Pil/フラワーズ・オブ・ロマンス | 湯島の夜/湯島本店 Night Of Yushima

Pil/フラワーズ・オブ・ロマンス

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フラワーズ・オブ・ロマンス(81年リリース)  

コロムビア [COCY-78003]

 

 これは僕の大好きなアルバムです。稀代のオオバカであるJ.ライドンの中でもおそらくトップの座に君臨する(笑・・・あくまでも個人的意見)まともな芸術的なアルバムでありましょう。ほんの2~3枚、しかも後期のものばかりしか聴いていない不勉強なくせに先日はCANについて語ってしまった・・・僕でしたが、今回CANの紙ジャケ化が進む中で「購入して初めて初期のCANをまともに聴いた」僕は・・・PiLのこのアルバムは確実にCANから影響を受けていることがわかりました。まわりくどいですが・・・「CAN初期のアルバムとPiLのフラワーズ・オブ・ロマンスは僕的に合格!」ということです。これらの音源は永遠に遺していかなくてはならない「芸術作品」でしょう。もはやロックなんて「田舎臭い」表現方法ではなくて・・・ん? ではなにか? うーん・・・不明。ロックでもリックでもリック・テレコムでもない・・・しなぁ笑)。シックかな? あ、そりゃ髭剃りだ!

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 「ロックは死んだ。だがポップは生き残る」と言った稀代の愚か者(イングランド・ショーケン)であるJ.ライドンはいいことを言っています。まさしくその通りです。情けないけど・・・耳触りのいいポップなものはいつまでも残るのです。反面、ロックなんて先達がどんどん年取っちゃって・・・単純でおんなじ音進行からいくつもの名曲を作り上げてきた音脈も涸れ果ててしまったのです。んで、挙句の果てに後継者たちは「わかりづらく妙な音進行や歌唱法をつぎはぎしたどうしようもない」エセ・ロックばかりしか創作できなくなってしまったのです。

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 しかし・・・まだまだ80年代は良かった。本当に良かった。では、ロックが衰退した原因はなんでしょう? ①もう・・・ロックとして・・・音がない。作りようがない、②ロック先達(身勝手な団塊の世代)による老いても現役を退かない強欲さが市場を狭くしている(お前らドラ中で早く死んじまえ。あ、問題発言。即訂正・・・心からお詫びいたします)、③才能のある後継者の少なさ、④デジタル化・・・って、まあ早い話がデジタル化でしょ? 楽器もデジタル化されて職人なんかいないし・・・(別なオタク職人はいるよ)、所謂ノーテクでも誰でも音楽なんかできるんだもん・・・みたいな環境がかえって音楽の幅を狭小にしているのです。音楽はミュージシャンの音楽的な才能と演奏力に、それに合致するパッケージ・・・ジャケット芸術にレコード会社のプロモにショップの販売力といったトータルな「作品」であったのに・・・今は「売れ線」のものしか宣伝しないし・・・ジャケットなんか「どうでもいい」ってしか考えてないし・・・ま、それ以上にデジタル・データのダウンロードだもん。「人の手なんかどこにも介されてない」のが問題なんだよ。それじゃダメダメ・・・自分達で好きな音楽作ってデータ作った方がいいやなあ・・・。理想は現在売れている方達を一掃し・・・また60年代ロックからやり直そう!だめなもんは「やり直すしかない」んだよ!

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 おっと・・・だいぶ脱線。しかし、このアルバムはよくできています。昔リアルタイムでよく聴いただけある。こつらのJ.ライドンは呪術的・・・としても問題ありません。やっぱり声は「愚か者」だけどね。前作メタルボックスはらだのラリラリやる気なしなボーカルだけ。よいのはジャケットばかりなり・・・でした。このアルバムは「素人がストロボをまともに向けて焚きながら撮影したような」ジャケットもいいしね。一番良いのは冒頭でしょうね。うーんん・・・やられちゃう。民族音楽的だけど、とってつけたように安くなくて・・・考えられて作られているような気がします。ま、運が良くてたまたまうまくいった・・・のかもしれない。だって、その後のライドンは傑作をものにしていないもの。PiLはこれだけでいい。ライドンはもう不要だ・・・。