【 クセがある 】
ふつうのことなんだけど
それがどんなクセなのか
自分で自覚することが これほどまでに
驚愕するとは。。
私の人生に激震が★革命が★土台がかわるときが来た★
たとえばの話で
・髪の毛をいじいじするとか
・歯ぎしりするとか
・口をとがらせるとか
外見のしぐさのことなら、まぁ気をつければ なんとかなることだと思う
人からも言われ
自分も気になるし
でもこれが 外見じゃなくて内面のクセだとしたら
それはもう、誰にも見えないし
自分でも気がつかないうちに クセが常識となり
習慣となって身につくものであり
それがその人の前提となる
内面の見えないものにクセがある場合
それは真鍮に探ってみないと分からない
私は昨日、私の人生において
最大のクセと向き合ったとくべつな日となった
うすうす、気がついていたんだけど
自分の不安がクセとなっていたことを改めて実感した
そして
自分が本当の意味で『大人になること』に光が射した日
今まで生きてきた自分と周りの人たちに
深く深く感謝した日
これから『自由になる』という意味をつかんでいきたい
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私は人とコミュニケーションを図ることがすごくすごく苦手で
正直なところ、ずっと避けてきた
仲の良い友達が入れ替わるのはふつうのことで
今まで生きてきた中で
ずーっと一緒にいられる友達はいなかったし必要がなかった
私の中で、私の目の前から 人がいなくなることは、ふつうのことだった
でも
そうしてたのは 人じゃなくて 自分自身だったんだ
みんながそうだと思ってたけど、そうじゃないんだって、やっと気がついた
物心がついた頃には
周りの人たちはグループでつるんでいたり
特定の誰かと一緒にいる人たちばかりだった
それが “友達“ というグループであることはなんとなく分かったけど
私にはいなかった
いなかったし、欲しいと思ったのは一瞬で
私には人としゃべることが無理だとばかり思っていて、面倒臭いとすら思ってたこともある
でも人とのコミュニケーションは、本当は取りたいし、人は大好きなんだ
わざわざ人を遠ざけて
自分が傷つかないように一人でいて
誰かが近づいたらスグに去る
そうしないと、自分が自分ではいられなかったんだと思う
本当は一緒にいたいのにね
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中学1年生の頃
私は自己嫌悪に陥って
私なんてこの世に生まれてこない方がよかったんだと
深刻になったことがあった
そういう感情や思考は
みんなが味わうことだとばかり思ってたけど
どうもちがったらしい
私は、自分がいらない人間だと思ったことが何度も何度もある
それが私のクセだということも知らずに。
この世に必要のない人なんていないのにね
そんなの
必要ない不安であり
必要ない感情だったのかもしれない
でもその頃の私にはきっと
その不安と感情をもつことで
自分が自分であることに 精一杯だったんだと思う
そうすることでしか
自分が立っていられなかったんだろうな
私は今
主人がいて、3人の子どもがいて、祖母がいて、犬がいて、亀がいて
一戸建ての家で庭もあり、車は2台ある
それは外見
内面は、ただナチュラルに、循環を考えている
そして、心地よい仲間ができ
その仲間たちが楽に人生の目標をクリアできるといいと思ってる
こういう感覚になるのは、初めてに近い
大事な人、大切にしたい人たちがいる
それが本当の本当にうれしい
素直に、ありがたい♡
もしその仲間たちとこれからぶつかり合うことがあったとしても
それはプラスにしかならない
そう思える今が本当に、生きてる実感がある
ものすごくものすごく
世の中は優しくてあったかい
そんなことを知らずに35年間
私は生きてきたんだな
私は自分を避けてきた分
人を避けてきたんだな
子どもだったな~~
人と向き合うことができなかった私は
私自身とも向き合うことができずに生きてきたのかもしれない
自分と向き合い、自分探しをするって
すごくカンタンなことなんだな
人とまっすぐに真鍮に
素直に向き合うだけで
私がそこにいるんだから
私の今が明るくなり
未来は開けている
そんなことを 感じて 心の底から
ありがとう
きっかけは、自営ワーママクラブ内で進行している角田ゼミ
世の中はやさしくてあたたかい
みんながみんなであり私自身である
『私』というフィルターを通して見るあなたは
私は決してあなたではないけれど
私はあなたでもあり あなたは私でもある
それが分かった瞬間に、満ち満ち満ちて
すべてが幸福にかわるんだ
感謝