The trumpet shall sound!~魂の目覚めの福音をお届けします~

The trumpet shall sound!~魂の目覚めの福音をお届けします~

愛と感謝にあふれた「内なる神」を生きようと出た、意識の統合の旅。想念観察をコンパスに、道中で得た『叡智』を分かちあっています。


こんにちは。

前回からの続き、後半です。

 

イエス様との対話で、迷いを解いてもらっても、なかなか理解できないあおい。

再度イエス様に、迷いを解いてもらいます。

その中で、『新約聖書』の中にある「マタイの福音書20:1-16」にある「ぶどう園の労働者と主人」のたとえ、が出てきます。

皆様の目覚めにも役立ちますように・・・。

 

🌿後編:今の私のレッスン「全託(宇宙の計らいを信じること)」と「ぶどう園の労働者と主人」のたとえ(マタイの福音書20:1-16)

 

死者をも復活させた、イエス様との対話:真理を知れば、難病さえも改善できるはずなのに、Aさんは知ろうとしないので、どうしたらよいのでしょうか?

イエス様→イ あおい→あ

 

前編はこちら↓

 

 

あ:でっ、でも・・・そういう話しでしたが・・・しかし・・・私が、早くAさんに話しをし直した方がいいように感じてしまいます。

  チャンスを逃してしまうと、時期を過ぎればもっと酷くなるかもしれないし・・・。直接、再度、ゆっくり話をした方が・・・?

イ:そのような心配りが、あなたはできる状態だろうか?先ほどの私の言葉を理解しているのだろうか?

あ:確かに・・・人の念を喰って、ここ数日辛くなっていました・・・。
  また、人の想念が入ってくると、自分がどう考えているのがわからなくなり、困ってしまう傾向があります・・・まだ、自分がよく見えていませんね・・・。

イ:内なる神に集中できないからだろう。
  集中できない理由は、自分の考え(学び)に不信感を持ってしまい、内なる神からブレるからだ。
  それを改めたほうが良い。これから、もっと大切になってくることだ。

あ:わかりました。

イ:ところで、すべての物事は、神に知られていることは知っているだろう?
  髪の毛の数でさえ、鳥が落ちることでさえも知っている、と。
  すべては偶然ではない。


あ:はい、知っています。

イ:「宇宙の父である神は、神は、わかっているのだろうか?」というのは、「創造、神、内なる神である神の子」への冒涜だ・・・不信からきている。

  様々なことが、出来事が、一つずつカードがめくれている・・・。そして、その時で最適な答えが出てくる・・・。
  あなたのお父さんの病の時と同じだ。(過去の記事が参考になります→身内の出来事-肉体ではない「魂」の歩みの尊重の機会とみる
  「本人の魂にとって、最適なことが起こり、それを本人が一つずつ受け入れること、受け入れられること」だけを信じてあげなさい。
  あなた自身、今から過去を振り返ってみても、結果として「そうであった(魂にとって最適なことが起こる)」とわかるだろう?

  あなたは、Aさんのことを見るとき、「あの時、あれがあったから、今あのような不幸に見舞われている・・・」と、一緒にドラマに参加して右往左往し、エネルギーを注ごうとしている。
  それでは、「相手の魂にとって最適なことが起こる」ということを、信じていないことになる。


  さぁ、「あなただけしか、できないことがあること」を、もっと知りなさい。
  そして、それを受け入れ、信じるのだ。それが足りない。

  「内なる神が誰の中にもいる」「創造の下、大いなる意識の下に・・・どの人もいる」
のだ。

あ:はい、それは真理です。

イ:それを、もっと信じるのだ。そして私(キリスト意識、私の教えなど)も、もっと信じなさい・・・。
  何事も、「自分の思い込みのタイミング」で、エゴでごり押しするようなことは、「(宇宙への、お互いの神への)不信感」から出たものだから、止めて行きなさい。

  神(宇宙)にゆだねること・・・。それは、「全託」だが、宇宙意識を理解している者たちにしかできないのだ。
  それは、特別なのではなく、単に役割なのだ。先に知っている者たちができる役割なのだ。


  昨日、先輩に言われていたように、もっと先人として胸を張りなさい。
  そして、いずれ、他の者たちにも知ることを助けるのだろう?
  そのための、レッスンでもある。
  自分を通じて、宇宙意識を信じるとき、全託することを知るときがやって来た。
  しばらく前から、聞いていただろうが、なかなか実行することができないのは、まだ見えている「エゴのドラマ」を信じてしまうからだ。
  そろそろ、それを止めなければならない。

あ:はい、ありがとうございます。
  天と地を繋ぐことを仕事にしたいと思っていながら、そういうことは、口で言うほど中身が判っていないものでしたね。
  だんだん、その中身が一つずつ明かされてきています・・・自分の理解と共に。
  今の私のレッスンでもあるのですね。
  そして、それを受け入れていくことが、Aさんへの「外濠を埋めてやること」・・・に繋がり、彼がいずれは目覚めるかもしれない、あるいは、なんらかのことから魂の計画に目覚め始めることになるのですね・・・それには、私が私の今を信じて、今のレッスンに取り組むということだとわかりました。
  (※ここでの『外濠を埋めてやること』:私が、先にスピリチュアルを理解をしていることにより、道しるべを作っておく、という意味で使っています。Aさんが真の救いとなるスピリチュアルや真理を、誤って敵としてしまって抵抗し戦っているためです。)

  やはり、そうだったのか、と思いましたが、でも、対話をして頂かなければ、わからないことが沢山ありました。まだまだ気付いていないこともありますが、頑張っていこうと思います。

イ:時期がある、その人の、目覚めの計画が・・・。
  あなたにもあったのだ。だから、焦るのではない。
  自然とやってくるのだ。

  
あ:はい、焦りは、「エゴ」ですし、「熱中状態」ですから、「内なる神からのもの」ではありませんね。
  直接相手に手を下す、言って解らせる・・・というような、「改宗させる」的なやり方は、コントロールであり、センシティブな相手の反応をかえってねじ曲げてしまい、相手の学びのチャンスを奪ってしまうかもしれませんね。

  私にできることは、相手のありようについて見えたことを色々赦すことです。ただ、いずれ気付いて欲しいと思います。

イ:相手のありようをみて、赦しており、ただ、見守っていること・・・そして、信じていることだ。
  「自分と同じ芽がある、いずれこの人も目覚める」と。


  そもそも、あなただって、非常に狂っていた(エゴにまみれていた)だろうに。
  知りたい興味の対象は、恋愛と金とオシャレと余暇の旅と言った、非常に一般大衆的な意識状態から、ここまで・・・真理を知り、人に理解を分かち合おうというところまで登ってこられたんだ。そのような自分を信じられなくて、相手を信じられるのだろうか?

あ:ギクッ・・・汗 じっ、実は、自分がここまで来られたことを、あまり信じていないというか・・・。

 

  でも、そうか・・・最近、「ああ、私はこの道で良かった、他の選択肢はすべてダメだった」と、振り返ってみて本当につくづく思いました。

  途中、他の道の方がよく見えて、何度も後悔したこともありましたが、後になって真理を理解し、意識の統合が進んでくると・・・それぞれの取らなかった選択肢の先には、限界が色々想定できて、結局今のバージョンが一番良かったとわかりました。

  気付けば、魂の「最高最善」を生きているのかもしれませんね。

  魂の最高最善、って、もっと毎日ワクワクドキドキしているようなものだと思い込んでいましたが、実は、淡々と静かな感じで、思ったより地味ですね。内的に落ち着いてきたからそう感じるのかもしれません。

  でも、充実はしています。

イ:そのような、「魂の最高最善」を、自分だけが(得られた)というのは、「特別意識」だ。それも捨てられるチャンスだ。

  「ぶどう園の例え(ぶどう園の労働者と主人、「マタイの福音書」20:1-16)」を知っているね?初めて読んだときは、随分反発していたのだろうが。

あ:ええ、そうです。
  だって、ぶどう園の主である「宇宙の父」は、最初に来て長い時間働いたものも、後からきてちょっとの時間しか働かないものにも、等しい賃金を与える、という話ですね。
  最初は、「ええーーっ、私、一生懸命努力しているのに・・・今まで長いこと勉強してやってきたのに・・・その分の対価がないの?!」と、宇宙の父を恨んだというか、酷いと思ったことがありましたが・・・。(汗)
  物質的視点(お金や労力、時間、という視点だけ)で、そのまま、たとえ話を受け取ったら「ずるい」と思いました。
  でも、そうではないんですね。

  私は、「早く目覚めた者も、遅く目覚めた者も、ちゃんと宇宙の父の愛を等しく受け取れる」ということなんだろうと、後からわかりました。
  確かにそうですね。私は、自分の闇を真理を理解し、宇宙の父の愛、神の愛を知ることにより、自分を癒せてきました(意識の分離を統合できてきた)・・・。
  自分のためにやったのですが、結果としてそれは宇宙の父のために働いたことになりますね。

  だから、誰もが自分のために真理を学んでいけば、誰でも同じ分だけ宇宙の父からの報酬(愛)を受け取れるというのは、確かに真理だとわかりました。
  それは、イエス様が、最初の方で「同じ宇宙の中に存在している、みんなにもある」ということと、同じことだとも言えますね。
  ・・・私の解釈が、時間に囚われ、直線的な理解に偏っていただけでした。汗

  宇宙の父の愛を、自分もちゃんと受け取れたから、相手も後から来てそうであることを信じてやることですね。
  先輩から「神の道に目覚めるのに早い遅いはない」と教えられていましたが、わかってきました。
  だから、他の人達に対しても信じます。

イ:そうだ、それでいいのだ。私の言葉を信じなさい。そして、後から来る人達を、それを知った上で励ましなさい。
  Aさんは、あなたに非常に大切な学びを提供しているのだ、それに感謝できれば、それは相手の存在意義を認めることになる。

  それが伝われば、相手にはいつか変わるチャンスがやってくるだろう。
  そして神に委ねるのだ。    

あ:長い対話、ありがとうございました!とても参考になりました。
  一番は、やはり、「視点を変えるための理解を深めること」に尽きること・・・それが、先輩に言われていたと思うのですが、やはりそうだと、確信できました。

  ブログに読みに来て下さった方々に、分かち合います。
  読みに来て下さった方々も、それぞれの場で理解を深めることに参考してもらえればと思います。

 

~・~・~・~・~

 

長い対話文になりましたが、何か参考になったことがあれば幸いです。

次のコーナー「音楽のお楽しみ」のバッハの曲の紹介になります。

この曲は、記事としてアップするために、先輩に最終的に修正や確認を加えてもらうと、改めて大切なメッセージが含まれているように感じました。

「神の子」として何が大切なのか、私も改めて確認できましたので、こちらもどうぞよろしければ、お立ち寄り下さい。

 

 

🌿音楽のお楽しみーBWV132 Bereitet die Wege, bereitet die Bahn! (道を備え、大路を備えなさい)

この教会カンタータは、すごく簡単にお伝えすると、「神が降りてくるから、(神の子として)道を備えなさい、神が通る大路を整えなさい」という主旨の歌です。

聖書で言うと、洗礼者ヨハネが、間もなくやってくる救世主イエスのために心の準備をしなさい、と呼びかける内容です。
キチンとした宗教的な意味合いを含める解釈については、他の方々がネットで丁寧に解説をしているため、私はしません。

 

ここでは、「スピリチュアル的に実践することにおいての意訳」をしてみます。

 

神の子が、真理の理解(歌詞では、「信仰」と同じようなもの)により、心の中の「凸凹を均す」ことをすれば、神と一体化する(神と繋がる、宇宙と繋がる、宇宙と融合する)ので、それによって、この地球上に、神が地上に降りてくる、地球に降りてくる。
という感じになります。

J.S. Bach Foundation ルドルフ・ルッツ指揮 による演奏から
https://www.youtube.com/watch?v=HYGAlS6h-Zo

 

 

(参考:Youtube Bachstiftung より拝借)

日本語歌詞

(引用:バッハ・コレギウム・ジャパン カンタータ全曲シリーズ Vol.7 、カンタータ第132番<<道を備え、大路を備えなさい>>BWV132 磯山雅訳)

 

この中の、1.アリア(ソプラノ)の歌詞と、6.合唱の歌詞、だけをご紹介します。(他を紹介すると長くなるため、割愛します)

1.    アリア(ソプラノ)
道を備え、大路を備えなさい。
道を備え、
けわしい小路を
信仰をこめ、命をこめて
いと高き者のために、平にしなさい。
メシアが到着なさいます!

