頑張って
今日中に帰れるようにするから」
この時、タイミング悪く
地震か何かで
大阪、京都方面のダイヤがめちゃくちゃ乱れてた時。
それでなくても
片道5、6時間はかかるのに
大阪京都を通らないと帰れない。
むしろチケット売ってるのか???
仕事場の人に軽く説明して
了解貰うか貰わないかで走る。
旦那に電話して
旦那も急いで自宅に向かうとのこと。
聞きつけた人が
大きなダンボールを持って
「荷物!詰めて送るんならこれ使って!」
なんて機転が聞くんだと感心した
私は自転車なのでカゴに入るように
力いっぱい大きなダンボール折りたたんでくれて…
そうだ、とりあえず入りそうなもの…
旦那さんと私の着替えや喪服やら
思いつくもの全てを詰め込んで
ネットで新幹線などの時刻を調べ。
慌てたものの、、、
時刻が上手く噛み合うものが1時間30分後。
でも助かった。
とりあえず、ササッとシャワーをして
旦那さん帰ってきて、シャワーさせて
その間に荷物の準備終わらせて
クロネコヤマトに荷物持ち込んで
今なら次の日届くと分かり、一安心。。。
大阪京都大丈夫なの?
とか思ったけど
まぁそこは信じよう
そして、駅に着いて
駅員に事情を説明し
どうしても今日中に帰りたい事も伝えた。
「大丈夫!どうにかできますよ。
ただ本当ダイヤの乱れで時間は
深夜になるかも知れませんが、もし
今から発券する新幹線に間に合わなくても、
新大阪で必ず他の新幹線に乗れるように
考えてありますから大丈夫です!」
ありがと!駅員さん!
ほんといろんな人の力を借りて
どうにか特急列車に乗り込んだ。
はい、、、
なんかよく分からんとこで
何度も何度も
ここで○○分停車します
ってなる
ダイヤの乱れが多発してて
駅でパニックにならないよう
いろいろ
見合わせているそうで。
トンネルの中で停車されたら
ほんと何時か分からんw
で、なんとか、
日付が変わるギリギリの時間に
間に合いました。
駅まで親戚の人が迎えに来てくれて病院へ。
父の新しい個室の部屋に着くと
弟がいました。
旦那さんは隣の部屋に布団を用意してもらって
休んでてもらいました。
弟に色々聞いたところ
もう、麻薬とかで痛みが抑えれなくて
モルヒネで調節して今意をとばしてる感じだと。
父は痛みで
弟の顔を見ても
「助けて」
しか言わなくなったと。
それで
少し眠るように薬を調節したら、
強制的に意識が無くなり
強制的に意識が戻り
父は今が何時なのか夜なのか朝なのか
時間感覚が全くない事に
凄く怯えていたと。
先生と話をして
モルヒネで意識を飛ばす事になり
これをしたら最後だと言われたと。
「その前になんか声掛けたの?」
「うん、今までがんばったね。
俺父さんの子供でよかったよ。って言った。」
弟は泣き崩れそうなのを必死で堪えながら泣いてた。
弟は
じいちゃんの時も俺一緒に住んでて
何も気が付かんで後悔したのに。
また父さんで同じ事した。
なんで。。。
って後悔をずっとひきずってる。
うちの父親は人様に自慢できるような人では
なくて、若いうちはよかったけど、
仕事でトラブったり、怪我で思うように指が動かなく
なってからは、金銭的に弟に頼り切った
引きこもりのような生活してた。
私は、父のだらしない所もよく分かってて
そうゆうとこ、ちょっと私が似てるので…
だからそんな弟に
確信を持って言ってあげた。
「あんたが、体調悪そうなのに気がついたとして、
病院行けと言われても、行かないよ。
私がそうじゃん。我慢出来んくなるまで
めんどくさくて行動できないの。
父さんなんてもっとだよ。
今回みたいに、歩けん!てなるまで
時間を巻き戻しても行かないんよ。
まぁ私たちがブチ切れて引きづってけば
行くだろうけど(笑)」
独身の男の子に、そんな親の体調管理なんて
するわけない。できるわけない。
ましてや、何か持病や、本人からの
自己申告があればともかく
無理ですよ。
金銭的に家計を支えてただけで凄いよ。
父も大切だけど
私はたった一人のこの弟も大切だ。
仕事場のとある人にだけ漏らした私のもう1つの本音。
「父から息子への親の甲斐性見せたんかな」
私はそうとも思う。
弟は35歲。
私は何度も結婚して家を出なさいって伝えたけど
家を出たとしても
いずれ回り回って父さんの問題は俺に来る。
その時割をくうのが嫁さん。
それだけは嫌だ。
俺は父さんがいるうちは結婚はしない。
ってずっと言ってたから。
きっとお父さんは
自分から息子を解放してあげたんだよね。
弟は自分の結婚は考えれないから
私の子供凄く期待してた。
甥っ子姪っ子ぐらい可愛がりたいって。
これで自分の子供も考えれるよ。
まだ35歳だもん。
弟の婚活応援したい。