昨今、女性が「自分へのご褒美」という行為を始めたと報じられる。主にそれはモノであるというより、高級エステとか英会話教室とか、ライザップとか自分へ投資のだったりするらしい。

 

へえ、そうなの? 自分へのご褒美なんて、僕は昔からしているけどね。

 

中学生の頃は親友と学校帰りに授業に耐えたご褒美に食べた中村屋の中華まんじゅうだったものが、高校生になり部活の帰りに練習に耐えたご褒美の寿がきやのラーメンになり、気がつけばいつの間にやらクルマやら時計やらと高額なものになり、高額であるがゆえに機会も激減。次の狙いは、還暦かな?と密かに思っている。

 

女性だって、、、僕が若かりし会社勤めをしていた頃には、フェラガモの靴やらルイ・ヴィトンやらカルティエの時計やらを、日々の仕事の苦痛に耐えたご褒美に購入していたように思う。

 

台湾出身の偉大なる歌手テレサ・テンだって、来日して「八時だよ全員集合」などにも売り込みのため出演し、苦労してヒットを出し、ルイ・ヴィトンのバッグを購入している。

 

そのバッグの実物は、台湾の中央部に位置する湖、日月潭にある「鄧麗君(デンリージェン=テレサ・テン)紀念文物館」に所蔵されている。「1970年代、鄧麗君 小姐 替 自己買的 第一個LV皮包」。

 

彼女は成功した晩年、台北市ナンバーのメルセデス・ベンツ190Eも購入したようで、その実車には胸を打たれる情念がある。

 

 

 

 

 

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しかしセルフ父の日だ(完全に父の日の趣旨を履き違えている)なんだと言われてくると、それは単に消費を煽るプロパガンダであることに気づく。

 

もっとも、父の日や母の日、バレンタインデー、七五三、最近では恵方巻き等、全て発端は誰かが仕掛けた消費を煽るものであるかもしれないが。

 

人のお仕着せではない。

 

ましてやマスコミのプロパガンダでもない。

 

純粋に心の奥底から湧き出る物欲というものの存在に気づいたとき、人は後戻りできない深みにはまっていることが多い。

 

俗に泥沼とか、沼とか呼ばれる世界である。

 

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いっそうのこと何も見えないのもまた幸せかもしれない。

 

時計はスマホで満足し、いつかアップルウォッチを買おうと画策する……。

 

クルマはやっぱり世界のトヨタのハイブリッドかな? 否、コスパで言えば実用性の高そうなホンダの軽(N-BOX?)、夢は小型車でもレクサスの人生。

 

どちらが幸せなのか考えた時、僕は今までの自分の放蕩に溜息をつくこともある。

 

断っておくが、アップルウォッチやホンダ、レクサスが矮小なものだと言いたいわけではない。それらで完結しない世界観もあるということ。

 

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この形而上学的なテーマに、おそらく正解はないだろう。

 

深みにハマるには精進が必要だ。知識を仕入れ、体験し、身銭を切って放蕩する。その繰り返しで審美眼が磨かれ、やっとこさ満足できる購買行動に行き着く。

 

そしてまた、より深い沼にハマっていく。

 

自分でできる唯一のこと。

 

それは自分の審美眼を磨き、納得できる購買行動を目指すこと。その際に、思い込みで全ての選択肢を消さないことではないだろうか?

 

自分へのご褒美を考える時。今アップルウォッチが大人気!というメディアの報道は全く考慮に値しない。

 

スマホで時刻を知る生活、スマートウォッチのある生活、普通の腕時計がある生活、~ヴァシュロン・コンスタンタンの腕時計がある生活、、、全ての選択肢を考慮し、自分の心がトリガーを引いたらその品をお買い上げ。

 

物欲は奥深いのである。