新人映像作家、もしくはこれから大掛かりな動画を作成したいと思っているインターンさんがあまり意識していないことの一つにフォルダ構成がある。

 

大変なプロダクションを走り抜け、さあ!これから編集だ!と意気揚々と編集機に向かえる人間はそう多くない。

大人数の熱い現場からいきなり一人きりの孤独な作業に切りかえる能力もまた必須スキルではあるが、マインドセットと作業効率化の双方の意味から編集素材の格納の仕方は非常に重要だと考えている。

これは撮影を終えた直後の自分のフォルダ構成の1段目をスクショしたもの。

※AEやAVIDなどを使う方は「フォルダ名を英語にする」、「使用禁止文字(-ハイフンなど)を使わない」など工夫も必要(エラーになるから)

そこそこ長い経験をもとに実地で考え抜いた結論ではあるが、もっといい方法も映像作家の数だけあるのであくまでも参考の一つにして欲しい。

 

 

 *書類_指示書

ひっきりなしに届くものの一つに書類がある。「*」をつけることで数字や日付よりも上に表示されるのでこうしている。資料をクラウドに集約しているプロジェクトの場合は、txtにリンクを貼った資料を格納している。

 

 ① CAM

ここに撮影素材を格納する。この階層は……

☝️で図示した通り、日付で分けその下に1カメ、2カメと分けるようにしている。

これはノンリニア編集(NLE)に撮影素材をフッテージとして取り込んだ際に役に立つ。

撮影現場の熱の入った中でチェックされたテイクは、大抵走り書きでやってくる上に日付で並んでいるので、この階層だと望んだテイクにたどり着きやすいのだ。

 

 ⑥ 中間素材

あらゆるプロジェクトにおいて、中間素材の作成は欠かせない。

途中で気づく前に予めここに作っておく。

例)「白素材」、「クリーン」※テロップの入っていない動画のこと

媒体によって名称はまちまちだ。それに合わせる

 

 ⑧ 取り急ぎ

プロジェクトに反映させないフォルダ。結構重要。

現場では追加で次々と予期せぬ素材がやってくる、アシスタントさんや制作さんとHDDを共有する際にも、①~⑦は触らないでと伝えるようにし、代わりにここに放り込む。

※プロジェクト管理者以外が極力①~⑦を触らないようにしているのは、フォルダの中身を常に参照しに行くノンリニアの場合、素材のリンクが外れてしまうことを防ぐためだ

 

 

まとめてみると書いても書き足りない事が多くあることに気づく。

人にマニュアルを渡すことは好きではないが、自分のためにまとめるのはいいかもしれない。

フォルダ作りで大切なことを一つだけ言うならば、プロジェクトの過程で自分以外の技術者に引き継いでも理解してもらえるかどうかに尽きる。

 

ドラマや映画の企画書を提示する際に必ず出る質問にこんなものがある。

 

 配給先「誰が出演するのですか?」

 事務所「どこで公開されるのですか?」

 

名前のある人の出演が確約されていないと予算は降りにくく、出口がしっかりと決まっていないと出演オファーは受けてくれにくい。これはジレンマでしかない。

 

映画やドラマ、TVCFなどメディアには登場人物が必要不可欠で、タレントや俳優、MCや登壇者などを円滑にキャスティングすることは至難の業である。

なぜなら、人が人を選ぶという行為は相手の人生の一部に過干渉し合うことを前提としているからに他ならない。

画像:2021年12月に撮影させていただいたステージの一幕

先述した理由からか、アジアでは特に関係のある人や組織同士のつながり、または利害関係に強く左右され多くのキャスティングが決まる節がある。

事が運びやすいという良い面も、悪い慣習となってしまう面も含んでいる。

 

個人的な経験から記すが……広告全般は代理店や業界実績が長い事務所、TVやラジオといった放送媒体はプロデューサーやディレクターのコネクション、ドラマや映画などは出資者や媒体の意向が強めに反映されている印象を受ける。

特にその媒体や業界での経験や実績がないキャスティングを提案すると、決まってネガティブな意見が四方八方から飛んできてあっという間にその提案は討死にしてしまうこともしばしばだ。

オーディションの際に(メディア側で)既に決めている事務所だけ違うフロアに通すなんて話も聞いたことがある。個人的に映像業界のプリンシパルエージェント問題と呼んでいる。

