わたしがわたしを生きる道

わたしがわたしを生きる道

人生いろいろ、彩とりどり。アダルトチルドレンの私が30代の最後に乳がんに罹患。失ったものはあるけれど、一歩ずつ、私が私の人生を自分の足で切り拓く!!

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私が住む地方都市にある唯一の歓楽街。

 

某女王がいる大遊戯場ではないけれど、そこそこ活気があってネオン輝く場所。

 

私が入院した病院は、そんな一角にあった。

 

なんでこんなところに病院があるんだろう。

 

アクセスはめっちゃいいけど。

 

歓楽街と病院。

 

同じような生々しさがありながら、対局にあるかのようなこの2つが、

 

ずっと前から同じ場所に存在していた。

 

当初私は大部屋に入院していたのだが、術後、手術した左の腕は肘から下しか動かせず、

 

逆側の腕には点滴の針、左の脇腹にはドレーンがぶっ刺さり、足には血栓防止

 

のためのポンプが絶えずシュポシュポ、収縮を繰り返す。

 

態勢は右か仰向けにしか寝れず、身動きがとれない状態。

 

はじめてのこの状況に、とてつもなくストレスを感じていた。

 

そんな中、私の後に手術したおばあちゃんが、大いびきをかいてスヤスヤ寝ていた。

 

手術をしたってのによく寝れる。

 

その神経が心底羨ましかった。

 

カーテンの隙間からわずかに差し込む、蛍光灯の光も鬱陶しくて、

 

イライラのピークは予想より早くやってきた。

 

その時初めて気づいた。

 

私、どうやらHSPっぽい。

 

光も音も苦手なハイパーセンシティブピーポー。

 

とは言っても、この病気なってしまうくらい、普段我慢強い私はこの状況にも

 

なんとか必死に耐えようとしていた。

 

が、初めての大手術。

 

身動きがとれない状況に心は大パニックで、看護師さんに助けを求めた。

 

「個室が空いてたら、移動させてほしい」

 

しかし看護師さんの回答は、無情にも

 

「今個室の空きがない」だった。

 

続けて看護師さんは言った。

 

「睡眠薬を飲んで寝るといい」

 

…いや、そういう問題じゃないのだ。

 

確かに私はその当時睡眠薬を飲んでいて、その薬を持参して入院していた。

 

普段でも飲んでも寝れない日だってあるのに、今のこの状況。

 

マイスリー半錠で到底寝落ちするとは思えない。

 

絶対に絶対に無理。

 

もうこの状況耐えられない。

 

「個室じゃなくてもいいので、静かな大部屋に移動させてもらえませんか」

 

こんなに無理言って人に何かをお願いしたことはない。

 

人に迷惑かけてはいけません。

 

親に言われたことを忠実に守ってきた、38年と8か月。

 

でももう限界だった。

 

「ベット動かす人呼んできます」

 

あぁ、やっと私の願いが通じた。

 

看護助手の方も来てくれて3人がかりで私のベッドを動かす。

 

さっきとは打って変わって、シーンと静まり返った大部屋に移動することができた。