今年に入って、いや、正確には昨年の秋頃から疎遠になっていた人達から連絡が入り始めた。もちろん、中には以前の神社で関わっていた出来れば連絡を取りたくない人もいるが、この際だから割り切って、自分たちが教祖と崇める人間の愚かさを暴露した手紙と、商売っ気を出してカタログを送って買うなら連絡を取り合ってやるというかなり上から目線の手紙とカタログを送ってやることにした。

 いやー、我ながら自分の強さに敬服するよ。でもね。今のままでは私の中では助けるべきではない人種なんだよね。取りあえず、これを送って相手の出方を見てみよう。

 どうせ、教祖の命令で私を引き戻せるような状態なら引き戻すように言われたんでしょう。冗談じゃない。私は神社という名のカルト教団に戻るつもりはない。

 去年の10月、日蓮大聖人様直々にお目通りをして頂いた。この時点で私と日蓮大聖人様との縁が強い事は明白だ。私は私の進むべき道を行く。

 まあ、実際、姿を見た時にはびっくりしたけど、自分の力が衰えていない証明をして頂いた。お姿を見てから地元のお寺のご住職の奥様に話したら私が言った通りの姿写しの木彫りの像が存在するらしい。

 

「そこまで見えるとは思わなかった。」と驚かれた。

 

 家の近くのお寺のご住職と奥様だけは私の仕事を知っている。その2人以外は私が日蓮正宗に導いた人しか私の仕事は知らないし、お寺の信者との接点は持ってない。同じ轍は踏みたくないからね。

 誰にでも一度は話をする。だけど、その先、また話をするかどうかは後でゆっくり決める。人それぞれ、魂の差がある。魂が成熟していなければ縁はつかない。

 頭が理屈で理解出来ないと納得いかない脳みそだと、どうしてもいろんな角度から物を見たがる。私はそのタイプだ。だから何に関しても結果が伴わないと納得しないし、真実しか、現実しか直視出来ない。

 だから頑張らない人には頑張らないだけの対応しかしないし、頑張る人には頑張る対応をする。立場上、直接、私に指摘されると半端なく落ち込む人も多いからね。落ち込まないのもいるけどね。

 しかし、感情を捨てるのに必要な工程だったとはいえ、あの神社での5年間はきつかったぞ。マジで心が壊れるかと思ったよ。だけど立ち直った私のこの心の強さ。呆れるやら感心するやら自分で言うのもなんだけど、本当に鋼の心だよね(^^;