現在、父とはまだ別居状態です。

母と離婚をしなかった為、一生親子の縁は切れなくなったのが

とてもショックには思ってます。



今でも毎日酔っ払った声で留守電が入ってます。

出ませんが。



何を考えて生きているのかわからないです。

変わってないんだな・・と思う事自体が、とても寂しいです。


葬式代は全部私が出しました。

でもその席での喪主は父です。とても嫌でしたが、仕方無い事と諦めました。

「みんなお腹減ったろ」

と父親づらした父が差し出したのは・・・赤飯でした。


母が亡くなって、変わってくれるのではないかと

内心期待していた私が馬鹿でした。






彼と別れなかった理由のヒトツが私の家庭状況だった為、

長々と記載しました。



うちは父があのような状況下だった為、親戚筋は交流が全くなく

下二人にも頼る事ができず(多少の相談、連絡はしてましたが)

ほとんど全ての相談を彼氏にしていました。


いろいろ書いてきましたが、2人でいる時は普通の人でしたし

私は彼氏がいつもその状態だったらなーと思ってました。

それであれば今頃お嫁さんでしたね。確実に。


横にそれましたが。




家族の件に関しては完全に彼氏に依存していたと思います。

だから、他の人がからんでおかしくなっても

でもでもって思いとどまっていたのではないかなと。

今ではそう思いっています。

母が最後の入院をしたのは、私が社会に出てすぐの時だった。



母の熱が下がらず、ちょっと気になって検査を進めた。

すぐに私だけ病院に呼ばれた。



胃癌が腹膜転移していた。


もう末期だと・・1年もたないだろうと・・




やっとこれから穏やかな生活ができると思ったのに。

やっとこれから好きな事がやらせてあげれると思ったのに。


何で母さんなの?

あの男は好き勝手やってきて、今も両親の下でのうのうと生きてるのに。

あいつが死ねばいいのに。

あいつがもっと早く死んでればよかったのに。


告知されてからは毎日そういう事を考えてた。




お医者さんは、家で過ごせる時間は短いから

自宅で過ごした方がいいとすぐに退院させてくれた。


母の体調は日に日に悪くなっていくのがわかった。


告知をする事にした。



残りの時間を父と過ごしたいならそれでもいいと思った。

まだ連絡とっているのを知っていたから。

余命の話はせずに、母に転移の話をした。

体力が無いので、手術はできない事。

毎週1回は抗がん剤を打ちに病院へ行く事。


よくなる事を信じてた母は、また元気になるんだと張り切っていた。




ほんとに大好きだった。


でもそんな母を見てるのが、とても辛かった。


同時に父が憎かった。


夜中に体が痛いとトンカチで体中を叩いてる母。

食べれる量も少しづつ減ってきたけど、

それでも嬉しそうに好物を食べる母。

サスペンスドラマが大好きで、いつも一緒に誰が犯人かを予想して

自分だけ当たった時の満面の笑顔とか。


とにかく全てが辛かった。



重いものがだんだん持てなくなり、

体力もどんどん無くなってくのが目に見えてわかったけど、

それでも母は料理だけは作り続けた。

私達においしいものを食べさせるんだと・・





でも私は帰りがいつも遅かったよね。

母さんは私の彼氏がだめな人だって、付き合い始めてすぐ言ってたね。

もっと早く別れていたら、母さんもっと長生きできたかな・・



母さんが死ぬってわかってて、

一人でいれる程私は強くなかった。






結局母は余命を宣告されてから、1年半生きてくれた。

最後は呼吸不全だった。

母が4度目の入院をしたのは、私が大学2年の時だった。



また父が原因だったが、今度のは少し様子が違ってた。


検査が一通り終わった後、母を残して家族が呼ばれた。


病名は胃癌だった。


でも初期のものなので、胃を取ればどうにかなると。

胃を取っても、しばらくすれば食道の一部が胃の役割を果たすから

ご飯が食べられなくなる事はないと。



日常生活で、食事が一番好きだった母。

料理が好きで、1食に4品も5品も作ってくれた母。


今は我慢だけど、食事ができるなら・・

と母に話をし、胃の摘出をする事にした。





入院もそんなに長くなく、帰ってこれる事になった。


でも、入院中も病院に押しかけ、怒鳴ってお金をもってく。

私達の学費まで全て使い込む。


そんな父との生活はもうたくさんだった。




母に私達と父とどちらを取るのか?と

選択を迫ったのはちょうどこの時期で、母は迷わず私達を取った。




引っ越す金が無かったので、父を追い出した。

苦労はしたけれど、その頃弟の方がすでに父より力が強く

家族内で見方が誰もいない事にやっと気がついたのか、

最後は何も言わずに出て行った。

すぐ鍵を付け替えて、母に名義を変更し

家賃は兄弟で分担して払っていく事にした。


母はすっかり痩せこけていたが、家事は私の仕事と

はりきって私達にご飯を作った。




この頃に戻りたい・・