ちなみにその1はこちらね♪

 

「喋る」ということが苦手で

「自分が喋っているところを人に見られるのが怖い」

という思いが強いから

 

それを克服して

「みんなの中に入っていって

楽しく喋れるようになる自分」を目指して、

大切な人生の大半の時間を費やすのもいいけど

 

それよりも、

自分が心地よく感じるのはどんな状態かを考えてみる♪

 

人と比べなくていい♪

 

そんなにみんなの中に入っていきたい?

 

確かに、大勢の中で、楽しそうに喋っている人を見ると、

キラキラしていて、楽しそうで、自分とは違ってて、

いいな~って思ったりするけど

それができない自分を否定したりもするけど

 

私は、頑張って喋らなくちゃいけない大勢の中よりも

言葉少なくてもいい

ひとりひとりと深く濃く関わるのが好き

ワイワイもいいけど

静かに時間が流れているのがいい

 

いろいろ問題があったとしても

自分の選択と、人生を楽しんでいる、

数人の友人と、深く濃く付き合うことができたら

そっちががいいな^^

 

お互いがお互いの趣味や考え方を受け入れあって♪

それが静かに少しづつ広がっていくのなら

それはそれでいいよね♪

 

 

かんもくさんだったから

ろくなことしかなかったかというと

確かに辛かったけど、いいこともあったよ^^

 

喋らない私に、優しく話しかけてくれた先生や

優しい友達もいたよ

嬉しくて泣いてしまったからびっくりさせていまったけど・・・

 

大人になってからも

少しそんな感じを引きずっていて、

とある会の後、ひとりホテルのロビーに座っていたら、

会でご一緒した方が、話しかけてきてくれました^^

 

その時、私なんかに、あんなに輝いている方が話しかけてくれるなんて~と、思ってしまって、とんちんかんなことを言ってその場を離れてしまいましたが^^;

 

話しかけてくださったことへの感謝と、

なんて失礼なことをしたんだろうと、

お詫びの気持ちでいまだにいっぱいです^^; 

あの時はごめんなさい・・・

 

人の優しさに繊細に気が付くことができるし、

同じように、喋れない人、引っ込み思案風な人には

気持ちがよくわかるからか、

自分から話しかけることができます。

 

そういう良さ?というか

役割?(というほどのものでもないけど)

わからせるために、

神様はかんもくを与えたのかもしれないしね♪

 

そして、「わたし」は、どういう状態を心地よく感じるか、

「わたし」は、どういうお付き合いを望んでいるかを

きちんと考えるきっかけになったと捉えることもできるよね^^

 

現在進行形中はとっても辛いけど、

ひとつひとつの出来事が決して無駄ではないって

今なら理解できるよ♪

 

 

お読みくださってありがとうございます♡