若くして妊娠し結婚した。

 

本当は子供だけ生んで結婚したくなかったが、

一緒に住んでいた母親に、生むなら結婚しろと言われた。

 

私が大変だから。

子供なんていたら私が大変だから、生むなら結婚しろ。

そう私に言う母親。

 

生まない選択も検討し母親に相談すると、

おろすなんて絶対にだめだと言う。

 

選択肢は結婚することしかなかった。

 

これだけではないが、数年後に私の母親は本当に酷い人だと言うことに気付くことになる。

 

 

母にはこのように言われ、結婚して子供を生んだが、

私の性格上生まないという選択はできなかったと思う。

そして、結果論だが、離婚はするものの一度結婚をしたことは良い経験になった。

 

19歳で妊娠し、20歳で出産をした。

 

相手は3歳年上の作業着を着てする仕事をしていた。

給料は手取りで22万くらい。

 

趣味はスロット。

本は読まない。

スーツが嫌い。

電車やバスが嫌い。

人と接することが得意ではなく、美容院も苦手だがロン毛を好む矛盾した人だった。

 

私が彼と出会う少し前に、彼は一軒家を購入していた。

それは、彼の父親が一人でローンが組めず、長男の彼と親子ローンという形にしたものだった。

 

玄関ひとつ、風呂ひとつの普通の3LDKの二階建ての一軒家。

結婚する相手と一緒に同居で暮らすと、付き合った時に言われていた。

 

まだ若い息子の将来を父親が縛る、変な親だなと思った。

 

 

妊娠がわかったとき、同居が頭をよぎる。

本当はとっても嫌だったが、核家族が多い今の時代には、

もしかしたら子育てするには良いかなと思ってしまい、一緒に住むことにした。

 

地獄の始まり・・・。

 

元夫はスロット三昧。

元義母は酒乱。

元義父は家の中では偉そうで、一歩外に出ると何もできずおどおどする気の小さな人。

同居することになった元義弟は、ヤンキー気取りの車好き、女の子をとっかえひっかえ連れてくる人。

 

 

こんな家出同居を選択したバカな私。

ストレスは積もりに積もり大変なことになる。

 

若気の至りだと一言で片付けられないものがある。

これは、私を育てた親にも責任があり、人は育てられ方で将来の一部が決まってしまうと言っても

過言ではないと、私は実感している。

 

また、辛く苦しい日々の中、すがり頼れるものは本だった。

たくさんの本を読み学んで、言い切れる部分もある。

 

育てるということは、人でなくても、動物や植物でも同じで、責任重大なのだ。

 

 

私が精神疾患であったとわかるのは、一人目を出産してから10年経過した時だった。

ある人に言われ、そうだったんだと気付かされた。

 

この時の出来事が私の人生の転機になった。

また後々記していこうと思う。