自分を信じられないものは毎日が充実せず、何かを求め続けるか、自分探しの旅にでかけてしまう。
そして自分の中に作るべき「芯」を、他者(他物)に安易に求めるようになる。それが依存。
それはその人個人の嗜好でお酒、薬、ギャンブル、そしてセックスへと分かれる。

私の場合それがセックスであった。
お酒は好きだがそれほど胃が強くはない。
薬をするほど勇気がない。
ギャンブルをする人を軽蔑していた。

セックス依存と他との違いは他人が介在することだ。他人に認められるという快楽と性の快楽が相まって感じることができる。
寂しがりやの依存症ともいえるかもしれない。

性の快楽はさほどの強さをもたらすものではないと考える。そうすると自分の場合、他者から認められたい欲がみたされていない故の行動であると分析できる。

非常に安易である。

日々の地味な生活、努力の積み重ねこそが承認欲求を満たすはずなのに、今まで何をしていたのか。
遅いかもしれないが、そこにやっと気づいただけでも良しとしないといけない。
あまりにも多くの犠牲を払い、そして妻を傷付けた。

内観しよう。
自分は認められる存在になろう。