6.合唱
あなたの慈しみを通じて私たちを殺し
あなたの恵みを通じて私たちを目覚めさせて下さい。
古き人を病ませてください、
新しき人が生きられるように。
ここ、この現世で幸いに、
心と願いと
思いをあなたに向けながら。

 


スピリチュアル的解釈:

 

神の子として目覚め、真理に照らし合わせて自分を観察してみると、自分の意識の凸凹・・・つまり、宇宙意識からどう外れてエゴに傾きすぎているかが見えてきます。

それを実践によって修正していくこと=平に均すことをしてゆきます。「古い人を病ませ」「新しき人が生きられる」、とは「古い自分を終わらせ」、「新しい自分を生きる」ということです。

その繰り返しにより、エゴ(自我)が内なる神の意識に沿うようになり、神の子として内なる神と一体化します。

「道を備える」とはそういうことであり、その活動は見えない領域で次第に広がり、多くの人が参加するようになれば、地球に「神の世界(天国)が降りてくる」・・・つまり、「宇宙意識に基づいた世界が構築される」ということです。

ヘンデルの「メサイア」という、クリスマスによく演奏される曲があります。その初めの方にも、「山と谷を均せ」というような歌詞が出てきます。イエス・キリストが教えたかったことは、そのようなことであるとわかりますね。

話しは、バッハの曲の歌詞に戻ります。

ここでは、ご紹介していない歌詞の部分(バスやアルトのアリアなど)には、「洗礼」や「サタン」という言葉が出てきます。
「洗礼したのに(きずなは破れた)」などのような宗教的な葛藤は、熱心な信者の方々でなればもちろん縁の無いものですが・・・スピリチュアルの世界で私たちが「神の子」として(宇宙意識に沿って)生きていくとき、「道を備えて」いくとき、様々な迷いや葛藤が生じます。その、心情を現わしている歌のようにも感じます。

 

また、バスのアリアの歌詞には「サタン」と出てきますが、「サタン」は、「エゴの誘惑」を象徴するものです。エゴの誘惑は、この歌詞が作られた時代においても、今においてもあります。一人一人の中において、真理が明らかになるまでは、この葛藤は付きもの、ということですね。

 

今の時代、「5次元」の波動が降りてきている、と言われています。
地球上には、「神の波動域(高い波動域)」が降りてきているのですが、それは、神の子として、少しずつ凸凹を均している人達の努力において、摩擦が減らされていることが、現実的なありようです。

神の子が、「エゴの誘惑」をどう乗り越え、摩擦を減らす貢献をしていくのかは、それぞれ人の真理の理解と現実世界での実践に掛ってきます。神の子たちの、そうした地道な実践が、「大路を備える」ことにつながります。いずれ地上に天国が降りてくる・・・より、高い波動域が降りてきて地上に広がる、ということなのです。

 

「神の世界」が宇宙母船のように降りてくる、というのではなく、「神の子」達が、何を選びとり、何をどう学び、それを地上世界に体現していくか・・・それに尽きるのです。神の子は、「地上に天国を反映させる=投影する・・・より正確には「延長」する」存在だからです。
そういう意味では、「神の子」として生きることは、個的な意識の変化が全体に影響を及ぼす、という大きな意図も隠れているんですね。
この曲を聴いて、是非、みなさまも追い風を得て頂ければ、と思います。

また、次回は、この「道を備え、大路をそなえなさい」にまつわる話題が、続きます。
今度は、宇宙仙人と対話をしたので、分かち合います。よろしければ、またお立ち寄り下さい。

 

 

こんにちは。
ここ最近、色々と忙しい中でも、様々な高度な気づきが訪れています。
言い換えれば、様々な心の摩擦こそが、「答えに気付かせてくれるチャンス」であり、それがたくさん来ているという感じがします。

先日、私は、いよいよ「存在としての目覚め(真我の目覚め)」が始まったようです。ここまで来たのか、という感じがしています。それと共に急速に「特別意識」が減ってきている感じです。「特別意識(主に優位性)」のようなものが、何の意味もなさない(単なる錯覚の助長になる)ということが、様々な角度から見えてきて理解し始めたからです。誰かだけが特別でもなく、誰もが特別、だそうです、先輩によれば・・・。


どうやら私は、たとえてみれば「意識の森を間伐する」という感じで役目を果たしてきているようです。以前は「インディゴチルドレン」と言われたこともありましたが、「意識の世界の開拓をする軍」だったことが、結果的に解ってきました。細部については、今現在テーマになっている人達に委ねているというか・・・意識の世界とは、そのように、見えないところで、誰かが誰かのバトンタッチをしたりして、天国の意識を降ろし、紡いでいるのかもしれないな、と思いました。

私自身の直接的な悩みは、保留にしておいても良い状態で、難しいことやとても大きなテーマについては粗方片付いています。今は、事務所や勉強会を開いたりする場となる家の修繕や片付けなどにより忙しくしています。同時に、心と周囲の現実、自分の現実において、「スピリチュアルを仕事にしていく」という方向で自然と道ができはじめている感じがします。でもやることが多いので、それなりに忙しいですが・・・。
私自身の現実的な悩みが小さくなってきたら、周りの人達のことを考えることがその分増えたり、より深い意識レベルに意識が向くようになることが増えました。そんな中で、私自身が、1つ上の段階へのステップアップの問題に取り組んでいる感じになりました。

そして最近、周囲を見ていると・・・身近なところで(意識のテーマとなる)問題が吹き出している人もいれば、一般大衆は(実は、志のある活動をしている人々も、)「熱中状態」にある人が多いように感じました。私はその方々の不足感を食らってしまうこともあると気付きました。表面的にやっていることは、必ずしも「内なる神を生きていること」とはちょっとずれている、という気づきがありました。

そんな中で、以前にも話題にした、私の知り合いのAさん(難病となってしまっている人)について、色々考えることがあり、イエス様と対話をしました。それは、最近起こった出来事の中にバラバラに見えていた中に、共通する何かを教えてくれました。
今回の対話は、想念を観察する訓練を積んで、ある程度理解がなければ難しい内容になりますが、まだそうでない方々にとっても、参考になることもありますので、よろしければお立ち寄りください。



🌿今の私のレッスン「全託(宇宙の計らいを信じること)」と「ぶどう園の労働者と主人」のたとえ(マタイの福音書20:1-16)

 

死者をも復活させた、イエス様との対話:真理を知れば、難病さえも改善できるはずなのに、Aさんは知ろうとしないので、どうしたらよいのでしょうか?

イエス様→イ あおい→あ

あおい:イエス様、死者をも蘇らせたことを知っています。
  難病者となってしまった身内のAさんに、スピリチュアルを学べば事態は改善し、進行が止まったり、最悪の事態を避けられたり、様々な変化がやってくるだろうということを、手紙で告げたことがあります。飛びついて喜ぶかと思いきや、まったく何の返答もありませんでした。むしろ、「変なこと言ってる」と思われているようでした。私自身の言葉では怪しげに聞こえるのだろうと思ったので、その後、「アメリカで科学的に検証したある瞑想法による難病回復の本」を紹介しました。「ニューヨークタイムズ紙でのお墨付き」なら飛びついて読むだろうと思ってのことでした。それでも反応は無し、でした。
  私は、そのことに大変驚きました・・・。「私なら、どうしても治りたいから、飛びつくだろう」と思うからです。Aさんは、その後、私に対する態度は全然変わらず、何も聞かず、むしろ「なんか変なことを言ってくる」と話していたことを人づてに知りました。ところが、Aさんは、会う度に悪くなっています。
私は、過去手紙でAさんに言っただけで、直接言葉で説明はしませんでした。口で言っても、解らないと思ったので、あえて手紙にしたこともありました。でも、直接すぐにAさんが疑問に思うことに答えられなかったから、かえって良くなかったのかな、と思ったので、改めて対面で話しをし直した方がいいのかな、と思っています。
このまま病が進行すればどうなるかは目に見えています。その難病の最悪の状態を知っているので、このまま進むとまずいと焦ってしまい、段々悪くなっている様子を見ると、なんとかして、瞑想だけでもしてもらえればと思っていますが・・・私のことを疑っているようですし、怪しいと思っているのかもしれないので、言ってもダメなんじゃないかと思ってしまいます。

  過去、以下のように宇宙人からのメッセージを基に、今実行すべき事の答えは出したのですが・・・心配になってしまいます。

  また、昨年夏にも、預言カフェにてメッセージを頂きました。それを基に、また答えを出していますが・・・。

 (過去の記事 参考→ 神の采配を信じること 自己の尊重=他者の尊重)

 

  もう一度話すべきか・・・モヤモヤしていますので、よろしくお願いいたします。

イエス様:相手には「ない」と思うから、相手のドラマに巻き込まれ、必要以上に与えてしまうのだ。
 「もともと、自分にも『内なる神の無限の力』はあるし、他者にもある」のだ。
  そもそも「同じ宇宙意識、創造の下にある」のを思い出すだけだ。
  あなたはAさんと何か違いがあるだろうか? 同じところにいる、ある、存在している、を信じていないだけだ。

あ:・・・確かに!そうですね。シンプルなことがなかなかできない・・・のか・・・。

  私は、つい、相手のエゴを信じてしまう(幻想を信じ込んで、眠りこけている状態のドラマを信じてしまう)からかなぁ・・・それでウッカリ心配になってしまう。それで、こっちが勝手に「かわいそうだ」と同情し始めて向こうのゴミ(相手が浄化していないネガティブな想念や雑多なゴミのような意識)を引き受けてしまうのかも・・・。

イ:相手を「そんなことも太刀打ちできないほど弱い人」と思っていることに気付きなさい。
  それでは、Aさんの奥さんと同じ視線でAさんを見ていることになるではないか?
  Aさんは、ますます「弱い人」を演じることとなる。
  あなたがそのようなAさんをとりまくドラマに同化してしまう弱さに、相手や自分の神の強さより重きを置いている錯覚に気付きなさい。
  逆に、あなたも、「自分が相手の重荷を軽減してやらねば・・・(相手がどんどんダメになる)」という考えになっている。
それは「自分が自分が(我)」であり、しかも、「自分が相手のためにそこまでやってあげられる」という傲慢さに基づいていることには気付いていない。

あ:確かに、仰るとおりです。言われるまで見えていませんでした。
  私が、まだ理解不足だったんですね。

イ:相手に返してやりなさい。
  それが、愛だ。それは、相手が学ぶべきことだ。
  相手が目覚めなければ、相手の責任なのだ。
  今の、この、誰もが悟りに導かれやすい時代に、相手の魂だってそれをわかってわざわざ選んで生まれてきている。
  それが、どうして「魂の計画」ではないと言えるのだろうか? 神の計画とも言うが・・・。


あ:そうは言っても、「そのまま投げ返すこと」は・・・罪悪感によって、なかなかできません。

イ:あなたは、自分が「悪いことをしている」「加害者だ」と責めているところが間違いだ。
  宇宙の采配により、自分で自分が引きよせていることを、本当ならAさんが自覚しなければならない。

あ:「宇宙の采配」なんて、Aさんは顕在意識(普通の生活しているとき)ではわかっていません・・・、そういうことについても無知です。
  どうしたら解ってもらえるのか・・・。

  

  イエス様は、死者を蘇らせたり、病人を回復させたり、様々な奇跡を起こされました。一体、どうやって、人々を死から甦らせ、病を治したのでしょうか?
  方法論では無いことは解っていますが、どういうことを学べば良いのでしょうか?
  ぜひ、教えて下さい! Aさんのことで、参考になればと思っています!


