若かりし日のカシオのイメージ
カシオは電卓屋。電卓ではライバルのシャープに比べ一日の長があるが、時計はデジタルの安時計。これが僕の幼少時代の、カシオのイメージだった。
そこへG-SHOCKという名の、耐久性と少々子供っぽい、メカメカしいデザインを売りにしたモデルを発売したのが、僕の青春時代。
多機能デジタルウォッチ。収入が少ない男子にとって、シリーズ化や日本人が弱い限定モデルの発売、映画・各種メディアとのタイアップ戦略で騒がれていた時計は、魅力的なものだった。
しかし社会人となり、ある程度収入を得るようになると、興味は輸入時計に移り、いつしか買い求めることも無くなった。当時、安価で高級感のある普段使い時計としてはSWATCHが全盛であり、僕はそのクロノグラフモデルを買い漁った。
大人が使えるカシオとは?
再びカシオに興味が行くようになったのは、30代になってアウトドアライフやバイクのツーリングといった高級時計を使用するのに抵抗がある屋外アクティビティーを行うようになってからだ。少々傷ついてもおかしくない、それでいて多少の所有の満足があり、付加機能もある時計が欲しい。
そんな時、昔熱中したG-SHOCKは、いかにも子供っぽいのである。
量販店に常駐するカシオ社員に問うと、「そんなことないですよ、金属素材のMR-Gなんかはスーツにも合いますよ」と言う。いやいやいや...。スーツには年齢や立場にふさわしい時計をせねばなるまい。ましてやコモディティ化したエディフィスやオシアナスという名のブランドには全く興味がわかない。
そんな時に知ったのがプロトレック(PRO TREK)だった。
これには電波ソーラーやトリプルセンサー(気温/気圧/高度)、アラームや時報、ストップウォッチやタイマーといった付加機能が付いて、G-SHOCKよりは大人のデザインになっている。
正に大人向けのG-SHOCK。
以後、僕はプロトレックの、中でもデジアナモデルを常に所有することになった。
今後のカシオに望むこと
そんな背景がある中で、2017年秋。カシオが、GTS-B100シリーズというウブロのデザインそのままと言っていいパクリ時計のG-SHOCKを発表したことはある意味でショックだった。似ているというレベルではない。完全にデザインはウブロのビッグバンの丸パクリだったからだ。
具体的には、平面ベゼルやベゼルのビス留め、ラバーのベルトの意匠、ベルトを取り付けるラグの形状、ダイヤルのハイライトの方法、金属とラバーの組み合わせ方である。
逆にカシオらしいのは、ごちゃごちゃ書き込むベゼルの表記と、何の工夫もない尾錠、野暮ったいハンド、安い素材くらい。
いやこれはこれでいいとは思う。
ビッグバンは120万円を超えるから、その20分の1のプアマンズ・ビッグバン。最大限いい方向に考えれば、他メーカーがグレーゾーンで作ったアウトドアバージョンのビッグバン。
高級時計に興味がない人にとっても、本家のビッグバンのデザインに憧れを持つ人は多いだろう。しかしとても時計に120万円は出せない人にとっても魅力的だとは思う。
もしくはビッグバンの存在すら知らない人にとっても、ビッグバンはおそらくは興味を持つデザインであることを、GTS-B100シリーズのある程度の成功が証明している。
しかし、これでは中国をコピー文化などとを嘲笑することはできない。クルマでいえば日本人が高級と信じるレクサスから小型車までなんでもそうだが、欧州車の美味しいエッセンスをぱっくんぱっくんパクりまくっている。
日本の工業デザイン力は、到底欧米には及ばない現実を認識せねばならない。それは恥ずかしいことではないが、模倣は恥ずべき行為と思う。
今後カシオには、G-SHOCKでもプロトレックでも、旧来のようなゴテゴテした少々野暮ったい時計を「カシオ流」に進化させて行って欲しい。それがカシオの魅力なのだから。そこに他社の成功した時計のエッセンスは要らない。
またそれができるからG-SHOCKが35年以上も続いてきたのだと思っている。
この先、洗練されたモデルを出すにしても、カシオらしい野暮ったさ失ったモデルは、瞬時にコモディティ化し、全く魅力を感じないと思っている。