人は生きていると様々な出会いがある。
友人、恋人、恩師、職場関係、はたまたスポーツから趣味まで。
それは人との出会いだけではない。
私が釣りと出会ったのは物心付いて間もない頃だっただろうか。
私の母方の実家は志津川町、今で言う南三陸町だ。
私の祖父母は牡蠣の養殖業を営んでいた。
釣りに出会うまでに時間はかからなかった。
祖父に船に乗せられ、または防波堤から、
釣りを教えてもらった。終えてもらったと言うよりは全て用意してもらい釣るだけの段取りをしてもらったと言うべきか。
記憶は定かでは無いが初めて釣った魚はアイナメだったと思う。思い出補正も含まれるかも知れないが40cmはくだらない大物だったように覚えている。
今でこそ小ぶりのアイナメが多いが当時は三陸の海には40、50と言った大物がごろごろいたように記憶している。海水温の変化か、はたまたアングラーの増加に伴う大型の減少か最近は40cmオーバーが釣れただけで喜ぶ程である。
話を戻そう。
長期連休やちょっとした休みの度に志津川に行き釣りをする。それが私の楽しみだった。
両親は釣りには全く興味が無く、釣りに釣れて行ってもらった記憶も数える程である。
そんな私だか、住んでいる場所は何も無い盆地。
もちろん近くに海など無い。
祖父母の家には行くが毎日では無い。
『釣り足りない』のである。
折しも私の世代は「グランダー武蔵」と「村田基」の全盛期。太陽が東から昇るが如く、当たり前にバス釣りにハマって行くのであった。
とは言え究極の田舎に住んでいた私。大きな釣具屋もバス釣りの知識を持ち合わせた人も周りにはいない。当時、携帯やパソコンなんてまだ珍しかった時代。土曜朝6時の「釣りロマンを求めて」のみが釣りの情報源。小学生ながらに早起きし、テレビをつけ釣りロマンを見る。磯釣りだった日にはガッカリしたものである。高橋哲也さん、あの頃から大スターでしたね。
町に唯一のおじいさんの経営する釣具屋に行きよくわからないワームとラインを買う。ポンドや号数なんて分からない年頃の私。おじいさんにラインちょうだいと言い、適当なラインを渡されていたのは良い思い出だ。
それでも地元の沼で初めてブラックバスを釣った。
初めて自分で仕掛けを作り、ポイントを選び、アクションさせる。初めてのルアー釣りとの出会いだった。それからと言うもの毎日のように地元の沼や野池に自転車で行きバスを釣る。
タックルなんてホームセンターで買った振り出しの安物だ。でも何も不自由を感じず釣りを楽しんでいた。今でこそ、やれ感度だ、やれ軽さだと言っているが、あの頃が純粋に釣りを楽しんでいたのかも知れない。
ブラックバスとの出会いは私をアツくさせた。
当時、違法だが放流されていたブラックバスはせいぜい20cm。大きくても30cmと言ったところだ。
ところが、私に初めて40upを釣らせてくれた。
忘れもしない『ゲーリーヤマモト』のワームとの出会いだ。
当時の衝撃は忘れもしない。独自のソフトなマテリアル。カラーリング。アクション。
どれをとっても超一流。未だに第一線で活躍しているのだからその凄さは皆さんも承知の上だろう。
そして中学、高校とひたすらバス釣りにのめり込んでいくのであった。
お年玉を貯めて初めて買った高級リールアンタレス。あの時はリールを買うので精一杯でホームセンターの千円のロッドに付けていたっけ。
あの飛距離、あの巻き心地。そしてルアーマガジンとロッド&リールと言う雑誌との出会い。
娯楽の無い田舎ゆえ、ただひたすらに釣りに没頭する他に趣味が無いのである。
次に続く