イ:まずは、あなたが、「本人に返すこと」を学ぶことだ。
  それは、自分が「加害者」になるのではないし、相手も「被害者」にはならない、ということを「理解した上」で、ただ「相手の放ったものは相手に返す」という意識で良いのだ。そして、「相手が何らかのかたちで学んでくれること、目覚めること」を祈るだけだ。

あ:確かにそうですね・・・被害者/加害者では、「戦い」の意識(二元論)に染まってしまいます。
  こうして、「分離意識」を私もまだ信じているんですね。
  「統合」というものは、「一元論」ですから、「自分で放ったものは、自分で受け取って消化する(理解に落とす)」ということなのですね?
  本来なら、自分で放ったものは、自分で受け取り、しっかり学ぶ、ということが大切ですからね。
  相手だって、放ちたくて放ったわけではなく、「知らないから、ウッカリ」ではなく、本質の視点から見たら、「実は知りたくて」と言うことになりますね。


  イエス様は弟子のペテロが、耳を切り落とした人でさえも、治してあげていましたが・・・
  どうしたら、そうなれるのでしょうか?

  私は、Aさんを治そうとは思えませんが・・・というか、自分が治せるとは信じられませんが・・・。
  
イ:それは、「その出来事は起こらなかった、赦されている」からだ。

あ:・・・それは、赦されているから、起こらなかったから?
  あ・・・っ、そうですね、真に赦されれば、それは、起こらなかったことと同様になるのは、真理ですね。
  
イ:罪や罰、が、まだ存在していると思っているのではないか?
  それは人間の誤った考えだ。それがあるから人間は進化が止まってしまう。
  学びができないということだ。あなたは、まだ正しく理解していないのではないか?
  そういうことも、立ち止まって十分理解した方がいいのだろう。
  そこは、とても重要だ。


あ:そうですね。
  罰することによって、罪が無くなるとか、相手を罰だと言って攻撃することによって、自分は痛みから逃れられる、などと考えてしまうようでは、まだまだ理解が浅いようです。

  耳をペテロに落とされた人の話になりますが、そのような、一つのドラマに関わる「様々なさばきと赦し」が見えて、理解できていることが無数に積み重なって、それで、イエス様のように一瞬でその怪我を治すことができるということが、なんとなく解ってきました。
  まったくの無知の状態でみたら、「おおーー!奇跡だ!」となりますが、実は、理解が深まればそうではないんですね。本当に理解すれば「罪は無くなる、癒される」のですから、怪我を治す(相手が治る)ことが起こっても、何も不思議では無い、ということ
ですね。
まだ理解が浅いため自信を持って言いきれませんが、理解が深まってくれば、本質から見たら何も不思議では無いことが、次々と起こされてくるのか、とボンヤリわかってきました。
  私は、そのように理解しましたが・・・。

イ:それはそうだ。それでいい。
  
  だから、あなたは、自分の現状を理解しただろう・・・。

  外から(他の人が)放っている「ネガティブ想念」に引きずられてしまい、自分の思いであると錯覚してしまう。

  まだあなたは、ドラマになんとか飲まれず客観視するのが精一杯だ。

  ほとんどは、飲まれてしまい、後から「あれ、私引きずられていた」と気付くのがせいぜいだね、今の時点では。
  それを自覚して、もっと想念を客観視していく訓練を積みなさい。
  これから、様々な人達のドラマに接するだろうが、それにいちいち同意していたら、身が持たないし仕事にならない。もっとそれを自覚しなさい。
  理解が、素早く反応となって出てくるようになれば、私のこと(言葉)ももっと理解できるようになり、反対に外の人から聞かれるようにもなる。
  まだ急ぐのでは無い。急ぐことは、かえって自分にとって負担になるだろう。


あ:確かにそうですね、私は、後輩に「まだ急がない方がいい」と言っていましたが、私自身も、まだどこか「なろう」として「焦って」いました。

  結果として出したがるのですね、「自分は○○の役をやっています」と・・・。

イ:そうだ。
  そうであるがゆえに、たびたび沸き起こってくる「自分には、この役目ふさわしくないかも・・・」という想念がエゴ(自己卑下)だと気付きなさい。
  「(自分の役割に対する)特別視」がエゴだ。先に知るものが、後に来るものを導くことは当たり前だ。
  しかし、「やる(Do)」ではない。ただ相手が思い出すのを手伝うだけであり、「ある」だけでいい。

あ:では、今日のホタルブクロのように、願っていれば、叶うのでしょうか?
 (私は、山野草のホタルブクロが好きなのですが、先日道ばたに咲いていたのをわざわざ取ってきて植木鉢に移植したのですが、その後突然、庭にぽつんとホタルブクロが生えているのを見かけたのです。それまでいなかったのに、連れてきた仲間を可愛がっていたら、我が家に自生し始めた)

 

我が家に自生していたホタルブクロ

我が家に自生していたホタルブクロ

 

イ:何を言っている。
  「神はその人にそれが必要とあれば、与える」
  神(宇宙)への不信を、強く願ってしまう気持ちを払いのけなさい。

 

・・・後編に続く・・・

 

お立ち寄り下さった皆様、こちらの話題は後編に続きます。

あおいが、イエス様に色々諭されても、まだ食いついていくことで、さらに深い理解を得ることができます。

どうぞ、よろしければお立ち寄り下さい。

 

 

 

🌿ほのぼの写真館ー大空に、鳳凰の姿!

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こんにちは。
4,5月は、私の住む地域では遅い春となります。一年で一番季候のよいシーズンなので、畑仕事や庭仕事、梅雨に入る前の準備にとても忙しくなります。たまに春の花から新緑を楽しむお出かけをすることもあります。

 

 

また、都会に行く機会も何回かありました。そのため、忙しさに加えて、人に多く会っていたことや、普段は行かない場所に行くことにより、疲れることが多くありました。

ある日、出かける機会があったのですが、その前に胃(エーテル体のあたり)が痛くなりました。帰宅する頃には猛烈に眠くなり、また、1時間もその場にいなかったのに猛烈に消耗しました。
帰宅して、ボーッとしていると・・・

「自分のことも統合できない(救えない)のに、他者や地球のことや環境のことなどを救えるわけない」

というのが聞こえてきました。
「ちょっと、すごい内容だけど・・・」とは思いましたが、「自分のことを自分で救えるようになること」というのは真理です。
その後、ノートでもう少し詳しくチャネルしてみようとしたら、たまたまパカッと開いたページに、過去のイエスさまとのチャネルがあり、その答えのようなものが書いてありました。それを書き下ろし、それを踏まえた上で、再度対話を試みました。

さて、この記事では、私自身が、今のテーマとして、何を統合しようとしているのか。意外と盲点になりそうな「愛されたい意識」について、真理と照合しつつ、イエス様と迫りたいと思います。

どうぞお楽しみ下さい。

🌿天は自ら助くる者を助く:外から愛されよう、その証として獲得しようは卒業
(24年1月18日のイエス・キリストさまとの対話、私が「いいね」「フォロワー」機能を外すか悩んでいた時の対話)

 

あ→あおい イ→イエス・キリストさま


あ:イエス・キリスト様、メッセージをお願いいたします。
 
  現代では、記事を書いていてメッセージを伝えるのに、面倒くさいことがいろいろあります。
  それは、ブログの「フォロー機能」とか、「いいね」という承認機能などのことです。

  最近、これがらみで、色々面倒なことがあり、辞めたくなる気持ちになっています。


  今まで、それを必要としている自分もいました。承認してもらいたい時代もありましたし。

  真面目に読んでくださって「いいね」や「フォロー」してくださっていた方もいます。私も時に繋がりの中から参考になることも色々教えていただけました。だから、その「機能」を使えたことでできたことに感謝の気持ちもあります。

  でも今は、自分でチャネルしながら学べるようになり始めたり、自分自身の気づきで進めるようになりはじめたし、先輩のサポートもあるので、「機能」に期待することは、自分のブログサイトにおいては必要を感じなくなってきました。

  そんな時、面倒なことがありまして、そのような機能を卒業したいんだけど、どうかな、と、迷っています。


  それらの「機能」を外すことをイメージしてみると、私の左半身の辛さが、少し楽になるような気がします・・・左側から吸われるエネルギー枯渇が最近酷いのですが、関係するのでしょうか?それを防ぐためには、機能をやめた方が良いでしょうか?

イ:本当に必要があれば、求めていれば、記事の内容はきちんと相手に届く。そのような機能に頼る必要はない。
  それはわかっているはずだ。
  本当に求めていれば、なぜか手許に届くようになっていることは、あなたも実感済みだ。

  だから、わざわざ現代の「エゴ」に合わせたシステムを利用しなくても良いのだ。
  そもそも、以前(私の時代に)はそんなものすら無かった。

  ・・・「より大きく、より広く発信したい」の背景にある意識は何か?

あ:「お金が、収入が、繋がりが・・・少なくなってしまえば、ダメになるかも」という思い込み(方程式)でしょうか?
  それ自体を信じることが、物質主義というか、物質やそれにまつわる損得、利害を信じてしまって、余分なことを増やした
、ということで・・・?

イ:そこで「ムダをした」「回り道や損をした」と考えているのなら、それは間違いだ。
  きちんと、闇(囚われ)を知り、学ばせてもらえたことに感謝して卒業するだけだ。

  現代のシステムに余分なものが多いのは、それだけエゴが複雑になってしまっているからだ。
  しかしそれは、生命の危険を直に感じない時代の学びだ。

あ:そうですね。ありがとうございます。

イ:しかし、そのような、便利な機能に頼らないでも大丈夫、と、感じたことは、大きな成長だろう。
  あとは、自分で歩んでいくだけだ。
  「天は自らを助くるものを助く」・・・
  外に目を向けず、もっと自分自身の学び、自分の内的な学びに注目しなさい。
  「外から愛されよう、その証として獲得しよう」とする時期は終わりだ。


  それがうまく回らず、かえって分離を招くと感じるなら、あなたにはもう、そのやり方が合わなくなってきて、卒業する時が来た、ということだ。

あ:エネルギーが枯渇し、スタミナがすぐに無くなるのは、なぜですか?

