Water J. “なかじ” のアトランタ徒然 V3 -68ページ目
<< 前のページへ最新 | 64 | 65 | 66 | 67 | 68

米国ハイスクールのスポーツ事情 (3月1日)

チャールズ・ハリスの10Kレース。出発点は地元のタッカー高校だった。
当日は朝6時から体育館を参加者に解放した。登録手続きもそこでおこなわれた。

早目に手続きを終えてしまった私は、興味半分体育館を見物した。そこでみつけたのがバナーだった。高校バスケット・チームに協賛をした団体のバナーが、広告のように連ねて貼られていたのである。歯科医やらレストラン。車の販売店のバナーもあった。

若者の歯科矯正がさかんな米国。スポンサーで地域家庭に名前を広めて顧客を開拓するのは、なるほど理にかなっている。レストランは試合や練習の後の打ち上げに利用されるのかもしれない。車販売店だけれど、子供を学校に送り迎えをする車を買い換える両親へのアピールになると考えれば、無理なこじつけではないかもしれない。

体育館のチーム・ロースター表。そこには名前入りでプレートが貼られていた。高校生とはいえ、彼等は有名人だ。脇の壁をみると、チーム・エンプレムの旗を中心に、歴代優勝旗が飾られている。そして協賛団体の広告バナーがある。規模こそ違うけれど、それはアトランタ・ブレーブスのターナー球場でみかける光景と変わらないのである。プロ・サッカーのマイナーチーム、シルバーバックスのそれと比べたら、これはもう互角であるような気がした。

スコアボードにコカコーラのロゴ。そして体育館の入り口ロビーにはコカコーラ社の自動販売機が設置されている。この清涼飲料水の売上の一部も学校やチームの収入になるのだろう。子供の健康を考慮して、自動販売機の商品を水と100%ジュースに限定したカリフォルニア州の学校地区が、四半期で30万ドルの収入源となり、深刻な資金不足に悩まされているという記事を読んだことがある。ひと月10万ドルの収入源を他に頼るのは簡単なことではないだろう。

米国カレッジ・スポーツのビジネス規模がプロのそれに匹敵する-有名チーム監督の年棒が100万ドル単位-という話を書いたことがあった。マーチャンダイズの種類も半端ではない。品数では劣るけれど、地元高校のマスコット商品もスーパーなどで販買されている。売上には印税収入があり、学校やチームの資金源になるのだと思われる。

学校から活動予算がおりているだろうとは思うけれど、かなりの部分をチームの営業努力で支えるセミプロの構図。正直、凄いなあと感嘆した。高野連に連絡をとりたいくらいである。

なんでもコマーシャルにしてしまうのは寂しいことかもしれない。
けれども、こういう環境に育った人間はタフになるぞ。
それだけはいえるだろう、と考えた私だった。


http://www.tuckertigersfootball.com
バスケ・チームのHPはみつからなかったけれど、アメフト・チームのHPがありました。スポンサーの頁もある。試合を収めたビデオの販売もされています。

しかし、関係者以外に誰が購入するんだろう(--;

雪の3月 (3月1日)

今朝起きたら庭が雪でおおわれていた。綺麗だけど3月に雪なのか。ここ何日かはとても暖かく、春は近いと感じていたので、なんとも不意をつかれた感じだった。昨日のB2Bアクセス禁止に続く“不意打ち”でありました。

南部のアトランタでは雪対策などあるわけもなく、これは交通事故が絶えないぞと覚悟を決めたのだけれど、実際の直接事故はたったの2件。雪が降ったのが夜中で朝には止んでいた。それで車の往来が激しい道路では溶けてしまったのが幸いしたのだと思われます。

それでも家の庭などは今夜まで雪が残っている可能性がある。
もしそうだったら、早咲きをしている桜の花でもみながら、
雪見酒と洒落込みますか-ワインでですけどね。

2月の不意打ち (2月28日)

私は仕事に取引先のB2Bウェブサイトからいろいろ情報をとることがあるのだけれど、今日、そのサイトにログインをしようとしたら、なんと拒絶された。アカウント名やパスワードを間違えたかと思い、なんどもパターンを試してみたけれども、やっぱりログインできないのである。

