こういうことを書くと私が自殺するとか、死に瀕しているとか誤解されてしまう可能性があるので、予め断っておきますが、幸いそのいずれでもありません。

 そして、危機一髪で死にそうになったこともありません(ただ、人間いつでもどこでまかり間違って死と隣り合わせってことはあると思います。私も隣を走っていた車が事故を起こして大破したってことはありました)。

 だから、自分が死ぬ時のイメージができないのです。

 人間いつか死ぬ、そしてその死期に少しずつ近づきつつあるはずなんですが。

 人間いつか必ず訪れる死を意識して、死ぬ時はどんな気持ちで死ぬべきかを考えておいたほうがよいのでしょうか?

 たとえば金子哲雄さんはみずからの死が近いことを知り、みずからの少ない日々をプロデュースし、そしてみずからの葬式までもプロデュースしてしまったのです。

 その見事な企画力には本当に感動すら覚えてしまいます。

 みずからの死を悟ったとき、人間はそんなに落ち着いていられるのでしょうか?

 いられないですよね。金子さんですら、『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』自分が元気なら行くはずだった「ホンマでっか?!」の沖縄v旅行のスケジュールについて「見ると悲しいから、iPadから沖縄ロケのスケジュールを消した。それから4日間、目を開けている間は泣き続けた」と書いています。

 しかし、泣いてもわめいてももうすぐ死ぬという事実を変えることはできない・・・むしろ、無駄に時間を浪費するだけ・・・。
 金子さんはおそらくそれに気づいて、「こうなしていられない」と考えたのでしょう。

 金子さんのような立派な終わりにはできないでしょうが、自分が死ぬときにこうありたいというイメージはやはり持っておいて損はないでしょうね。

 徐々に考えて行こうと思っております。