イ:エゴに耳を傾けているからだ。

あ:しかし、エゴに傾いてしまう、正確に言えば自分の中の濃いエゴに傾いてしまうのは、仕方がないのでは・・・?

イ:先ほども伝えた。
  「自分を救う」ことしかできないのだ。
  本当の意味で、他者を救うことはできない。
  他者を救いたいのではなく、本音は「自分のエゴを救いたい」ということだ。

  しかし、真に自分を救うためには、外に求めているもの(エゴを満たそう、幻想を満たそう、という意識)に辛抱強く気付いて離れていく必要があることは、知っているだろう?

あ:わかりました、ありがとうございました。

 


🌿「愛されたい」は、神の冒涜(イエス様と5月の対話)

あ:イエスさま、上述のような対話を前にしたことがありました。
  それを踏まえた上で、また対話をお願いしたいと思います。
 
  また、今日も疲れてしまいました・・・昨日丸一日、来客の相手をして出かけたりしていたこともあるのでしょうが・・・それにしても、このままでは、今後、人を相手にした仕事をするのが厳しくなってしまいます。

  出かけてはその先々で、想念の「ゴミ」を食らったのだろうとは思いますし、実際そうだと特定できることもありました。

  それでも、その人達をどうこうできるわけでもなければ、被害者意識に陥ることも違いますし、もうそのような段階では無いことは承知しています。
  「疲れてしまう」ことはあっても、とりあえずは回復を早めることができれば、と思っています。


  人と会っている時、日中眠くなってしまうことも多く、コーヒーを飲むこともしばしばありましたが、どうも「カフェイン」の効果は関係ないようにも感じています。
  目まいもすることもありますし、ここひと月ほど、胃が痛くなることがありました。でも、自分の胃が直接シクシクするのではなく、エーテル体がそんな感じでした。
  このままでは、本当に仕事に就くこともできず、人相手の仕事も無理なのではないかと思っています。
 

  私の症状について、何が起こっているのか、それから、何をどうすればよいのか、今後どうなっていくのか、いろいろ見えないところを、見えているイエス様からいろいろご指摘を頂ければ幸いです。

  よろしくお願いいたします。
  聞いたからといって、すぐに実行できるとは限りませんが、対話をしていただけると助かります。


イ:聞き届けた。
  「疲れた」のは、「(取り)憑かれた」のではないか、というのなら、確かにそうだ。
  周りの人達の多くは、「囚われていること」に「疲れて」いる。
  しかし、そのことについて「為す術がない」と思い込んでいるか、憂さ晴らしやごまかしが、「疲れを取る」ことにつながると思い込んでいる。


あ:そうですね。それは、なんとなくそう受け取っています。
  また、今日なのですが、あるスピリチュアル界の人が主催する場から帰宅すると、「自分を救えない者に、他者や地球や環境などを救うことができない」ということが入ってきました。
  私のことでもあると思うので真摯に受け止めたのですが・・・でも、今日出会ったスピリチュアル界の人や、最近夢に出てきた知人のことが、まず思い浮かびました。

  みんな「風の時代の到来だ!」と言って一見自由に活動していますが、実は「意識の統合」をしているわけではなさそうな・・・感じもしていました。
  でも、私は表面だけ見て、「私もあの人達のように、もっと前に出た方がいいのかな」と思っていました。
  そのことを今、振り返ると、急にまた胃が痛くなってきました。
  それ、やめた方がいい、ということですね。

イ:前に対話した文を開いたのは、私からのメッセージだった。
  前にすでに答えが出ている部分がある。
  表に出て活躍している人達の、表面の行動と、それを支えている意識(本音)の差額を、あなたは食らっていたかもしれない。
 
  あなたは、親しい人に会うとき「わーい」と喜んでしまい、相手の「表面的な良いところ(行動力、発信力など)」しか見えなくなってしまう癖がまだ残っている。相手は、自身の心の奥にある何らかの闇の反動で、そのような表面的行動・状態を保っていることもある。
 
あ:ひと月前から、ある特定の人に意識を向けると、胃が痛くなることがありました。みぞおちから何かすごい力で「グッ」と掴まれるかのような痛みでした。
  私は、いろいろな観察経験から、その症状が意味するところは「自分の意志、自我(を通すため、自我の目標/計画を達成するため)」で「コントロールをして」やり切ろうという意識を前面に(中心に)出している人達の「念」ではないかと思いました。

  会った後に「胃が痛くなる」人達のことを見ていると、「コントロール」が他の人達より働いているのではないか、と思いました。特に、「お金関係」「知名度(有名になりたい)」という点で、表向きはそう見えないけど、実は「ガツガツ」しているのではないかと思える人が多いような。

イ:何かを先急いでいるのかもしれないね、その人達は。

あ:そうですね、そう見えます。確かに、その人達に会うと、私自身が「自己卑下」気味で、「私は何か活動が足りないのかな、もっといろいろ動かなきゃいけないかな」という気になります。
 
イ:その「胃が痛くなる」人達は、あなたが言うように「自我の目標/計画」を前面に出し、コントロールしてやり切ろうとしているのだとしたら、実は「お金や現世的なものに不安がある」のではないかね?

あ:しかし、どの人達も「お金・スキル・経歴(経験)が豊か」であるように見えます。自信を持っているように見えます。私などは、その正反対のところにいます。

イ:前に私が言った、「壊れた<神の神殿>を私なら、3日で再建できる」という話しを覚えているかい?

あ:えっ、ええ。『新約聖書』にあるお話しですね(「ヨハネの福音書 2:13-22」)。読んで驚きました。
 普通に建設し直すなら、46年掛るところを、たったの3日です!
 驚異的ですが、それこそが、「宇宙の父との信頼関係の力」なのですね。
 つまり、「神の子」を血肉にすることが出来れば、それが可能
なのですよね?

イ:そうだ。
 だとすると、先ほどの一見「持てる」人達は、何をしようとしているのだろうか?

あ:「神の子」として、宇宙の父の子として生きようとする・・・というよりは、「自我」の方に重きを置いて、生きようとしているのかもしれません。

  そうだと考えたら、「お金」「知名度」というのは「神の子」としての「自己信頼」が薄い分、必要だと考えている穴埋め、なのではないかと思います。

  先日、ある人に会ったとき、「お金や、学歴・職歴」に対する不安が私の中で感じられました。

  その時初めて、「おやっ、私は真理の学びをしているが、その視点からするとお金や学歴や職歴の不足は、今の私にとっては幻想だ、だから、これは他者の念だ」として見破ることができたことがありました。やっと切り離して「認識」できるようになりました。

イ:その者達は、「捨てられないもの」があるはずだ。あなたよりも。

あ:えっ?そうなんですか?

 (あおい、ここで、『新約聖書』の「山上の垂訓」の冒頭にある「貧しい者は幸いだ」を思い出す。

  そうかもしれません! 私は、確かに、その人達よりも、持っていない・・・。
 
  それとも、今、思い出したのですが、私自身がその人たちに「愛されよう」としているのでしょうか?

  おやっ?! 実は、その人たちも「愛されよう」としているところがあって、それに共振してしまったのでしょうか?
  愛してください、だって、私はこんなに素敵なんだから、と言う無自覚の念に・・・。

イ:本当に愛されるべき相手は、誰だろうか?

あ:宇宙の父です。創造です。なぜなら、宇宙の父を愛することは、私たちが「神の子」であることを思い出すことだからです。
  すべては、「宇宙の父の喜びのためにやりなさい」と言われています。

 

  その言葉をなかなか思い出せませんが・・・実はそのあたりの理解が、私は弱いために、自我・・・「愛されたい」を主軸に置いてしまうことがまだあるために、念を食らってしまうのでしょうか?
 
イ:「思い出す」とあなたも言っているように、元々あなた方は「愛そのもの」として創造された。外に求める必要はないのに、「自分には愛が無い、足りない」と感じているのがエゴだ。
  外に愛を求めるかゆえに、「愛されたい」がために、相手のエゴに共感し、相手のエゴに同情、あるいは「満たしてあげなければ」と思い、行動してしまうことで重くなる。
  相手のエゴに隷属・・・時には盲従してしまうことで、さらに状況はひどくなる。
  神の子としてではなく、エゴ・・・肉体意識の同調(同情)、というレベルで停滞している。

 
  あなたは、目覚めてきてはいるが、習慣的に従う癖が止められないでいる。

あ:うっ・・・そうなんです・・・つい、心地よくて・・・。

  しかし、自分で気づきつつあります。
  「愛されたい」ためにやっていることって、結局その「結果を求めている」ので、結果が帰ってこなければ、それだけ「不足感」という幻想を感じてしまう・・・それで、また相手に求める、という繰り返しですからね。
 
  私は、もう、「相手に愛されよう」という意識、相手に求める気持ちはだいぶ減ってはきています。

  でも、労使関係においては、たぶん「愛されよう」が働くと思います、今でも。

  「愛されなくなること」を恐れている部分が残っていますね。特に、お金がらみで、それが「生活を苦しめる=生命の危機」と無意識的に感じているようで。

  それが錯覚だとは気づいています。

イ:それが、「人間のエゴの作り出す錯覚」だとは気づいているならまだいい。
  気づいていなければ、「肉体を主である」と思っていることと同じだからね。

  宇宙の父の目を気にする(神/創造/宇宙の父に特別な愛を受けよう、評価されようと意識する)のではなく、「宇宙の喜びを体現することが、愛である」というところに、意識をおく方がよいのだ。

  ・・・「神の言葉」は、あなたたち人間のためだ。
  それは、神が「神にしよう」とか「崇高な者にしよう」とか「取り立てて何かにしよう」とか、そういう意図ではない。
  単に、人間が、幸せに心地よく平和に、生きられるように、と、言葉を残している。
  私は、それを、父の代理として伝えているだけだ。


あ:この対話では、自分からの視点では見えないところから、お話ししていただけるので、有り難いです。

  ところで、私の話に戻りますが、
  「宇宙の愛を体現することこそが愛」とか「宇宙の父の喜びのため」とは、なかなか意識できません。
  ついつい、「愛されよう」としてしまいます。


イ:実は、相手が放ってきている念の影響でもあるのではないか。
  相手が、「愛してくれ」という「観念」を強く持っていると、あなたが「その役」をやることがある。
  それで、相手が望むとおりに、エネルギー、金、など、自覚無くホイホイ提供してしまう、ということもあろう。


あ:それは、「自我の計画(自我の思うつぼ)」にまんまとハマっている、ということですね・・・アハハ。汗
  それこそコントロール・・・愛されるために自分を、他者をコントロールしている、ということですね。これこそ、「思惑」じゃないですか?!
  下心、見え見えなのですね。


イ:そんな娼婦のようなことはしなくていい。
  「愛されなきゃ食いっぱぐれる」というのは、過去世での思い込みからもしれないが、そろそろ手放していく時期がやって来たのだろう。

あ:そうですね。他の部分が、だいぶ足元が固まってきたので、「愛されたい仮面」も要らなくなってきたと思います。
  でも、私は「提供して」いるつもりはありませんでした。

イ:それは問題だ。自覚だけはもっとした方がいい。

  それだけでも「吸われる」ことは減るし、回避できるときも増えてくるし、相手の不足感・不信感を食らってもすぐに抜けられるだろう。

あ:また、「私なんて、どうせ・・・」という「自己卑下」が、背景で様々な場面で働いることも原因の1つかもしれません。

イ:原因の一つ、というだけではない。「自己卑下」は、最大の「(内なる)神の冒涜」だ!