作品のためには高い交渉力と人脈を持った人間が必要であり、それがキャスティングプロデューサーという職業であるとも言える。

 

 

キャスティングプロデューサーという職種は、結論を言うとプロデューサーの一人が兼任していることが大多数であるが本来は独立したポジションであり、キャスティングを専門に管理・運営する人間を指す。

キャストが決定していない段であってもギャラを発生させる必要があり、この15年ほど苦しい業界にとっては兼任が常となっているのは仕方のないことかもしれない。

 

現在の業界事情と経済的収益から鑑みるに、減らされたポジションが復活することはほぼなく、兼任は続くだろう。あるいは数年後キャスティングプロデューサーなんて言葉はなくなっているのかもしれない。

 

キャスティングに関わる膨大な経験則は現代のプロデューサーやディレクターが備えなくてはならない必須スキルの一つに変容していくだろうとそんなことを考えながらも、作家としては新しい物語にまた身勝手なキャストを当てて想像に浸るのだ。

世界三大映画祭(カンヌ/ヴェネツィア/ベルリン)の中で、そろそろ時期が近づいてきたベルリン映画祭こと、ベルリナーレについて書きたい。

ベルリナーレ公式サイト

 

一般的に国際映画祭(IFFなどがつくもの)は、毎月世界の都市のどこかで開催されている。つまりほぼ一年を通していつもどこかの街で映画祭が開かれているのだ。

※写真引用Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/ベルリン国際映画祭]

・写真は『ベルリナーレパラスト』と呼ばれ会場の正面玄関にあたる。ここにレッドカーペットが敷設され、期間中はメディアで賑わう

 

映画スターがドレスを着てレッドカーペットの上を歩く姿を想像する方も多いが、基本的に映画祭には2つの側面がある、一つはセレブたちを前面に出す“授賞式”、そしてもう一つが“買い付け”だ。

映画や演劇といったジャンルは、ビジネス的な観点から見ると脆弱な性質を内包している。欧州では「放っておくと廃れてしまうので業界全体をサポートしなければいけない」という精神が根付いており、例えばフランスではTV局全体が一年の計上売上の3%を映画界へ還元せよという国の施策まで存在し、その多くは地域のミニシアター存続のための資金などへ再配分される。

 

この一つ目の“授賞式”には、映画の格を保つという大義名分が存在するのだ。だから近年アマプラやネトフリといったサブスク界が「配信作品も映画賞へ加えてくれ」という要求に対し映画祭全体がこれを拒否しているのにはこういった一面もある。

とはいえネット界はお金の額が違いすぎるので、今後はおそらく何らかの方法を使って映画祭自体を取り込んでゆくだろう。

・ベルリナーレ最高賞にあたる金熊賞、映画祭のロゴにもなっている

 

さてベルリナーレだが、三大映画祭の中では先進的な取り組みを行う傾向が強い。

今はないが、児童文学映画のカテゴリーを設けたり、『〇〇女優賞/〇〇男優賞』といった性別を排除すると宣言したりと、シリコンバレーのテック系企業が取り組むような施策を映画祭に汲み入れることで知られている。

 

特筆して印象深かったのは、2012年頃だったか『ビデオルーム』クラウドサービス化だ。

映画祭の2つ目の目的“買い付け”では、映画祭期間中に会場内や近隣の施設に『ビデオルーム』と呼ばれる場所が登場する。

ここは全作品の視聴スペースであり、各国のバイヤーがこぞって作品を観て購入を検討する場所である。故にプレスルームと隣接されることが多い。

映画祭関係者が本当に行かねばならないのはこちらで、あとはバイヤーにとって重要な作品をシアターで観るか判断するくらいだ。

※コロナ禍である2020年に「エンカウンター」というカテゴリが新設された。これがカンヌの“ある視点”部門に該当する。これを注目している

このビデオルームをクラウドサービス上で展開し、宿泊ホテルで作品を観られるように技術投資をしていた。

会場でバイヤー同士が買い付けについて喧嘩するような昔ながらの良さは失われるかもしれないが、これには未来を感じた。

 

ちなみに映画祭には「どの作品をエントリーするか?」の権限を持ったディレクターが地域ごとに複数人存在し、ベルリン映画祭極東地域の担当者は市場調査のために毎年東京に二週間滞在する。

