皆さんこんにちは。
今回は日本の仏像にまつわる伝説をお話したいと思います。
こちらの仏様皆さんもご存知のお地蔵様です。
お地蔵様はどういった仏様かといいますと、お地蔵様の正式な名前は地蔵菩薩といいます。
仏教では、お釈迦様が亡くなってから56億7000万年後に弥勒菩薩が仏になって人々を救済すると言われています。
弥勒菩薩が現れるまでの間、お地蔵様が苦しむ人々を救済する役目を持っています。
賽の河原で鬼にいじめられている子供を救ってくれますので、子供の守り神としても信仰されています。
お地蔵様のお姿ですが、写真のように頭を剃りあげた僧侶のようなお姿で右手には錫杖を持ち左手には宝珠を持った姿が多く見られますが、京都の西陣にある智恵光院というお寺さんには変わったお姿をしたお地蔵様がいらっしゃいます。
こちらのお地蔵様は六臂地蔵といいまして、腕が六本もある非常に珍しいお姿をしています。
なぜ、こんなお姿をしたお地蔵様がつくられたかといいますと、こんな言い伝えが残されています。
このお地蔵様を彫ったのは平安時代に実在した小野篁(おののたかむら)という人が彫ったと言われています。
小野篁は平安初期に嵯峨天皇に仕えていた官僚で武芸にも優れていて、学者・詩人・歌人としても優れていて、小野妹子の子孫とも言われています。
実は小野篁にはこんな伝説が残されてまして、昼間は主君である嵯峨天皇に仕えて、夜は閻魔大王に仕えていたという伝説が残されています。
京都の東山にある六道珍皇寺というお寺さんには篁が冥土に行く時に使っていた井戸が今も残されています。
そんな武芸や学問や歌にも優れていた篁がなぜ、この六臂地蔵を彫ったかと言いますと、平安初期のこと篁は重い病気にかかってしまい死んでしまいました。冥土に着くと篁はお地蔵様に出会いました。すると、お地蔵様は篁にこう言いました「悩み、苦しむ人々はすべて私が救おう。お前は人間界に戻り、このことを伝えよ」と告げたのです。そのお告げを聞いた篁は生き返り、伏見の木幡山(こはたやま)にある1本の桜の大木から、六道いわゆる地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道の六道それぞれを救う六体の地蔵を彫りだし、木幡の里に祀ったのです。
ところが篁はその六体の地蔵を見て、ひとつの考えを思いついたのです。それは六道すべてを救う力を1体の像に込めれば、より功徳の大きな地蔵になるのでは?という考えを思いつきました、。そこで、篁は7日間、精進潔斎した上で、地蔵作りに取り組み、六道を表す六つの腕を持った六臂地蔵を作り上げたのです。
この六臂地蔵は六道で苦しむすべての人々を救って欲しいという篁の願いがこもったお姿をしていると言われています。
長くなりましたが、ここまで読んで頂きありがとうございました。
本日はこのへんで失礼します。