あ:ひぃぃぃぃぃ!

  そっ、そうです・・・ね。

 

  先輩から言われていたのですが、自覚が足りていないんですね・・・。
  というよりも、「納得」して、「ああそうなんだ」と、落ち込み材料にするなど、感情に流されてしまっているのですね・・・。
  「愛されよう」なんて、本当に、以前の私が「これでなきゃならない」と思っていたものだから、そろそろ真剣に取り組んで捨てなきゃ。
  ・・・そんな意識だから吸われてしまうんですね、精気を。

イ:精気だけでは無く、お金もそうだ。エネルギーになるものを、差し出してしまうのだ。

あ:エネルギーを取り戻すことに苦労し特別に長く瞑想をする時間や、ヒーリングを受けたりもするから、お金も時間も掛ることを考えれば・・・、そういう、打算で考えることではありませんが・・・。
  「自己卑下」は、そういう意味では、安住してしまってはいけないエゴ、捨てていくべきエゴ、と、もっと自覚します。

  自己卑下をすることに、心地よさを感じている部分も無くはなかった・・・。

イ:それは、あなたの「悲劇のヒロイン」志向の名残だ。また、あなたが「韓国ドラマ」パターンと呼んでいる、アップダウンの激しいドラマを好む性質が、まだ残っている部分がある。
  そんなものに価値を置いていること自体も、本当は「神の冒涜」なんだがね、もちろん、今のあなたの学びのステージにおいてはだ。

あ:はっ、はい・・・。(急に襟を正すあおい)

  では、「愛されよう」という思いに囚われそうになるとき、相手の念に応対していることもある、ということを思い出して、離れて観察していればいいのですね。
  別に、愛されようとしなくていい、というわけか。
  というか、「あなたに愛されたい」と、しなくていいのか。

イ:まだ、そのあたりがわかっていないようだね。
  まず、まだ自分が「愛されたい」想念を放っている、と思い込んでいる。
  それは、錯覚だと気づいているのだが、相手の意識世界に取り込まれると、すっかり忘れてしまうのだ。

 
  その時、相手の「自分の真実を見たくない」という思いを「眠気」として食らってしまうのだよ。
  
相手は、無意識の上で、「防御」している部分には気づいていないだろう。


  また、「(素敵な、憧れちゃうような)○○さんみたいになろう」という時も、意識の置き所が違っているのは説明するまでもないだろう。
  

  いろいろとブレているところに気づけない。

 もっと、私の言葉を読みなさい。
 それで、自分のブレにもっと気づいて、自分の正気を取り戻すことが必要だ。


あ:それには、まだ気づいていませんでした。
 コントロールしていたんですね、それも。気づいていなかった・・・もう、無意識的な反応でしたね。

イ:そうやって、自分を凹ませること、不足感を増幅させることを自らやっていることに、もっと気づきなさい。
 自分が好んでやっていることに自覚がないから、なかなか回復しないのだよ。


 すべては、「父の喜びのため」ということであれば、何も特別「自分を愛してもらおう」としなくていいのだ。

 すでに「愛されている」からだ。
 「愛されたい」自体が錯覚。

  

  そうは思わないかね?

あ:そうですね・・・そんなことしなくてもいいわけですね。
 
 では、特別に「自分たちももっと前に出よう」としなくてもいいというか・・・「愛されようとして宣伝活動」をしなくていいということなのでしょうか?

イ:お金の不安や、自分が愛されているかといった不安、そんなものは、何ら関係ない。
  ただ、「神の子」として、タイミングが来たことをやればいいだけだ。

  

  活動が回らなくなるときは、それは、何かが間違えているか、終わるときだろう。
  まだ始まってもいないものなら、終わることはない。
  しかし、「エゴ(自我)」は、始まるとき(新しいテーマの浮上)には、何かが終わる(古いテーマの卒業)のだ。
  あなたの場合、「愛されたい」が終わり、「愛(そのもの)である」の始まりではないだろうか?


あ:そうですか! そうですね・・・。
 
 自分が宣言していること、伝えてもらったこと、と実践できていることとの間には、差額があります。
 それを理解した上で、自分が日々の活動の中で「愛されたい」をもう卒業して、「愛である」を、体現していく時期なのですね。

イ:その衣替えが、なかなかスムーズに行かないようだね。子供ちゃんの服・・・「黄色の服」がまだまだ好きなようだ。
  それは、もうボロボロなのだから着替えなさい。
  そんなみすぼらしい服(エゴ)を、いつまでも着用したがる、その意識こそ、神に対する冒涜だ!
  ・・・そんなものより、もっといいものがある、ということを、忘れないように。


あ:うっ、それだけ「神の冒涜」と繰り返し言われると・・・、でも、それだけ言われないとわかっていない・・・そんな私自身も「寝ぼすけ」していたんですね!
  有り難く、そのお言葉、頂戴いたします!
  だから、相手から「眠気」として、重たい「もやもやしたまやかしのすっきりしないエネルギー」を食らってしまうのでしょうね・・・よく見えてきました・・・。


  「そんな窮屈な服をいつまでも大事にしていることはやめます。
 
  そうすれば、私自身に、「活潑発としたエネルギー」が「宇宙」から滞りなく注がれてきて、やるべきいろいろなことに着手できるようになるのでしょうか。
 
イ:そうだ。
  今はまだ、「あの人のようになろう」とか、「愛されたい」などの「邪念」に翻弄されて、他者との比較や自己卑下にはまることが少なくない。

  競争意識を、無意識的にベースにしているのだ。
  それを止めれば、宇宙の愛の循環ができてくるから、物事がもっと効率良く進むだろう・・・。
  それを、小さな単位で繰り返していくことで次第に、私のように、
神殿を3日で再建できるような力を持てるようになってくるだろう。
  私の力のすべては、あなたにもある。
  私はそう伝えた。


あ:お言葉頂戴いたしました!
  ありがとうございます。
 
  すべては、「宇宙の父の喜びのため」ですね。
  意識の置き所が、違っていたことがわかってきました。
  その、私の古い観念と同じ人達と共鳴して、波動を下げ、胃が痛くなったり、疲れてしまっていたことがわかりました。
  この会話を、ブログの記事として分かち合います。
  ありがとうございました。

  実践するのは、まだまだ難しいところがありますが・・・一歩ずつやれるところはやります!

🌿最後に

長くなりましたが、参考になったことがあれば、幸いに存じます。
私自身も、これをチャネル(対話)させていただくということは、まだまだ、血肉になっていないのです。それを忘れてしまうと、つい、自分に対してケチを付けてしまうという癖があります。それは、いい加減、今の私の学びのステージにおいては、卒業すべき子供じみた反応だなぁ・・・とは思いますが・・・。もっと、淡々と学べるようになれるよう、日々の生活の中で訓練を怠らないようにしたいと思いました。

 

今回の話題に加筆したいことですが・・・。

人は学びの道により、自然と価値観が変わってきます。合わせようとすると、コントロールになり疲れが酷く出ることも見えました。無理に相手をなんとかしようとしなくていいと思いました。

 

こちらが、学びを進めて、キチンと光を放っていることが、周り回って相手にも良い感じはします。

 

そう言うこともあり、暫くはなるべく、ひとりで静かにしている時を大切にしていいかな、と思いました。自分のこれからのために色々整理しようと思いました。

 

また、ゴールデンウィークを終えてからは、私は現社会を動かしているコントロール意識、パワー思考や競争原理というものから、もう離れたい、私はもうそこに参加していたくない、と、本当に思い始めました。疲れたし、ほどほどに行きたい、と言う感じで、学習を進めています。

できれば、それを整理してまた記事にしたいと思います。


それでは、今日の記事はここまでです。

何か皆さまの学習に参考になったことがあれば、幸いです。
お立ち寄り下さり、誠にありがとうございました。

こんにちは。

長くなりましたが、後編ができあがりました。

 

私の学びの一区切りとなった気づきを3部作としてまとめてみました。

私の備忘録ですが、お立ち寄り頂いた方々にとって、何か参考になることがあれば幸いです。

 

◆前編はこちら

 

◆中編はこちら

 

 

 

【登場人物】

むらくもクリニック:ベラ→べ、あおい→あ

お客さん:成泰綺羅子→綺、成泰金造→金

 
~・~・~・~中編からの続き~・~・~・~


べ:あおいさん、続けておくれ。

あ:私の話に戻りますが・・・自分は「愛されていない」という凹みの幻想をなかなか脱却できなかったんですが・・・、
 「私は愛には値しない」→「だって、過去の私は悪いことをしたから」という自己否定の方程式にはまっていて、過去にどうしても引きずられていたんです。
 その思考で未来を見通すと「暗い未来」に見えて決めつけてしまう癖が、なかなか取れませんでした。
 そのため「(特別に)キラキラする未来の自分」になりそうな「何か」を「保証」として掴みたかったんです。

 だから、何度も揺れました。自分の来た道は間違えていたんじゃないか?そして「なんで、自分はいつまでもこんな裏舞台にいる状態なのか? もっと(特別に、早く)キラキラできる道だってあったはずなのに!」と、ベラさんに怒ったこともありましたっけ・・・汗
 今話しちゃうと、なんだかものすごく焦っていた自分って、かえってかっこ悪いと思うんですが・・・汗

ベ:その判断も保留にしないとね。過去をさばく癖はまだ残っているねぇ。

あ:そうですね・・・汗
 ・・・金造さんも、実はそういう私の過去と似ていると思うんですが・・・?

 

金:うっ・・・たっ、確かに、何かを見ないようにして、自分を駆り立てていたか・も・な・・・
 それが、あおいさんが話してくれたことと同じなのかもしれない・・・。

 

べ:ここで正直になっておいた方がいいよ。
 アンタが旅を終えたというか、旅の方向性は、「エゴの目的」を叶えようって方なんだよ。それは、二元論とも言うんだけど、「有限の世界」でのお話しなのさ。それが悪いわけではない。一見楽しいし、達成感も得られるだろう。アンタの望むビッグ願望もリッチな生活も満たせるかもしれない。
 
 さぁ、どっちを行くんだね?

