何故なのかさっぱり分からないが、かなり幼少期の記憶でも無駄に覚えている時がある。

例えば、兄貴と爺ちゃんと婆ちゃんと三人で関西の親戚の家に新幹線で行ったこと(4歳頃)

サンリオのハーモニーランドに連れて行ってもらったり、当時流行っていた戦隊モノのショーに連れて行ってもらったこと(5〜6歳頃)

こんなうろ覚えみたいなことでも案外脳裏に刻み込まれているもので、自分が平成初期生まれだったから兄弟とスーパーファミコンでマリオコレクションをよくやっていたことなど、今でも昨日のことのように覚えている。

また、幼少期の私はいじめられっ子で、今でもはっきり覚えていることは、ある女が主犯格をしているグループの取り巻き連中に叩かれたり殴られたりしてよく泣かされていた。ただ、こんな過去の話なんてどうでもいい。

家に帰った私は、おもちゃの人形をよく戦わせていた。ぞれで恐らく、現実では勝てない相手を倒したつもりになっていたのだろう。

その一方で、私を助けてくれたのもまた、女だった。

私は、いじめ主犯格の女とは別グループの女にたまたま気に入られており、そこでおままごと要員として混ぜてもらうことによって、かろうじて自分の居場所を確保していた。

また、両親は私が可愛かったのか、私に女装をさせた幼少期の写真を今でも残しており、当時は女の子のように可愛かったのにねと、私によく言い聞かせていた。

ただ、私は男でありながらそのプライドを保つことさえ精一杯で、女男にいじめられたり(裸にされていた記憶がある)別の女に助けられたりしながら(シルバニアファミリーをしていた)、家でおもちゃの人形を戦わせてストレス発散に興じていた。

そして、何故だかさっぱり分からないが、弟をおもちゃで叩いていたりしたとも聞く。そのため、弟の頬にはその時の傷痕がまだあるそうだが、私自身幼少期の自分の行動にどんな意味があったのか全く把握出来ていない。

今でこそ広く知られる言葉になったが、果たしてその当時に「自閉症スペクトラム」なる言葉はあったのだろうか?

何とか幼稚園を卒園した私だったが、残念ながら私を輪に入れてくれていた女グループとも離れ離れになるようになり、親都合で現実家に当たる住所に引っ越して別の小学校へと通うこととなった。

それ以来、私の人生は「愛着」と「権力闘争」の二つに翻弄され続けていて今に至る。

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