今の住まいは、楓が生後1ヶ月の時に
移り住んだ、中古の戸建てです。
私自身は、結構引越しが多い人生
だったかと思います。
それぞれの場所が、私にとって
「ただいま」を言える場所です。
それぞれの場所で思い出があります。
幼すぎて覚えていないこともありますが
親の話などもつけ加えて、私の記憶として
綴ってみようと思い立ちました。
地名、人名などは伏せてしまいます。
皆さんの役に立つことのない、
思い出話です。
皆様も、ゆっくりのんびりと。
懐かしい場所に
思いを馳せてみてください……❁
(*^^*)
いつでも、皆様が
「ただいま」を言えますように
祈っております。
私が生まれた頃のこと……
生後間もない私を連れ、両親はマイホームを賃貸に出し、転勤のために地方都市へ移ります。
父が人生で初めて買ったマイホームは、築浅の団地の一室でした。
売り出された時はまだ「現状居住中」。
住んでいた方の人柄も良く、綺麗に室内を扱われていらっしゃり、納得出来た両親は都心のベッドタウンにマイホームを構えることにしました。
その後、父は人生で何度か目の転勤が決まります。
転勤先での単身赴任を勧められますが、会社が用意したのは、なぜかファミリータイプの部屋。
だったらみんなで。と新幹線で向かいましたが、そこは日陰のジメジメとした部屋。
初めから転居を目論んでいたのでしょうが、赤ん坊を育てる環境には向かない。と、父は日当たりの良いアパートを見つけ、移り住みます。
同じような月齢の赤ん坊のいる、ファミリー層ばかりのアパート。
私は既に、団地→日陰アパート→日当たりの良いアパート。
と、3つの住まいを経験します(笑)
日当たりの良いアパートで、母も気の合うママたちと楽しく過ごした数年。
幼稚園に上がる頃、父が関東に戻ることになり、私たちはもといた団地に住むようになります。
この日当たりの良いアパートのママたちと、近所の公園や動物園で思い出があるようです。
私がビニールブクロに手を突っ込んで、麦チョコを頬張っている写真があります。
お友達の名前、なんとなく覚えています。
団地に戻り、年少から徒歩で通える幼稚園に入ります。
私の家は、団地の5階。
団地っていうのは結構、どこのお部屋も南向きで日当たりが良いものですが、エレベーターなんてものはなく、でも昇り降りに疲れた覚えはありません。
階下に出れば、すぐ公園。
駐車場は遠かったけど、日帰り旅行で眠ってしまった私を背負って、父はその階段を登りました。
母も、妊婦の頃から私が歩けるようになるまで、私を抱いて昇り降りしました。
これは全く覚えていません(笑)
スーパーの帰り、懸命に階段を登った事は覚えていますね。
ベランダからは、夕方に富士山が見え、母はベランダでセキセイインコを飼っていました。名前はぴーちゃん(•‚θ‚•)
向かいの棟の屋上では、カラスがボールで遊んでいました。
「カラスって頭が良くて、子どもくらいの知能があるんだって」
と、母が話していたのを覚えています。
私の両親は団塊世代ですから、子どもの私にも、いつでもどこにでも遊ぶ相手がいました。
お隣のお姉ちゃん姉妹はとても優しくて、
別の棟には、私の初恋?ともいえる男の子もいました。
年中さんくらいで、補助輪のない自転車に乗れた、カッコイイ子(笑)
近くで○○スクールを経営するおうちの女の子とは、同じ幼稚園でとても仲良しでした。
だから、年長の夏休みに引っ越すことが決まった時は、悲しくて寂しくて……。
しかしなぜ、引っ越すことにしたのか???
お友達の家では、犬を飼っていました。
犬飼いたいな~٩( ´ω` )و
そんなことを私が言っていたので、引っ越すことになってしまった気がしています💧
お友達のおうちはインターホンを鳴らすと
ピンポーン♬︎♡
団地は
ビー、ともブーともつかぬ呼出音。。。
子供心にこの音が怖くて……。
団地の5階だというのに、ゴキブリもよく出ました(笑)
しかも、ある時私がトイレから出ようとすると、トイレのドアの隙間から腕が伸びてきて、私の服をつかみました。
(あれっ???オヨヨ??)
親に聞きます。
「お母さん、トイレ出る時、腕が出てきたことない?」
笑い飛ばされます。
それもそのはず。
ドアノブが袖に引っかかっただけなので(笑)
※……私よく、おとなになった今でも袖がドアノブに引っかかってしまいます。
犬を飼いたい以前に、両親はよく新規分譲の住宅地にしょっちゅう出かけていました。
子ども心にに素敵な街並みと、新しい建物にはワクワクしていました。
抽選方式だったので、抽選に外れて私が泣いたことがありました。
1度や2度ではなかったです。
それだけ、あちこちへ見に行っていました。
「なんであんなに色んなとこに家を見に行ったの?」
と、聞いた時、
団地も悪くないんだけど、駐車場は遠いし、なんだかんだ駅までのアクセスが悪くて、会社に通うのが大変。
という理由も大きかったそうです。
そうやって紆余曲折。
明るくて、何気に部屋数も多くて広い団地。
父の仕事部屋も覚えてる。
母が父に買ってもらったという機織り機があったのも覚えてる。
外に出れば、誰かと遊べた団地。
少し年上の男の子たちが、団地の2階から飛んで遊んでいたのも覚えてる。
私もやりたかったな。という思い出。
引越しに向けて、ものが片付いていき、ある日幼稚園の年長組のみんなから、お別れの手紙を貰った。
先生が大好きだった。
夏休みに入る頃、私たちは懐かしい団地を後にしました。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます❁