 

金:心の中では、嫌だと抵抗している感じなんですが・・・一元論の旅という方向性とは・・・。

 

べ:まぁ、今のアンタには面白くないように見えるだろうが、あおいさんの話を聞いてみると良い。

 

あ:そうですね・・・金造さんは「宇宙法則」のとらえ方がまず違うんですね。
 それと、自分が見ていないことを、他人に「投影」していることを無視しているので、「宇宙の根本原理」、いわゆる「真理」からずれているんです。
 まず、「愛はすでにあるもの」ですが、金造さんは「愛は与える(べき)もの」という価値観に突き動かされているようです。
 以前の私も同じで、「愛」について錯覚した理解をしていたために、心の「凹み」は埋めてあげる/埋めてもらうものと、当たり前のように錯覚していたんですね。
 さらに、「自分は愛される資格がない」とか「自分には価値がない」という意識を相手に投影していたために、相手が「かわいそう」と思えて、必要以上になんとかしようとした経験があります。
 でも、それは、単に「私の凹み」だと錯覚していたものを、相手を鏡として投影していただけなんです。

 その後、「自分の中に神がいる」という学びを深めるうちに、自分の外側や自分自身に投影するのを止めていくことができるようになってきたんです。
 「自分は、愛が足りない、愛がない、神が自分にはいない」という思い込みに「だまされていた」ことが見えてきたから、(可哀相な相手、病に苦しむ相手として)相手に投影してまで埋めてあげる必要がない、と理解できるようになった・・・それで、「《私が》相手の凹みを埋めてあげなきゃ」「《私が》救い上げなきゃ」と思うことも減ってきたという感じです。

 さらに、凹みからできた様々な価値観から離れた今から見たら、それはもう「過去に起こらなかった」に等しい、と言える・・・とまで気づけるようになったんです。
 どういうことかと言えば、「過去(にあると思っていた)凹み」というものが、なくなった・・・正確に言えば、「解け去った」・・・そこから「真に解放された」ということなんです。

 ということは、トラウマもなくなった。消え去った・・・「統合された」んですね。
 だから、過去の癒されていない罪悪感(凹み)の反動で「ヒーラー」になろうとはしなくていいんだ、と、気づいたんです。

 だから、私はヒーラーになる道に進んでまで、相手に奉仕しよう、活躍しよう、という気がなくなったんですね。
 ヒーリングはしますが、自分の浄化のためや、極近い人たちのためだけですし・・・。基本的には、自分の心の中・・・想念を観察してなんとか自分で気づき、自分で状況改善できるようになってきた部分があるからそれで・・・大丈夫ということです。
 

 ヒーラーとしての奉仕にこだわらなくてよいのがなぜだかわかりますか?

 「気づき」というのは、認識できると、相手に瞬時に伝わるんです。だから、そんなに相手を癒そうとしなくて良いんですよ。同じテーマを違う形式で抱えている人には、瞬時に伝わっているんです。

金:へーー、そうなんですね!そりゃ、すごい、知らなかった。

あ:ですが、受け取った人が、いつ、その包みを開くかはわからないのです。だから、ヒーリングよりも確実とは言えませんが・・・真の愛を分かち合っていることには間違いありません。
 それから、「私は愛そのもの」とわかり始めてきましたので、「真我に目覚めていこうとしている自分の方に価値がある」、と気づいたんです。それに、シンプルに、実は生かされていることに価値がある、ということがわかってきたこともあります。それは、過去の闇からくる苦しみから解放されてきたことにより、感じていることです。
 だから、金造さんのように理想を叶えて「そうなった」から「私に価値がある、ない」という判断を基準にしているわけではありません。(この世界での自分の立場を価値判断しているのではない、ということ)

 金造さんは、まだ自分の闇、過去の苦しみを、閉じ込めたままで、自分は愛を与え続けなければ「凹みが埋められない」と、思い続けたいのでしょうか?

金:いっ、いや・・・そういうわけではない・・・。
 ・・・苦痛から解放する役割のはずの自分が・・・苦痛に囚われていたなんて・・・。(さらにショックを受ける金造)

そうなんだ・・・・・・理屈ではわかりました・・・。
 でも、理解するまで時間がかかりそうです・・・。

べ:いいんだよ、それで。
 最初は、なかなか理解できないだろう。
 実は、録音しておいてやったんだよ、このカウンセリングを。
 後で、家に帰って復習できるようにさ・・・!
 アタシは情が深い女なのさ。
 鞭も振るうけどね、ハーッハッハ!

金:・・・ありがたいです・・・。
 ・・・でっ、でも今、僕は、すごく、葛藤している・・・怒りたい衝動に駆られています・・・。
 (ぷるぷる震える金造)
 ・・・じっ、自分は、間違っていたのだろうか・・・?

べ:簡単に「間違い」とか、決めつけられない。
 寄り道をしてみることは、本道が本道であると気づくためには必要なことでもあるよ。
 アンタが、その道を選んだことに意味があるのさ。

 いいかい、もう一度言うよ。
 重要なのは「意識の問題」なのさ。
 
金:そうなのか・・・「意識のありよう」というものが、違っていた、ということはわかってきた・・・。
 そこを見ないでやっていると、途中下車して、幻想の「ヒーラー」の世界で「お遊戯することになっていた」ということなんだ・・・。
 ・・・それって・・・恐ろしいじゃないか・・・!(突然目覚める金造)
 気づかせてもらえて良かった・・・。

べ:いいねぇ、その調子だ!
 もし、アンタが分離した意識を統合し、真に覚醒すれば、歩いているだけで10万人を一気に目覚めさせるパワーを出すんだよ!
 ・・・どうだい? 一人一人ヒーリングしていくよりも、よっぽどそっちの方が効率がいいじゃないか?

金:そっ、そうか・・・そうなんだ・・・。
 本当に覚醒すること、って、そんなにパワフルなんだ・・・!!

べ:それは、ローカル電車から急に高いところに飛べる飛行機に乗り換えるようなものさ!
 早く高次のレベルに上昇するんだよ! 現地に着いたら、もっとゆっくりの旅になるから安心したらいい。
 今そのローカル線の旅を続けることは、時間は大幅にロスしてしまうし・・・うっかりすれば、今生での学びさえも始められないうちに肉体が終わってしまう時がやって来るかもしれないからね。

金:(身震いする金造、ぞおぉぉぉっ!)
 それにしても・・・何か特別になることでもない・・・、としたら、一体覚醒って、何なんだ?
 ぼっ、僕はわかっていないんだ?!

あ:今を真に目覚めて生きる、と言うことですよ。
 業界用語で言えば、「一元論」です。
 二元論は、最初は誰でも通りますが、それはいずれ統合されていくべきものだとして、認識する段階があるんです。
 「穴埋めが必要な凹んだ自分」と「ヒーラーとしての特別な存在の自分」という対立の無くなる境地といいますか。

 それから、金造さん、たぶん、スピリチュアルや「真我」についての今の理解では、限界があると思うんです。

べ:アタシが言ったことで、また、金造さんは「特別視」し始めているからね、あおいさん、続けておくれ、良いタイミングに話を切り出したよ。

あ:真我は、もっと普通に現れてくるものなんです。

 真我とは、今、ここを「内なる神と共に」生きること・・・と、私は先日悟った。
 今にすべてがあり、そして、ここには、自分を完全にするための機会と出会いや環境が揃っている。それだから「今ここで、完全」なのだ、と。
 すべては、不完全な自分を見て、完全な自分・・・「真我(本当の自分)」、を思い出すためにあるんだ、って。
 その中には、発芽している種・・・今取り組むべきテーマと、発芽していないまだ眠っている種(テーマ)も一緒にある、という感じです。
 それで「完全」なんです。

 私は、これに気づいてとても驚きました。
 だって、あまりにも普通のことのように見えたから。
 だけど、違うんですね、すでに「視点」が・・・。
 飛行機に乗ったから、そのような視点が得られたんですよ。
 飛行機に乗って高いところに行かなきゃ、見えてこないんです、自分って。

 見えてくると、ローカル線での旅が真の意味で楽しくなるってことなんです・・・。

金:そうなのか・・・。
 うっ・・・自分は旅から帰ってきたけど、そんな重要なことに気づいていなかったなんて・・・。
 
 ああ! 『アルケミスト』の旅の終わりは、ここだったのか!?
 ようやく今、ここで、「宝」に気づいたのか?


ベ:ハッハッハ!
 それこそ、いい気づきだ!
 アンタもここにわざわざ来た甲斐があった、ってわけだ。

金:僕は、愛そのもの、内なる神、真我、一元論、という言葉を知ってはいても、本当は何がそうなのかわからなかったのか・・・。
 スピリチュアル自体を「特別になるための方法論」というか、そういうものだと思っていた。
 だけど、違うってことなんだな。
 ハッ!だっ、だから、「自己陶酔の覚醒」ということだったのか?!(頭を抱え込む金造)

あ:私も、ずっと前・・・『アルケミスト』を読んだ当時からしばらくは、遠くに行って何か珍しいことをすれば、特別な経験をすれば・・・「本当の自分」、「真我」に出会えるものだと、ずっと思っていました。
 ところが、そのような、時間の直線上や空間に囚われているたぐいのものではないんだ、って気づいたんです。
 
 そして、「真我」について、それは「特別な自分になること、成功してキラキラすること」という、「特別意識」の視点で見ていたことに気付いたんです。
 ・・・こうして、私はずっと、「真我」というものは「なるもの(to become)」だと思っていました。
 でも、そうではなかった。

 
 長いこと学びを続けてきて、ある日、突然「あ、真我って、今にあるんだ。「今、ここ」の完全性を生きれば、統合をしていく私自身が、すでにそうだったんだ!」って、気づいたの。

 そして、それこそが、ベラさんも綺羅子さんに前回話をしていた、「本当の自分」というものなんだ、って。
 言い換えれば、「内なる神と共にある状態を生きること」「自分が愛そのものであるということに気付いていること」ということが、「本当の自分」なんだって。

 だから、アルケミストを読んだ25年後の今、私は、ようやく長い旅が終わったんだ~!
 ・・・って、気づいたんです。 

 その「真我」というものがどういうものなのかに気づいたこと「宝物」だった・・・。

 おかしいですよね・・・一生懸命勉強しているのに、実は目の前のことに気付いていない。
 でも、ある時、突然気がつく。
 それは、まるで、
脳内のシナプスが、つなぎ替えられていくかのように
 
 そして、長いことかかったけど、私も、「なろうとしていた」ところから、解放された。
 なろうとしている背景には、愛されていないと思っている恐れとか、自己不信とかが、先ほどから話していたとおりあったけど、一つ一つ、「この価値観は幻想だった」と気づくことにより、「闇が溶けていった」・・・。
 でも、まだ、闇はすべて終わったわけではないけど、「大枠」が取れてきた感じ
なの。

金:そっ・・・そうなんですか・・・。

ベ:金造さん、そろそろ、理解する時がやって来たんだよ。
 「特別なヒーラーになろう」「ビジネスとしてスピリチュアルをやろう」とする中に、アンタの真のスピリチュアルの学びはない。
 むしろ、そのように「特別」になろうとすればするほど、アンタの闇(不足していると錯覚している愛)は、深くなる。
 なぜなら、「そういうイメージを愛したい」自分がいて、そういう自分を愛してもらおうとしていた、ってことだからさ。
 「イメージ・・・虚像を愛してもらおう」とすれば、余計にエゴを着ることになり、もっと「本質的な愛」から離れてしまうってことは、そろそろ見えてきた頃だろう?
 もちろん・・・お金持ちにはなれるだろうし、ビジネスとしても成功を収めるかもしれないし、有名になれるかもしれない。
 「お金や自分の理想」を維持するために、まだエゴを着る方へ行きたいかい?

金:きっ、厳しい!

