これは不妊治療のブログだが、少し関係していることなので、書いておこうと思う。


今回の周期が始まる数日前、夫の母が突然他界した。

最近少し体調が悪そうだったので、夫と心配はしていたが、そこまで緊急性があると思うことができなかった。

義母は明るくガッツのある人だった。精力的に仕事をしつつ家事もこなし、私達が困ったことがあるとすぐに助けてくれた。そして必要以上に詮索や介入をしなかった。長い間子がいなかった私達に、子どもの予定を聞くことも一度もなかった。それは救いだった。

そんな義母を尊敬していたけど、とても自分には真似できないとも思っていた。結婚早々、そう夫に宣言してしまったくらいだ。

そして、義母のことは好きだったけど、結婚当初まだ若かった私は、緊張してなかなか距離を縮められなかった。自分の性格的に懐に飛び込んでいくということができなかった。その関係は、結局最後まであまり変わらなかったように思う。

好きで、尊敬していたにも関わらず、夫の母としてだけでない、個と個の関係性を作れなかった。それが、義母の体を気遣えなかったことに加えて、後悔していることである。これからもっと子育てのことも聞きたいと思っていたし、そうすることで関係性も深めたいと思っていた矢先だった。


義母は、亡くなるにはまだ若い歳だったと思うが、それでも義母の死は、自分の人生がもうそういう、親の介護や看取りを考えなくてはいけないフェーズになっていることを認識させた。

そのことが、不妊治療を終える決心の後押しをした。採卵はもうやめて、ひとつだけある胚盤胞を移植して終えようと決めた。


義母がなくなった後のバタバタで、最後の移植は、陽性か陰性かなどあまり色々考える余裕もなかった。判定日に陽性だったときには、実感もさしてなく不思議な気がした。しかし、これで無事に生まれたら、義母の生まれ変わりかな、とも思った。夫も義父も少しは元気になってくれるかな、とも。だから何となく期待してしまった。

結局流産となり、徐々に膨らんできた「我が子を宿している感」とでもいうような感覚も、早々に奪い去られてしまった。私は、義母とまだ見ぬ我が子の両方を、短い期間で失った。喪失感という意味では同じ、というかダブルパンチ。

でも、でも。こうも思うようになった。もしもこの子が、あの世で義母の胸に抱かれるのならば、それはそれでよいのではないか、と。いや、正直なところ、まだそんなに割りきれたわけではないけれど。



今日、好きなアーティストの曲をかけながら縫い物をしていたら、涙がポロポロとでてきた。「あ、まだ泣きたかったんだ、私。」と気づいた。


ごめんね赤ちゃん、産めなくて。会いたかったよ。


そしてお義母さん。笑顔と笑い声が頭の中で繰り返し再生されます。もういないのが、いまだ嘘のようです。悲しいです。今までありがとうございました。