思春期には特有の悩みがあります。その葛藤を時に相手や自分に向ける事も

珍しいことでは、ありません。その時、側にいる大人たちは

温かい目で見守りを行いながら、時に一緒に悩み、笑い、泣きを共にし

成長していきましょう。




①思春期の言葉



思春期というのは、子どもでもなく大人でもない。

人生の中で最も中途半端な時代であるといえます。

その子ども達との関わりの中で感じている難しさの一つに

「自分に関することを素直に語りたがらない」ことがあげられます。

「別に」「なんとなく」という言葉が象徴するように

とりわけ、大人には素直に心を開いてくれません。


では、どうして子ども達は

自分の思いを素直に言葉にしてくれないのでしょうか?

一つには、自分の複雑な気持ちを表現する言葉をもたない。

あるいは言葉なんかで表現できないという思いを抱えている場合です。

また、その背景に「大人なんかにわからない」という反発や

「言葉にしなくてもわかってよ」という一種のあまえがひそんでいることも

少なくありません。これらに共通するのは、思春期特有の幼さです。


では、言語化されない心のモヤモヤやイライラは、

どのように処理されるのでしょうか。

その多くは、行動化や身体化というリスクのある形で表現されます。

人や社会にむけて攻撃性を向けたり、

ときには自分自身で傷つける形でSOSを発信する子どもたち。

しかし、言語化できない子どもたちすべての非があるわけではありません。

表現しない子どもを責める前に、子どもの側に

その叫びをじっくり聴いてくれる存在がいるかどうか

再確認が必要でしょう。



*行動化と身体化

悩みはストレスを心の中に抱え込んだ場合の表現化。

行動化は攻撃性が外に向かい、

モノを壊したり人を傷つけたりという形で表現されることが多く

身体化は病気など体を通して表現してしまうものである。



② 子どもの心の問題に対するとらえ方



このように言語化が複雑になるこの時期、心の問題は行動として表面化しやすく

子どもの問題行動に対し、周りの大人は“困った”もの“悪いこと”と考え

それをなくすように対応しがちです。たとえば、いじめが起きればいじめをなくすように

対処するでしょうし、教師への反抗が重なればそれを止めるように指導するでしょう。

たしかに、問題とされる行動を止めることは必要です。

しかし、子どもたちが見せる“問題”とされる行動も、よく考えると

そこにある種の“意味”がこめられていることが少なくありません。

たとえば、教師に対する反抗も「先生にもっとかまってほしい」

「自分のことをもっと心配してほしい」という気持ちの表現であることもあるのです。

こうした場合“問題とされている行動”だけでなくせば、それで解決ではないのです。

表面的な“問題”を理解すること。そこに子どもからのSOSを読みとる見方が大切だといえます。



③ 思春期を援助する際に


○揺れに付き合う


思春期というのは、身体的にも激変する時期であり、心理面にもきわめて不安定な様相を

呈するという特徴があります。特に心の問題を抱えた子どもの場合、そういう起伏の

激しさはより大きなものとなり、周りの大人はそれへの対応に振り回されてしまいます。

この不安定な時期の子どもたちを相手にする場合、そういう思春期特有の「周期の短い感情の揺れ」

に共振し、ときには共に泣き、怒り、そして歓喜することも必要です。

子どもの世界に波長を合わせる(子どもの世界を知り、その心を理解する)努力も大切です。

しかし、その際に、周りに大人が子どもと完全に同化し我を失っては禁物です。

危険な時には守りの壁となり、大人としての意見を求めたら冷静に返せるように

足場はしっかりと確保しておくように心がけたいものです。



○発達というプロセスの中でとらえる


思春期は、子どもから大人に成長していく時期であり、

その変化の可能性はきわめて大きいといえます。

今、どういう状況でも、それが永遠に続くわけではないし

子どもはすべて変化・成長する可能性を秘めているのです。

そんな子どもに対しては、現在の状況だけで

その子の将来を見極めたりしない対応が肝要です。

それと同時に、思春期を援助する立場にいる大人には

<この子は今トンネルの中にいるけれど、いずれ嵐はさる>

と信じ希望をもって見守り支える支援が必要だといえます。

その温かい見守りが、子どもの背中を押し出す力になるのです。



○じっくり待つ


思春期の子どもの心を“傾聴する”には忍耐が必要です。

子どもの言葉がじっくりと結晶化するまで待つには

相当根気がいる作業だといえます。

そんな場面で大人がするあやまちは“先回り”という対応です。

子どもを語ろうとしているのに、その言葉を横取りして

「それは、こうなんでしょ」と片づけてしまうこともあります。

また、大人の常識や親の分別で対応することで

子どもの純粋な気持ちを傷つけてしまうこともあるのです。

荒削りでもいいから、子どもが自分の口から真実の言葉を発するまで

心を傾けて待つ事が必要です。そうしたエネルギーを傾けた見守りが

子どもの心の扉を開く支えとなるでしょう。