なにかと思ったら、今年春からその取引先との契約を解除して新しい会社に移ることが正式発表されたとのことである。それで私のグループ全員の登録が無効になったらしい。

まずいじゃん。
2月の台帳が締められない(--;

いまはまだ契約の期間内なのだからサイトへのアクセスをすることを拒否することはできないと思うのだけれど、それを承知でおこなったのだろうから相手は相当動揺しているらしいと考えられるのであった。

仕方がないので、アカウント登録の復活を催促するメールを出しておいた。
明日の返事次第では、電話で文句をいってやろうと思う月曜の夜である。

とまどう鮭な私 (2月27日)

スタート地点に立った私の心臓はすごかった。
これまでにないほど激しく動悸をしていたのである。

友人のKが紹介してくれたチャールズ・ハリスの10Kレースに参加をした。
http://www.active.com/event_detail.cfm?event_id=1194148

ここで1時間を切る程度の成績を残せば、独立記念日に催されるピーチツリー・ロード・レースで朝の早い時間帯に組み入れをしてもらうことができる。5万人が参加をするピーチツリーは午前いっぱい各組に分かれて10Kを走る。一番にスタートをするのは車椅子レースの選手。次にプロの招待選手とトップ・アスリートが30分の攻防で賞金を争う。真面目にレースをする選手から徐々に参加を楽しむグループに。最後の組は、仮装をして歩くなど、レースというよりパレード状態-こちらのほうが楽しいという話もありますが、なのである。独立記念日の7月4日のアトランタは立派な夏である。9時をまわればアスファルトの道路は灼熱状態となっており、まともに疾走をするコンディションではなくなってくる。それでKは事前にレース記録を提出して気温が上がりきらない早朝グループにいれてもらえるようリクエストをするのである。そんなことなど知らなかった一昨年前の私は、欽ちゃんの仮装大賞みたいな連中と一緒に焦がされた道路をよたよた走っていた。去年、辞退をした彼の奥さんの代わりに早朝グループでレースを走り、同じ10Kでもまったく違う環境に愕然としたのである。

「このチャールズ・ハリス10Kはダウンヒルで比較的楽なコースなんだぜ」とKはいった。「ピーチツリーへの参考記録をとるには一番楽なレース大会だよ」

楽な大会なのかもしれないが、昨年左足首靭帯を痛めて以来いちども走ってこなかった私である。試合当日、朝5時半に起床して、6時半の当日エントリーをすませた。事前登録をすませていたKはレース開始の7時45分に合わせていたので早めに会場にきた私と合流できなかった。人ごみにまみれて前方に押し出された私は、独りで不安な気持ちのまま、スタート地点に立っていた。そして走り始めた他ランナーに押されるようにしてレースを始めた。

ちょっとペースが速いよな、と感じた。けれどもそれは長い間ジョギングを怠ってきたせいだ。これから走り直すリハビリにはちょうどいいだろう。そんなことを考えながら息をはずませて周囲のランナーについっていった私。

最初の1マイルの表示がみえてきた。
10Kは約6マイル。このチャールズ・ハリスでは1マイルごとにストップウォッチをもったスタッフが立っていて、時間を読み上げていた。ピーチツリーに参加するためタイムを気にかける参加者が多いためかもしれない。「7分12秒、13秒、14秒…」。沿道のがんばれ声援を受けながら走る私。しかし7分ですか…。え、7分って…、ちょっと早過ぎない!?

7分を6倍すると42分。
間違ったグループにいる(汗)

次の1マイルを走るとまた時間を読み上げている。「15分22秒、23秒…」
2マイルで15分。ここで愕然とした私は、突然息が詰まってしまった。空気を吸っても吸っても足りない。2マイル(約3.2キロ)を15分20秒代というのは、自分にとってかなり無茶だということは分かりきったことではないか。おまけに3週間前にかかった気管支炎の影響が自分にはまだ残っているのである。

ペースを落とさねばと焦ったが、その必要はなし。落としたくなくてももう両足がまともに進まなくなっていたのである。

水補給のデスクでコップ1杯を受け取るとゆっくりと歩いて息を整える。疾走してきたので整えるのは無理である。それでも詰まった状態から脱することはできた。もうスタートしてしまったのでリタイアをするのも悔しいではないか。私は単なる意地で走りを再開した。

