大阪心斎橋 通り魔殺人、埼玉県熊谷市 強盗殺人、新潟女児殺害事件。どれも第1審での死刑判決を第2審で取り消され無期懲役の判決を下された事件についてです。

Twitterの皆様の呟きを見て感じたこと、司法の在り方、裁判員制度の有用性について綴ってあります。
あくまで一個人の感想ですが、命に関する話題なだけあるので私の発言で気分を害されるかもしれません。お世辞にも道徳的で人に寄り添った意見とは言えません、このようなものに嫌悪感を感じない方のみこのまま下にスクロールしてください。





















3つの事件について全て話すと膨大な文章量になりそうなので、ここでは埼玉県熊谷死 強盗殺人について取り上げて司法についてお話しようと思います。



こちらが事件の概要。

(Wikipediaより引用)



そしてこの事件についての裁判の判決。

(Yahoo!ニュースより引用)



この記事にTwitterでは、「死刑にすべき」「被害者の親族が浮かばれない」「なぜ加害者の人権ばかり尊重されるのか」「裁判員制度の意味がない」というような意見が寄せられました。


ここからは全て私の感じたことになります。反対意見や質問も大歓迎です。言わずもがな攻撃的な言葉を使ったり誹謗中傷をしたりすることは禁止です。是非気軽に自分の意見をコメントに残していってください。





・判決について
私は無期懲役という判決についてやや疑問が残りました。

無知故、なのですが「6人殺したんだから流石に死刑だろ~」と思っていたのですが、今までの死刑囚の殺害人数を調べてみたところ1人~27人とめちゃくちゃ幅が広かったです。1人でも死刑になるケースってあったんですね。

では、刑罰を決める際の基準についてですが主に
犯罪の性質
動機
執拗性、残虐性
重大性
被害者の数
被害者の状態
これら全てを加味されて決められているようです。


今回の事件に当てはめてみると、

極めて悪質
動機は、被害者とは何の関わりもない
執拗性、残虐性は乏しい
命に関わる重大な問題
被害者の数は6人と多い
総合失調症による心神耗弱状態であった

…酷いですね。
と、まぁこんな感じです。

これらの要素から無期懲役、と判決を下された訳ですが私の疑問に思ったのは
心神耗弱状態は減刑の対象になるのかです。
6人殺害しておいて神経耗弱状態で責任能力が無かったというだけで減刑に踏み出すのは理由として少し弱いんじゃないかと思ったわけです。
恐らくその責任能力について裁判で争ったのではないかと思います。
結果的には責任能力は無かった、と判断されました。裁判の詳しい内容が気になるところです。


・裁判員制度について
この判決で裁判員制度の意義について問う意見が多く寄せられました。

個人的には裁判員制度は必要ないと思っています。

裁判員制度は市民感覚を取り入れること、国民と共に判決を検討することで国民が理解しやすい裁判をすることを目的としています。
市民感覚を裁判に取り入れるのは賛成できるのですが、今回のような死刑か否かを決めることに関してだけは市民感覚は不必要と思っています。

死刑か否か、という事柄を決めるということは当たり前ですが人間の生死を決めるということです。

死刑は人権の剥奪です、死を強要するのですから。加害者もまた人権の剥奪を行った訳ですが、だからといって加害者の人権が無くなったということは有り得ません。

こう考えると、「殺人を犯したのだから加害者は死んであたり前だ」という意見は筋が通らないように私は感じます。

ですがこう唱える方がほとんどですよね。
こうなるのは、日本人があまりにも殺人と無縁なことが原因じゃないでしょうか。

日本は命を奪うこと、奪われることが日常的に行われない国です。つまり市民は命を奪うこと、奪われることに関して鈍感であると私は思っています。
先程も述べた通り、死刑と決めるのは加害者の命に関わることで、死を強要する行為です。
はたして命を奪うこと、奪われることに関して鈍い市民がその感覚を裁判に取り入れて良いのでしょうか。
裁判長はその点慎重に考えることができた方ではないですか?





・裁判の在り方について
私は、裁判官は神にほど近くあらなければならないと考えています。
神、とは全知全能ではなく誰にでも平等であるという意味合いで使いました。

人を平等に裁く場合、最も不必要なものは感情だと思っています。ひとつの事象に対して抱く感情は個人差がありますよね、感情ってそれ程不確定で曖昧なんです。不確定で曖昧なものを人を裁く場合に用いるのはあまりにも危険ではないでしょうか。平等に物事を判断することが必要な裁判では必要ないものだと思います。


と、これを踏まえた上で改めて考えると誰にでも平等ってすごく不平等ですよね。
今回の事件も被害者はなんの落ち度もなかったのに、加害者は罰を受けるだけ(被害者が受けた仕打ちに比べて)で済むのですから。
私も理屈では加害者が無期懲役になった理由を理解しているつもりですが、感情としてはわだかまりを抱えています。
このようなわだかまりを抱えることすらないような納得のいく裁判が行われれば良いのですが、難しいところ…というよりも実際問題無理ですよね。









以上、女子高校生の感想文でした。
中々の長文になりました。最後まで読んでくださった方、拙い文であるにも関わらず読んでくださって本当にありがとうございます。記事のレイアウト等、今後試行錯誤していく予定ですので何卒よろしくお願いします。