The lazy life #2

The lazy life #2

くまばちの飛行。

Amebaでブログを始めよう!
わずか2ヶ月前に書いたことと今の状況、自分の気持ちが全く違うもので思わず笑ってしまった。
経済学なんて手つけてねーだろタコ。新書2、3冊読んだだけじゃねーかw


ぐるぐるぐるぐる回ってるだけで答えを出せない。この一点は結局四年間変わらなかったなぁ。
そうしてぐるぐる回ってるうちに四年も経ってしまって。

時間っつーのは残酷だ。一分、一秒、一日、というような何度でもくるような存在でごまかしてあっと言う間に可能性を奪ってしまう。
それでもまぁ、自分さえ諦めなければ細いなりにも道は残る。自分がどうするか、いつだってそれが重要だ。幸運の女神に後ろ髪はない。すべきときにすべきことができたか、それだけがチャンスの有無を決める。


ボタンを掛け違えたことは、最後の一つにいかなければ気づかないように、選択を誤ったことも後になってみなければ気づかない。

こうやってグズグズ言っているのが嫌でしょうがない。そんなにやりたいのなら今すぐやるべきだ。他人の目なんか関係ない、打算抜きでやるべきだ。それ以外に自分自身の"魂"を輝かせる術はない。

分かってる。もう十分それは理解した。
で、そこでふっきれなくて、踏み出す自信も勇気もなくてここに至る訳で。


この四年間何してきたんだっけ?w

なんか、笑える。ほんとにどうしようもなく面白い。自分のことなのに。こういう感情を抱えて一生いきるのかと思うと気分が沈む。どこまでいっても晴れない空。
バカバカしい。



バカバカしい人生だ。
まだもう少しなんかあるかな?
でももういいかな?

線香花火の球。落ちそうで落ちない。チリチリ揺れる。今の俺。


ま、花火なんて今年やらなかったけどね。
このブログに書くのめっちゃ久々。
「久々」になるまでの間には随分いろいろなことがあった気がする。
2011年は俺にとってはものすごく密度の濃い幸せな一年間だったと思う。

3年前とはずいぶん考えていることも変わった。だけどそんなことがあったっていい。
6月はひたすら民訴・憲法・行政法。おまけで民法。
割合としては3:3:3:1、こんな感じか。

行政法なんて久々すぎてカビでも生えてるんじゃないか。

まー勉強のしすぎで死ぬことも無いだろ。6月から9月までの3か月間、ひとまずこの3か月間が勝負だ。
9月以降は経済学に手を付けないといけない。

不安になりつつ、どこかわくわくしている自分がいる。
目的があるってのはいいことだ。


面白いなぁ、人生。短期決戦って好きよ。もう後になんか戻れないんだから、あとは進むだけ。
是が非でも受かりたい。どうしても行きたい。いつだって人間の行動原理は欲だ。少なくとも俺は信じている。
体からあふれ出るんじゃないかと思うほどの欲、他の事なんかどうでもよくなってしまうような欲、こういう渇望を待ってた。

がんばろ。



ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。



時間は決して戻せない。立ち止まる事さえできない。
どんなに嘆いても。

今日は昨日の積み重ね、明日は今日の積み重ね。未来は過去の成果物。
何もしなければ何も無い。
それを実感してしまったある日、急に明日が空虚なものに感じられるようになってしまった。

セリグマンの犬?


フタを開けなくても分かる。だから開けたくない。
多分、そういうこと。


なんか、もういいや。
時々さいなまれる、こんな砂をかむような気持ち。
体の奥深くから湧き出てまとわりつく不快感。


分かっていたはずなのに。

旅に出ようかな。


プランB

からの

プランB


妥協に妥協を重ねるのもアホらしいので重ねたものをどんがらがっしゃーんとくずしてやろうかとか。
http://www.youtube.com/watch?v=2iSdIX-9Wqw&sns=em

無性にヴァイオリンが弾きたい。


お金の心配さえ無ければ

仕事にありつけるなら海外で暮らすのもいい。

意志の疎通に四苦八苦しながら

空を眺めて、街を眺めて

そんな風に毎日を過ごして

自分の持つ関わりを全部日本に置いたまま新しい関わりを作って

その中でだけ暮らして。


そんな小説みたいな生き方ができるのなら人生はどんなにすばらしいだろうか。