ひさしぶりにこのサイトへ戻ってきた。

facebookで疲れてしまった。

そっちはしばらく休憩。

アプリも削除。

まあ、こっちが続くかもわからないが。



今朝はベートーベンの後期三大ソナタと言われているらしい30番、31番、32番を聴いた。



とりあえず、

ただいま!


みたいな?




今日9月6日は、亡くなった風の谷の友人の誕生日。

2010年3月17日に29歳で亡くなった。

生きていれば、32歳。

こんな場合、なんと言えばイイんだ?


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わたしはわかりやすいオトコなので、まったくおかわりありません。。。

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毎日、『ゴルトベルク変奏曲』を聴き、毎日、『おくのほそ道』を聴いています。

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『ゴルトベルク変奏曲』のほうはもう7ヶ月、毎日聴いています。
なので、200回以上聴いています。

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聴きはじめて4、5ヶ月くらいまでは、商店街でばったり『ゴルトベルク変奏曲』に出会っても、彼だとは気がつかなかったでしょうが、今では、そこで少し立ち話をしていれば、彼が『ゴルトベルク変奏曲』だと気づくような気がするのです。

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『おくのほそ道』のほうは、4月の半ばから聴きはじめたと思うので、3か月半。
ということは、100日ほど、『おくのほそ道』を1冊分、毎日聴いていることになるわけです。

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『おくのほそ道』を100回読んだとするとすごいですが、聴いていると、ときにBGM的に流してしまうので、あと3ヶ月くらいは聴き続けないと、モノにはできないでしょう。

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もうオンナの子をモノにする勇気も元気もないので、『おくのほそ道』をモノにするつもりです。

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秋には、本で読んでみようと思っています。


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わたしは、なにも、変わりません・・・


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今度のマンションは、コンクリートの打ちっぱなしなのよ。

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これが、玄関。

Watermelon Sugar-AF玄関




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これは、とりあえず、ぼくの部屋。


Watermelon Sugar-AF部屋M




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ここはテレビを置いているとこ。
今朝、掃除をしていたら、福岡のぼくの部屋に置いていたモディリアーニの『ネクタイの女』が見つかったので、とりあえず、置いてみた。
モディアーニの人物のメン玉(瞳はないのがほととんだんだけどね)や背景はコンクリートの打ちっぱなしに似合うよ。
もう少しうまい飾り方ができないか、思案中。。。


Watermelon Sugar-モディリアニ



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チェチェが死ぬまでこの家にいようと思うんだよね。。。






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毎日、家に帰るのが不安である。

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引越した今の家の家事全般はぼくが仕切ろうと思っているのよ。

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モノをできるだけ置かず、スッキリした家にしたいのよ。

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チェチェはこの5年間、急速に、整理整頓ができなくなってきた。

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使わないモノやスペースの関係上置けないモノなどが入った段ボールたちが地下の一室にある。
約8.5畳の部屋をとりあえず物置部屋にしているのよ。

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これから徐々に、処分できるものを処分したり、箱を入れ換えたりして整理をしていこうと思っているのよ。

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だけど、チェチェが毎日段ボールをいくつか開け、不必要なものをひっぱりだして、部屋に並べていくのよ。

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毎日、毎日、お願いしているのよ。
出さないで、って・・・

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その他、ここで書くのはめんどうなんで書かないけど、イロイロイロイロあるのよ。

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それがまたねえ、1回だけじゃないのよ。
繰り返すのよ。
その点がとくにツライのよ。

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ぼくはひっぱい出されたモノたちを地下の部屋の段ボールの中に戻すんだけど、翌日家に帰るとまたもとに戻しているのよ。

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ボケているのか、わざとなのか、さっぱろわからないのよ・・・




Watermelon Sugar-間取り

Watermelon Sugar-__.JPG




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6月28日、引っ越し、おわた。

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しんどかった。

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へとへとになった。

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新居の風呂。

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周りがガラス張りで、中からも外からも見えるの4。

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ブラインドは付いてるけど。

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地下1階にあるの。

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まあ、変わったのが好きなんで、オモロくてええと思う。

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しかし、認知症の老人とのふたり暮らしというのも、なんだか、笑える…



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昨夜遅く、一番若い(今年21歳になる)、三番目に生まれたIzuボーが来た。
引っ越しをするので荷物の整理に。

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今年は大学に行っているようだ。

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早朝、ネクタイとベルトをくれ、と言うので、一番お気に入りのネクタイをあげた。
ネクタイ3本とベルトを2本あげた。
中国語の勉強は進んでいるようだ。
ああ、お気に入りの布のバッグもあげた。

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最近、なんで喋らないの?と人からよく言われるらしい。
なんだか、フンガイしていた。
気分を害しているわけでもなく、ただ喋ることがないから喋らないだけなんだが、と。
喋るって、そんなに重要なことなの?と尋ねられる。
朝6時、ぼくも喋りたくなかったんだが、喋った。

「大事なんじゃないの?」

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なかなかのヘンジンなんだが、ぼくと違ってカザリがなくウソもつかないんで、ぼくはこのオトコのことをけっこう気に入っている。

なかなかのヘンジンではあるんだが…

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この詩、以前も自分のblogに載せたと思うけど・・・

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自分で書いた詩のなかで好きな詩の部類に入る。

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金沢の犀川は行った。

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ヌアラエリアはスリランカの村の名前だか地域の名前。忘れちゃった。けど、行った。

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パリには行ったことがない。
ギョームとは『ミラボー橋(Le pont Mirabeau)』という詩を書いたギョーム・アポリネールのこと。
マリーとは、恋人だったマリー・ローランサンのこと。

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ぼくは水が好きで。

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なにもかも取り返しがつかないようにも思うし、なにもかもが失われていないようにも思う。




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「金沢、ヌアラエリア、パリ・・・」


金沢で

犀星の生家を見た後の

犀川の物悲しさ

ったら

なかった


橋の上に佇み

どちらの岸にも行く気がしなかった


トンビは

くるくるまわって

空に

時の渦を描いていた



スリランカでは

川を

ガンガと言う


ガンガは

上流からではなく

古代から流れてくる


岩ばかりの山肌が揺らぎ

古代へ通じる穴が開き

ガンガがガンガに流れてくる



ミラボー橋の下では

今もなお

マリーとギョームが流れている



あんなことがあった

あんなことがなかった

あったことも

なかったことも

流れていく



ある選択をしたヒトは

選択をしなかった

自分も

生かし続けている



橋の下には

夥しい自分が

別名も使わずに流れている