基本的に映画監督やプロデューサーが直接作品を売り込みに行くこと、会うことはNGとされており、日本では窓口となっている団体に依頼をすることになる。

日本人作家との縁も多いベルリナーレ、是非記憶に留めておいてほしい。

・いつか会いたい金熊賞

ほんのとっかかりに過ぎないが、ベルリナーレについて興味を抱くきっかけになってくれたら嬉しい。

東京国際映画祭(TIFF)はアジア主要国の中で買い付けが非常に弱いと言われている。近隣国の作品が集まらず国外へ向けた買い付けバイヤーが来ないのだ。

授賞式という名のショーだけではなく作品のための投資と活動に取り組む施策を常に願い、考えていきたい。

 

19歳の僕はその日 深夜2時くらいに南新宿辺りを歩いていた。

撮影現場終わりに「小道具積むから歩いて帰れ」と車を降ろされ、土地勘もないままとりあえず住宅街の隙間から時折見える高いビル群を目指していた。

 

とにかく厳しい映画業界の下っ端、助監督たちにとって胸躍る瞬間はやはり製作が決まったその時なのだが、細分化すると撮影用フィルムが届いた瞬間にそれは実感となって湧き上がってくるものだった。

当時はVシネ全盛期、ホラーブームのちょっと前、任侠ものの現場が毎月入っていた。

 

Kodakからフィルムを購入していたのだが、フィルムというのは大体長さで7分くらいづつの小さい箱に入った状態で届く。セロハンテープのちょっと大きい箱くらいか。

そいつが大量に詰まった段ボールを開ける、監督のために撮影用カートリッジを作成するのは助監督に与えられた名誉のように勝手に感じていた。若いって損だ。

 

そう、歩きながらぼんやり考えていたと記憶している。

・画像引用:ヨコシネD.I.A.より[http://www.yokocine.com/film.html]

私たちが主に使うフィルムは銀塩フィルムと呼ばれる(主には使わないか...)

すごく簡易的に言うと、何層にも分かれて重ねられているフィルムはゼラチン層の中に銀の粒子が含まれているという構造体をしている。層が分かれているのは、それぞれの色の元素を着層させるためだと思ってもらえばいい。

光が当たる(露光する)ことでこの粒子が結晶化し着層(潜像)する。そいつを余計な粒子を溶かす液体に浸けて現像粒子を定着させる。ざっくりこの工程を現像という。

 

4K、デジタル画素数が3000万~3500万を超えた辺りで、理論上はフィルムに追いつくのだが、かつての僕たちはピクセルではなく粒子を見ていたことを忘れないでいてほしい。

映写機のランプハウスに溜め込まれた光がスクリーンに照射する映像を本当の意味で超えるには、画素や色域の表現力ではなく立体映像や空間描写のインスタレーション映像で勝負するべきだ。

・画像引用:Wikipediaより[https://ja.wikipedia.org/wiki/銀塩写真]

フィルム作りにはとにかく“水”が重要で、先輩助監督に引き連れられヨコシネに行った際に感じた第一印象は“豆腐屋”、、そのくらい朝から水を容器に溜めていた。

その後も、フィルムは水もの、なんて言葉をよく聞いた。毎日のように作り続けなければ高い品質が保てないそうだ。ノウハウだけどっかに保管しておいて数十年経って復刻、なんてそう簡単にはいかない。あらゆる分野の職人が憂いていることに通ずるものがそこにも存在していた。

 

人類の夢は“記録すること”、だと勝手ながら思っている。

墨とパルプ紙を発明し文字を残すことも、古典芸術を上演演奏し続け後世につなぐことも、記念の一日を写真に収めることも等しく。明晰夢のように過去や時代の証をいつまでも遺したいと願うのだ。

正しい保管方法を守れば100年は保つフィルムは現代においても代替案がなかなか存在しない。HDDは電源を入れれば磨耗し続け、対応機種もメーカー次第でケーブル一本無くなればもう手軽に中身をみることすら叶わない。

 

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そんなことを考えながら、19歳の僕は遠くに見えていた高いビル群にたどり着いた。駅とは少し離れていたが、都庁から続く西新宿の街並みだった。

シティハンターで見たビル群を初めて目の当たりにし、小躍りして散歩を続行、駅前の中華屋で始発を待った。

もう少し、業界でやっていけそうに感じていた。

 

*現在のカメラバッグ19年から変わらず

撮影を始めたのは業界的にはわりと遅く、26の頃だった。

当時CM制作会社でNIKONさんのチームにアサインされ、クライアントさんだからカメラのことを勉強せねば、先ずはインプットだ、と詰め込んだ。

デジカメ...コンデジ...映画カメラとの違いとは?レンズとは?...???