ベ:なんだい、厳しいインドの修行にも耐えられるのに、アタシの助言はもっと厳しく感じるのかい?
 おかしな話だね・・・ハッハッハ。 

 有名になる前に、捨てちまいな、そんな「不足感」
 ・・・アンタ、それだと、人の意識のゴミ掃除役にはまりこんでしまうよ。
 きっとヒーリングを、かなりのパワーでやり切っているんじゃないかい?
 炉の温度を上げても上げてもキリが無くなるほど処理量の増えていくゴミ焼却場だよ。

金:だから、重いんですね・・・施術が終わった後。
 わかっていましたが、原因そのものが、見えていませんでした。
 
綺:私、わかってきたわ。
 お兄さんと同じで、私も、「自分の闇」を隠すために、やりたかったのね。私は、ビジネスとして。
 お金が穴埋めになるなんて、愛の保証になるなんて思ってもいなかったわ・・・。
でも、私は、「特別な自分として、キラキラ」したかったけど、そういうことだったのね、あおいさんの話を聞いて理解できたところはあるように思うわ。

あ:「スピリチュアル」に対する分離感・・・特別感が癒やされてくると、「真理を知ることは、本当に人が生きていく上で、必要不可欠のことだ」と理解してきたら、次第に「ビジネス・・・つまり、お金儲け」で「自分が特別になってやろう」なんていう気持ちが、自然となくなりました。

 これは、色々な人たちのありようや、自分の内的なありようが「内なる神」のありようからどうずれているかを観察していくうちに理解があったからなんです。

 ・・・綺羅子さん、これ、前回の復習みたいな話なんだけど? わかりますか?

綺:つまり「本当の自分」というものは、「今、ここにある」ってことなのね?
 頭でわかっているだけなんだろうと思うけど、外向けでキラキラではないのね・・・。
 わかっても、なんだか、がっかりするんだけど。
 だって、セレブ的な雰囲気でヒーリングしてビジネスしている人って、多いじゃないですか?
 ああいう、素敵な雰囲気の女性になりたかったのに・・・。
 あ、これも、あおいさんと同じね?!笑

 

あ:その調子です、よく気付きました。

ベ:今の段階では、あんた達二人は、まだまだスピリチュアルを「特別視」している。
 それは、意識の分離が強いってことだよ。投影しているもの(見ているもの)にだまされているのさ

 これからの時代には、そんな「特別」意識が、無用になってくる。
 無用と言うよりも、「お荷物」だね。
 これからの時代は、普通の人たちが普通に覚醒していく時代になるからなんだ。

 綺羅子さんも、金造さんと一緒にスピリチュアルの学びに取り組んだらいいよ。
 金造さんにとっても、良い学び相手になるだろう。

 お互い、はまり込まないように、観察し合っていることが大切だよ。

金:わかりました・・・ありがとうございます。

 なんとなくしっくりこないわけがわかりました。
 ・・・本当は、すっごく、悔しいです。
 でも、ホンモノになるためには、分離を統合するんですね。
 辛抱します。

 しかし・・・これからヒーラーとしてデビューしようとしていたのに、どうすればいいのか・・・。

ベ:ハッハッハ・・・ここまで聞いて、まだ「ヒーラーになる」ことにこだわるのかい?
 しがみついているねぇ。
 
あ:私は、目指すのはヒーラーとかじゃない、とわかっただけです。
 宇宙仙人にはさんざん言われていたんですけどね、「わしの弟子にヒーラー志望者など要らん」と。

金:そっ、そうか・・・ぼくも、ヒーラーの道・・・止めようかな、もう。
 そっ、その・・・10万人を一気に覚醒させる方に行きたくなってきました!

ベ:ハッハッハ・・・単純だね・・・。
 それに、まだ「なりたい」んだね?
 別に止めはしないよ。
 ただし、真剣に、自覚した上で、やるんだよ。
 真剣に取り組んでいれば、アタシの言葉が耳に残っているから違和感を感じるようになって、いずれそれも捨てたくなる時が来るのさ。

綺:わっ、私も、そうするわ!
 そっちの方が、本当のキラキラになれるって、ことよね?
 キラキラになれないって、落ち込むよりよっぽどいい~!
 
ベ:なんだか、二人はまだまだわかっていないようだが・・・。
 仕方ないね、最初は理屈の段階だ。
 二人でやったらいいじゃないか、統合のための心の訓練を。

金:はい、目指せ10万人の覚醒! 
 猛烈に悔しい・・・だからこそ、新しい目標をうち立てなければ・・・!(力こぶをつくる金造)

あ:(なんか、ちょっと違うけど・・・良いのかな・・・汗)

べ:そんなにやる気が出てきたっていうなら宣伝しておこうじゃないか・・・
 あおいさん、あそこにあるファイルの中のチラシを一枚差し上げてくれ。

あ:あっはい・・・。(ファイルを手に取るあおい)
これですね。
 金造さん、どうぞ。

金:勉強会?
 スピリチュアルの勉強会、「想念観察」?のチラシなんですね?
 あおいさんがやっていた、「想念を観察する」っていうことですね?
 これが、飛行機に乗れる搭乗券ですか?

 

べ:アッ、アンタねどうして、そういう現世利益的な方にすぐ結びつけるのかね?
 がつがつしている自分に、まるで気付いていないねぇ・・・まったく。

あ:それにしても、ベラさんこそ、いつの間にこんなものを用意していたのかしら・・・。
 
べ:ちゃんと、神が用意してくださったのさ・・・ハッハッハ~!

金:なんだか、スピリチュアルの旅っぽくなってきたぞ~。

べ:それぐらいの気持ちならやれそうだが、あまり期待しすぎると、すぐに凹むよ。
 ポジティブに考えることは悪いことでは無いが・・・どうかね・・・、上昇への旅はそう甘くはない部分がある。
 わかっているだろうね? こっちの世界は、心の凹みからは逃げないようにしていくことなんだよ。
 むしろ、心の闇を統合してトータルな自分を目指すんだからね。
 この学習を続けて上昇していくと、今までとは違った世界が見えてくるのさ。
 
金:そうなのか・・・なんだか、がっかりしたり、気持ちが上がったり、忙しいなぁ、僕・・・振り回されているってことで、まだ疑っちゃいますが・・・。(まだ自己不信が勝っている金造)

 

べ:アンタは、まだその意識レベルだってこと、自覚した方がいい。

金:そうなんだ・・・これからが、本当の旅なんだなぁ・・・。
 では、そろそろ帰ります、濃厚なカウンセリングありがとうございました。

・・・では、お礼にですが、いつか、僕の金粉を見せます。笑

ベ:アンタ、まだやるのかい?ハーッハッハ・・・。

 ・・・まぁいい、せっかくだから、金ぴかメークにしてくれないかい?
 どうだい、あおいさん、金造さんの製造する「金粉」で、メークをしようと思うんだが?
 それで、「キラキラ」にしておくれよ。

あ:やめてください、ベラさん。笑

金:いいですよ、お安い御用です! いつでもどうぞ。

 では、そろそろ時間のようなので帰ります。
 ありがとうございました。

金造と綺羅子は、帰って行った。

あ:・・・ベラさん、私は、旅を終えましたし、「毒麦」の刈り取りをすることになったんですね。

 すっきりしました。

 話しているうちに、私は、自分がどうして「毒麦」を刈り取れたのか、頭の中で整理がつきました。

 実は、「~(みたい)になりたい」・・・先ほど話していた「お金持ちになりたい」という、私が自己観察の学びの最初に持っていた動機の「エゴ」ですが・・・実は「毒麦」だったんですね。
 「~になりたい」という動機は、最終的には間違ってしまいますが、自分がここまで成長して勉強し続けるには、起爆剤のようになっていた部分があったんですね。
 「毒麦」が自分の畑に生えていることを自覚していればいいけど、最後に自覚してきちんと分けて刈りとらなければ、「イメージや理想」の追求になるので、「純粋な麦」すなわち「真我への糧」と一緒にしてしまうと、毒が混入していずれそれに犯されてしまうってことと同じなんですね。
 だって、「真我」というものは、イメージや理想とは違いますからね。

 

べ:そうなんだよ、あおいさん。

 

あ:なかなか毒麦のたとえが腑に落ちてきませんでしたが、現実と照合出来て判ってきました。
 早急にやろうと思っていたら、今日の金造さんがきっかけをくれたんですね。
 やっと、自らの経験を持って、真理を検証できました!

 

ベ:やったじゃないか! あおいさん。
 アンタが、ここまで成長してきたのをみて、アタシは・・・嬉しいよ・・・。(涙)

 

あ:べっ、ベラさん。
 涙を流して、メークが崩れてきて、さらにキモくなっています!
 ・・・金造さんに金粉を出してもらえば良かったですね。メークのお直しができたのに、笑

ベ:ウッ、ウッ・・・、そうだね。ハッハッハ。
 アタシとしたことが、泣いちまったじゃないか。

 とにかく、今日は良い日だ。
 あおいさんの成長に、一杯やろうかね?

あ:あれ、ベラさんはお酒飲まないんじゃないんですか?

べ:実は我が家には、「自家製梅酒」があるんだよ。
 3年ものさ、一緒に楽しもうじゃないか。
 よく熟成したお酒は、美味しいんだよ、飲めないアタシでも。
 あおいさんと同じだね。

あ:ベラさんのおかげです、ここまで来られたのも・・・ありがとうございます(涙)

あおいとベラは、梅酒で乾杯した。

~・~・終わり・~・~

 

今回もお立ち寄り下さり、誠にありがとうございました。


 

こんにちは。
今回は後編のはずでしたが、編集段階で伸びてしまい、3部作となってしまいました。
よろしければ、引き続きお立ち寄りください。
 
◆前編はこちら
 
~・~・~・~前編からの続き~・~・~・~
 

金:えっ・・・愛そのものだから、愛を無条件に与えることができるってことではないでしょうか?
 沢山与えることが「善」というか。
 だって、スピリチュアル界では「愛を与えなさい」と積極的に言うじゃないですか?
 そこから、ビジネスという形で仕事を立ち上げて、お金をもらうことのどこに、問題があると言うんですか?

べ:アンタは、本当に錯覚しているね・・・真実から言えば、「愛は与えられない」んだ、本当は。
 アンタが与えていると思っているのは「愛」ではなく「愛情」だ。
 しかも、「僕を愛してください」という条件付きさ! 愛を沢山与えようとしている時点で、見返りを期待している。
 

金:なんだか、ずいぶんなことを言われていますが・・・そんなこと思っているわけないでしょう・・・?(楯突く金造)

 

べ:それが、「自覚がまだ無い」っていうことなんだよ。
 アンタは本質を理解していくことよりも、方法論を実行することばかりに焦点が当たっているんだよ、気づいていないようだが。

 本当のスピリチュアルって、そういう「方法をまねてできるもの」ではないんだよ。

 アタシは、「何をするか」「何をしてお金をもらうか」などのような「行為」の話をしているのでは無い。
 「意識の話」なんだ。 「意識のあり方」が、違うと言いたいのさ。
 
 自分の中の「分離した意識」に気付いて、これを「統合」していく・・・それを血肉にしていく積み重ねによって「トータルな自分」、つまり『真我』が開花してくるんだ。ここを勘違いしているんだよ。

初めにも言ったが、アンタが言う「本当の自分」とは、「真我」ではなく、「理想の自分」と正しく言い換えた方がいいねぇ。
 ・・・アタシも情が深いからね、迷える子羊は放っておけないタチなのさ。ハッハッハ・・・。

金:率直に、聞いてみます。
 ベラさんから見て、僕は、ホンモノとは違うのですか?
 
ベ:さっき、「分離した意識の統合」と言っただろ?

つまり、アンタが見ないフリをしてきた心の闇の直視だよ。不安・恐怖・不信・不足・・・どれもこれもホンモノの自分=愛から離れた意識だ。その闇を自覚することでトータルな意識に統合されていく。
 ところがアンタは統合とは逆の方向に向かい、闇をただ「切り捨て」て分離を強化しているだけだ。
 これで人を真の意味で癒やせるわけがない、と言いたい。
 もちろん、技術としては、一時の痛みなり辛さを取ってあげることは出来るだろう。
 それは、対症療法ではあるが、役には立つ。
 もし、ホンモノの光が出ていれば、客はその時、自分が向き合うべきテーマに目覚めることが出来るはずだ。

金:・・・本物の光が出せているわけは無いのか・・・今の段階では・・・。
 じゃぁ、特別な能力と、自分の本当の光って、別だってことですか?