その後の自分は、
ワシントン・リバーを漂う力尽きた一匹の鮭のようであった。

自分のペースを維持したランナーが私の両脇をすり抜けていく。何十人とすり抜けてゆく彼らは、川をサカノボリする産卵前の鮭の一群のようである。そのなかで瀕死状態でよたよた走っている私は迷走した迷子鮭…。ここでヒグマがやってきたら真っ先に餌食になっていたであろう(号泣)

道路整理をする警官と声援をかける観客。教会の前では大きなスピーカーを設置して“ロッキーのテーマ曲”を演奏していた(彼らが大会名を冠したチャールズ・ハリスの子孫たちであることを後に知った。この大会の参加費の一部は、白血病-ハリスの死因となった-治療への寄付にまわされるのだ)。彼らの外からの目線を感じなかったら、私はとうの昔にリタイアをしていたことであろう。最初の飛ばしで体力を使い果たしてしまった私。レース中、2度ほど失神しかけた-あぶないなあ。

5マイルを越えた時点で読み上げるスタッフのタイムは私には聞き取れなかった。現実なのだかよく分からない、ほとんど夢のなかで走っているようなものである。ゴールがみえてゲートをくぐったときにも後ろからのランナーに抜かれ続ける。最後のほうではさすがにペースを合わせていたが、抜かれた相手を抜き返すチカラはかけらも残っていなかった。

手渡しされた水ボトルを開けることももどかしい。半分に切られたオレンジの皮を剥こうにも指がいうことをきかず、仕方なくそのままかぶりつく私であった。ジュースで顔と手がべとべとである。あ~あ。

ゴールした際に回収されたナンバーが後に記録をつけて自宅に郵送される。遠い記憶が確かであれば-昨日のことなんですけどね、53~54分の記録。偶然だが、55分を切ると、ピーチツリー・ロード・レースで記録チップを受け取る資格がある。最初の2マイルで作った時間の貯金が妙なかたちで役に立ったわけだ。

ゴールの中学校の体育館で転がっていた私をKがみつけて近寄ってきた。
「どうだった」と彼は笑って訊いた。マイペースで予定通りに1時間をきった彼。今年も早朝のグループにはいることは間違いない。で、間違ってシリアス・ランナーに囲まれてしまった私は、これまた間違って記録チップ資格者の権利を得てしまう。後から確認をしないと分からないことなのだけれど、どうするんだよ、記録チップ…

翌日の27日。テーピングと湿布を貼った両足はまともに動かない。
股関節を広げようと動かすと、激痛が走る。
とほほの今年の走り始めとなりました。

ピーチツリー・ロード・レース
http://www.atlantatrackclub.org/at02000.htm
あなたも参加しよう♪

お、重い… (2月27日)

日記サイトを変更しての3日目でありますが(昨日は書けなかった)、慣れない形式であたふたと試行錯誤している私であります。インターネット大国のアメリカで暮らしているにもかかわらず、私のネットはいまだに電話回線なので、このAmebloだとFlashとか大量にデータをやりとりする機能がついていて、これまでに比べて日記の更新に時間がかかるということを知りました。

しかし、いまどきFlashなんてあたりまえだよな(--;
いい加減、DSLに変更したほうがいいのかも。

アトランタから発信ということなのですが、その暮らし実情はたいへんアナログな生活だったりします。なにしろ、電話回線ですから…

Blogって私はよく分からないのですが、これまでのネット日記に比べると、相互関連記事の交信などが可能なアドバンス・ツールなんですよね-この辺も実はよく理解しておりません。

個人の日記なのだから、「読者を意識して」なんてことを記しながらも、その実は己の表現欲を満たすのがまず先、ということなんでしょう。大切なのはそこからどうやって魅力的な内容に成長させられるか、という個人のスキル・ディベロップメントなんだよな。

とよく分からないことを書きながら、今回はここで締め。
<< 前のページへ最新 | 64 | 65 | 66 | 67 | 68