元々この手のガジェットやら機械が好きで気づけば日本光学(NIKON)の資料館に通っていた。。当時は何て名称だったか?今は品川インターシティに移転されたのかな。

 

当時はまだCanon6Dから始まるショート動画、一眼動画ブームの夜明け前、機材を買い揃える文化はフォトの人たちくらいで、映像系ディレクターは金が入るとカメラよりも90cc大型スクーターを買って赤坂通りを走っていた。

なんか、ノスタルジックになる。

 

 

映像用カメラはライフサイクルが短い。減価償却するよりも先に後継機が出ること請け合いなので、自分が何かの購入を検討する時期にはカメラよりもその周辺機器や業界の制作スタイルが急激に変化する潮目だけみるようにしている。

現場で一番お世話になったのはSONYのVX-2100とPanaのDVX100A、どこの制作会社にも結婚式場にも必ずどちらかが置いてあった。VXシリーズは世界で一番売れたビデオカメラではなかったか?

△昨年、NIKEダンク限定版でこんなのが出て、、作品用の資金貯めてたのに早朝の渋谷に並ぼうかと思って耐えた

 

そしてスタジオでENGを回すようになるとFujinonレンズの偉大さを知り、カムコーダーの民生機が業務機に接近する2008~2012年頃には「いつかはARRI」とのたうち回る映画オタク、機材マニアが誕生していた。

個人的にありがたかったのは、映画から入った自分にとって、映像業界がデジタルに移行する大きな変遷の中で常に映画フィルムとの規格について比較ができたことだ。

 

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▼現在の所有機材はこんな感じ

<スタメン>

 

・SONY αⅱ、αSⅲ

※きっかけは「アメージングムーンライトショット(月明かりで撮れるの意)」という海外の宣伝文句にもなったSシリーズの暗所での力技

 

・SMALLRIGケージ一式

※ウッドグリップは安定感増すしクセになるが、録画ボタンが半押しどころか軽く触れただけで反応してしまうので線を切って使っている

 

・RODE SVMPR

https://www.yodobashi.com/product/100000001003288516/

※今は1万くらい上がってしまった、発売当時は安かった不動のエース

 

・マンフロット LUMIデイライト

https://www.manfrotto.com/jp-ja/led-light-lumimuse-3-led-black-multipurpose-function-mlumiepl-bk/

※こちらはLEDが3つ(220lux)、上記機種の5つ版(550lux)もあるが、こいつを使うのは企業さんのインタビュー動画のときなのでお顔照明のつもりでいる

 

・TASCAM DR-60D

※三脚とカメラの間に挟んで“親亀子亀”状態にすることもできるが、カメラ操作が想像以上に難しくなるので個人的には推奨しない。バーのところにベルトを付けて、肩がけして使っている

 

・RONIN SC

※SONYαを付ける際にはファインダーのゴムを外さないと引っかかる

設定なのか、やはり少し慣性が働いてしまうように感じる。練習不足なだけかも。

 

・ビデオ三脚

複数所持しているが、こだわりではなく安定性、利便性で都度チョイスする。

SLIKを比較的よく使う。

 

 

<ベンチ入り>

・SONY RX10

※野鳥も撮れる600mズームのコンデジ、1インチセンサーがなんか先述したVX2100を思い出させるのでたまに使う

 

・RODE VideoMicro

https://www.yodobashi.com/product/100000001002923498/?gad1=&gad2=g&gad3=&gad4=452607594367&gad5=14320874890427286412&gad6=&gclid=Cj0KCQiAoNWOBhCwARIsAAiHnEi0ZcMIjaeA_SPc7dEi2-wbvUXYlK4NrzVkG3QKfoeMs6Q1_ESni2saAsnWEALw_wcB&xfr=pla

 

・cokinフィルター各種(6種くらい所持)

※これはただの趣味、いつか上手い人に教わる

 

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レンズについては、フォクトレンダーとコンタックスの比較を書きたいので動物公園にでも撮影に行ってきますカメラ

 

頑張って書いたが、、今回の内容、需要はないなあ。

自分の外部記録用なのでよし。