べ:「意識の話」だと言っただろう?
 その背景に、アンタが言ったように「(自分が)愛そのもの」ということが、理解に落ちてきていれば、本当の光が出ることになる。
 また、本物の光は、それまでとは「意識のありよう」が違うし、闇が「統合がされている」ことによって、自然とこぼれてくる光なのさ。見えないが確かに光っているという感じだ。

金:僕は、特殊能力を持っている理想的な自分を、光っている、ホンモノだと錯覚しているだけなのか・・・?

ベ:そもそもアンタは、「愛」を錯覚している。
 「愛」は与えたり、無くなったり、減ったりしないものなんだ。
 だから、「愛そのもの=愛はすでに在るもの」なんだよ。
 いいかい? それを、「外から埋めること」はできるのだろうか?
 その発想自体が本当は「エゴにだまされている」ってことさ!

金:ええっ?
 本当なんですか・・・?


べ:ああそうさ。アタシは、「本質的な話」をしている。
 もちろん、現実世界、物質世界では、満ちていない部分を感じているところがあったり、それこそ「錯覚」している部分がまだあるから、外から埋めることも必要になるだろう。
 しかし、自分がどんな「意識状態」なのか、よく把握できていない人間がヒーリングしたところで、もちろん、仕事としての癒しはできるが、真の意味では癒しができない、と言っているんだ。「トータルな自分」からはまだ遠い、今の金造さんの意識状態ではね。

金:・・・ショックのあまり、次に出る言葉がない・・・。
 それならそれで、僕はビジネスとしてやって、お金もらって仕事をするだけでいいです。

べ:もう、アンタがここに来ている時点で、その方向性は修正が迫られているんだよ。
実は、アンタの背後の存在などに導かれてここに来ているんだよ。

 自覚おし!

 ハッハッハ・・・そもそも金粉を出す、というのがなんだって言うんだい?
本物であることを証明するための技なのかい?
認めてもらおう、判ってもらおう、としてやっているパフォーマンスだ、という自覚は持っているのかい?

金:・・・そうなんだ・・・
自分は、愛されようとしているから、金粉を出して、自分の自信のなさを証明しようとしていたんだ・・・。

ベ:少しは自分のことを自覚してきたようじゃないか。
さて、アンタは、自分が「愛そのもの」だと、知識ではわかっている。
その理解を肉体化していけば良いんだが、そのことには、どのくらい価値があると思うかね?
アンタが旅の途中で得た金粉を出す技やヒーリング能力と比べて、どっちが価値があるだろうかね?

金:正直に言えば・・・、僕には、「ヒーリング能力」や「金粉」の方が、価値があるように見えています・・・。

べ:正直になってきたね。ただ、判ってきたと思うが、アンタの旅は、まだまだこれからなのさ。
あおいさんは、一足先に、次の駅にいるようだから、その境地を金造さんに語ってあげてくれないかい?

あ:はい、わかりました。

 私も、過去埋めようとしていた凹みがありました。暗い過去や罪悪感を感じるような過去の行為を裁く意識を持ち続けていたからです。先ほど、あがない行為の話を少し話しましたが・・・。
その延長線上にある途中駅を降りてヒーラーを仕事にしようかなと思ったことがあるの。けれども、すぐに、なんか違うな、私の目指すのはこの駅じゃない、とわかったことがあるんです。とはいっても、その駅前の風景に気を惹かれる自分が何度も出てきて、しばらくは、「こっちの方に自分の未来があるんじゃないか」と散々悩みました。
その葛藤の中で気づいたのは、過去に自分が引き起こしていたことで、自分が嫌いになり、自分を酷く断罪して凹ませていた。そのため、必要以上に「理想的な自分」というのになりたがっていた、ということなんです。

 それから、ヒーリングを学びたい動機もよく自覚していませんでした。
「お金を稼げそうだ」「(理想的な自分として)愛されそうだ」というのが本音でした。最近の「出た者勝ち、やった者勝ち、広めたものが勝ち」の風潮・・・外からの承認を得たいという願望に、当時の私も飲まれていたんですね。それで、○○さんのように、△△さんのようになりたい・・・と願望を抱いては、「他の人たちはキラキラして沢山客を獲得しているヒーラーとしてデビューしている」ように見えていて、「自分なんてダメだ」と自己否定して嫉妬していました。今思えば「思うように他者から愛が獲得できていない」という「幻想(自分の凹み)」にはまっていたんですね。

金:そうなんですか? でもそれは当たり前じゃないですか? 第一線で活躍している人たちみたいになりたいって思うことは誰でもあるはずだ。僕だって、ビッグになりたいんだ。
 それがどうして、「思うように他者から愛が獲得できない、という「幻想」だったのかわからないな。

あ:それは、今になるとわかるんですが、「表の看板の派手さ」に焦点が当たっていて、知名度とか、流行の言葉で彩られているとか・・・そういう「客を獲得できるパワーがありそうに見せる演出」に踊らされていたことに目覚めることができたからです。
 「多くの他者から愛されること」=「良いこと」というような、「数の論理」でモノを考えている自分に気づかされたんです。だって、ブログやったり見たりしていると、次から次へと 「集客方法」の宣伝・広告が来るじゃないですか? やはり、「自分は大丈夫なのかな」と不安になったりしたんですね。・・・根底にあったのは「根深いお金に対する『不安』」でした。
 「数の論理」というのは、数が集まれば「力がある(パワー・愛がある)」という錯覚に基づいているんですね。
 数をたくさん集めたがるのは、他者から愛をたくさん獲得したいからであり、裏を返せばそれだけ自分には愛が足りない、と、錯覚している、ということなんです。
 自分のお金・愛に対する渇望を満たしてくれる人が欲しい、というのが本音で、その裏には「そういう人がまだまだ足りない/そんな人いないんじゃないか」という不安感、不信感があったんですね。

 でも、ヒーラーって、「スピリチュアル」って、そもそも、そういうものでしょうか?

金:・・・しかし、この世の中では、足りない物を相手が満たしてあげることによって成り立っているはず。
欠乏感を癒すことは、相手を癒すことになるんじゃないですか?
・・・最近は「人も自分も」豊かにお金持ちになれる方がいいじゃないか・・・「WIN-WIN」という風潮ではないですか? それは、いいことと思うんですが・・・?
誰もが「宇宙法則」を活用すれば、無限の力を発揮し、なんでも手に入れられる、幸せになれるっていうじゃないですか? 
特別な能力を手に入れて、それを生かして、役立てたいだけなんだけど・・・。ついでにビッグになれたら良いかと思って、身につけた力で。

べ:あんたは、まだわかっちゃいないね。

 そういう、「現世利益的な物質を満たすレベル」の話をしてるんじゃないんだよ!
実は、私らのカウンセリングは、そこから先・・・「物質を越えたレベル」の話しなのさ。

アンタが、今のところを乗り越える気があるなら、この先のカウンセリングをするが、それ以上知る気がない、なら今日はお帰り頂こうかね・・・・・・・・。
・・・どうしたいのかい?

金:・・・。
一応先を知りたい、というのが、今の希望ですが・・・。

べ:わかった、とりあえず、続けてもらおうか、あおいさんに。すべて話を聞いてもらう流れで、カウンセリングを受けた上で、金造さんがどうするかは決めれば良いんだ。

 そもそも、「みんな誰もがお金持ちになれる」なんて「方法」あるわけないだろうが?
それ自体がおかしいと思わないかね?
それは、宇宙の真理を「法則」として「勝手に勘違いしてとらえている」からだ。
自分の夢がYoutuberとか言っている最近の若者たちと、基本的にはおんなじだ。

金粉だけではなく、現実的に「お金」という対価で「愛されている」とか「大丈夫」といった保証が欲しかったんだろう。それだって、「他者からの愛の獲得」をすれば、「自分は大丈夫」という、外からの承認を得たい気持ちと変わらないんだよ。

あ:私も、先ほどお伝えしたように、現実的に現世利益を優先したかった時は、「お金で保証が欲しい」と思っていましたね。

 その背景にあったのが、実は「自分は愛される資格がない」とか「自分には価値がない」ということだったんです。言い方を変えれば、「私はものすごい凹みを持っています、そのため、たくさんの人に愛してもらわなきゃ、賞賛を得なきゃ」というような、深い不足感に突き動かされていたんですね。それを幻想として認識していくには、時間がかかりました。

べ:つまり、アタシ達は、自分に見える「思惑」、人の思惑、を越えて行く道中なのさ。

しかしね、それが、人を不健康にしている元凶なんだから、ヒーリングだけでは限界なんだよ、もう。
だから、アンタの背後の存在達が、アンタをここに来させているんだろう。

金:えっ?・・・たっ、確かに、限界と言われてみたらそうかもしれないけど・・・。だって、不健康の原因はストレスとか言いますからね。それが解決しないと繰り返すわけで・・・。

でも、理解して行くには時間がかかるんですか?
それじゃぁ、せっかくインドから帰国して上り調子の時に、「ビジネス立ち上げよう」と思っていたのに、これじゃぁ、無理じゃないですか? 
すべて闇を見終わるまでダメなんですか?

べ:アンタ、言葉尻だけをとらえて、またそうやって混ぜ返すのかい?

金:(突然自信がなくなるような金造)・・・しっ、仕事としてやれば・・・大丈夫だろう、と思うんだけど・・・?
 僕って・・・何もわかっていないってこと?・・・本音を言えば、認めたくはないんだが・・・。

綺:お兄さん・・・じゃぁ、私たち、また振り出しってこと?(焦る綺羅子)

べ:おだまりっ!

綺:キャ~ッ!怖い~、今日二度目です!

べ:黙ってお聞き!
その先を知りたいと言ったのはアンタ達なんだからね。
まず、論点が違う。
それは、「土台をどこに据えたいか」が、違うってことさ!
一元論・・・それは、「意識の統合」なんだが、それが、「愛そのもの」に向かいたいのかそうで無いのかということなのさ!
時間が、とか、振り出しとか、そんなもんはない!
アンタ達のエゴが妄想した勝手な計画だ! 
アタシが言っているのは、「神の計画」というものだ。神の計画にはそんなもんはない!

金:そんなものがあるんですか? 是非聞きたいです!

べ:わかっていないね、もう何度も、さっきから喋っているんだけどね。 

金:そうなんですか?
何時何時までに、これをして、あれを目標にしなさい、という具体的な方法はちっとも言われていませんよ。 
・・・それどころか、心の「凹み」のことや、過去を赦していないこと、など、違う話をしている・・・、
・・・あ・・・もしかして、これが「意識の話」ってことですか? 方法論じゃない、という話もあったな。

 だけど、なんで、意識の話が、時間と関係あるのかわからないな・・・

べ:それは、もっと深い話になってしまうから今ここでは深いことは言えないが、ザックリこのカウンセリングを理解してもらうために言っておこう。
「意識の成長度合い(統合度合い)」に合わせて、見えている世界が変わってくる、ということなんだよ。そうすると、人生のスケジュールも変わっちまうこともあるのさ、ガラリとね。

金:へっ、そうなんですか?